新旧「ニューヨーク派」映画人問題
本論考的に『アメリカの影』を総括するならば、ニューヨーク派の映画にニューヨークのジャズがつけられ、それが必然であることを証明した作品、ということだ。ニューヨーク派という言葉自体が過去のものとなってしまったかも知れない。ハリウッドの撮影所で作られた、それなりに予算を投じた映画に対抗する、ニューヨーク出自ロケーション主体の低予算映画をこう呼んだ。だがよく考えれば西海岸でもどっさりと低予算映画は作られていたし、その中にはロケーション主体の映画だって当然多かっただろう。またニューヨークにも伝統的なアストリア撮影所もあったし、今でもある。映画製作における「東海岸vs. 西海岸」という構図は意外に曖昧なものだが、それでも今になってみればこそ「見えてくる構図」は確かにある。要するにカサヴェテスの初期作品は「元祖ニューヨーク・インディーズ」だということだ。
これまたありきたりな結論となってしまったが、出発地点を確認しておくのはいつでも有意義なことだろう。というのも、実は我々が考えている、いわゆるニューヨーク派と異なるもう一つの(正統派とでも言うべき)ニューヨーク派も映画史上には存在する。『アメリカの影』のプログラムにあたる「アートシアター28」に南部圭之助が紹介しているのがそれで、彼はロンドンやブロードウェイの商業演劇演出家出身監督(ウィリアム・デミル、ルーベン・マムーリアン、エドマンド・グールディング、ジョージ・キューカー等)をその名前で呼んでいる。この流れに沿い、エリア・カザン、ジョシュア・ローガン、シドニー・ルメットといった、より若い監督のことも新たなニューヨーク派として話題にされることになる。
こうした言葉の問題は、結局は「作家の問題」というより「映画検定の問題」に過ぎない感じもするわけで、あまり深入りするつもりはないが、だからこそ最低限確認しておきたいのは、確かにカサヴェテスも舞台出自の演出家としてこの映画に関わっているけれども、彼を始めとするニューヨーク派映画人とは、南部の言うような映画史上の潮流から切れたところで存在し、いわば五十年代後半のアメリカ・アヴァンギャルド運動と同調して出現したものだということだ。そのことをきちんと記述しているのが同誌の南部エッセイの一つ前の岡俊雄による「ニュウ・アメリカン・シネマ・グループと東部の前衛派映画作家たち」である。本論からは少しズレていくので、ここにあまり沢山引用することはないけれども、論旨と人名だけを紹介しておこう。
1960年9月28日、ニューヨーク近郊在住の23人の映画作家が集い、ニュー・アメリカン・シネマ・グループの結成を宣言した、というのがその主たる内容である。宣言は大まかにはこうだ。「世界のオフィシャルなシネマ(撮影所製の商業映画)は今や息切れしており、退屈そのものだ。我々は映画の個人的な表現を信じ、製作者・配給者・投資家の干渉を拒否する。我々は死んだ理論に作者を閉じ込めてしまうような美学派ではない。いかなる古典的原理も信じえないことを感じている」。
こうした動きは世界各国の「新しい波」(フランス語ならヌーヴェル・ヴァーグだが、他にも様々な言い方がある)に共感したもので、むしろアメリカ映画は後発国となっていたことも明らかにされる。そしてそれ故に強いられる苦しい闘いの渦中にある映画作家として、カサヴェテス、シャーリー・クラーク、ジョナス・メカス、アドルファス・メカスの他にも以下の人々が岡田によって挙げられている(23人全員ではない)。『静かなる人』“The Quiet One”(49)のシドニー・マイヤーズ。『小さな逃亡者』“Little Fugitive”(53)のモーリス・エンゲル。彼のことは
吉田広明さんのコラムでも大きく取り上げられて、昨年日本でも同作の上映会が催された。ライオネル・ロゴーシンの『バワリー25時』“On the Bowery”(54)。この作品はアートシアター系劇場で『アメリカの影』と同時上映されたものだ。彼も
吉田さんのコラムに既に登場。『野蛮な眼』“The Savage Eye”(59)、『バルコニー』“Balcony”(63)のジョセフ・ストリック。『私の雛菊を摘め』“Pull My Daisy”(59)のロバート・フランク、アルフレッド・レスリー。さらに『罪と罰USA』“Crime & Punishment, USA”のデニス&テリー・サンダース。この兄弟監督は『地下街の住人』“The Subterraneans”(監督ラナルド・マクドゥガル、60)を途中で降ろされた人たちだった。規定としては彼等から「ハリウッド流の考え方、ただしその表現や感覚がハリウッド製よりも現代的でダイナミックな訴えかける力がある」とメカスが述べる作家たちになる。実はよく読めば、これは遠まわしにではあるが誉めていないこともわかるのだが。『ブルックリンに関する事件』“The Case against Brooklyn”(58)のポール・ウェンドコス。『麻薬通りの監視』“Stakeout on Dope Street”のアーヴィン・カーシュナー。この二人はその後、ハリウッド作品で世界的に注目されることになる。そして『クライ・タフ』“Cry Tough”(?)のパウル・スタンリー。この人は知らない。もう少し概念を広く取ってまだ名前は挙げられているが、本論的には以上で十分である。