映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第34回 アメリカ60年代インディペンデント映画とジャズ   その1 映画『ザ・コネクション』を巡るコネクション
小川隆夫著「ザ・ブルーノート、ジャケ裏の真実 4000番台(4001〜4100)ライナーノーツ全解読」

ジャンキーのジャンキーによるジャンキーのため(?)の演劇
ところで「ザ・ミュージック・フロム・ザ・コネクション」の原盤ライナーノーツは著名なジャズ評論家アイラ・ギトラーが執筆しており、分量だけ見ても相当気合が入っている。こつこつと辞書を引いてまるまる翻訳しても十分面白いのだが、そんな苦労を私がしなくても、まずは優れたジャズ評論家にしてブルーノート・レーベルの完全コレクターでもある小川隆夫の便利な本「ザ・ブルーノート、ジャケ裏の真実 4000番台(4001~4100)ライナーノーツ全解読」(春日出版刊)を読んでみるのが良い。日本盤CDの解説ライナーも小川が書いており、また彼には「ブルーノートの真実」(東京キララ社刊)という素敵な著書もある。これらを使って初演版の演奏と舞台の関係を記述してみよう。
このセッションのリーダーはピアニスト、フレディ・レッドである。彼の率いる四重奏団が録音の全メンバー。アルバム・ジャケットから正確にクレジットを記すとフレディ・レッド・カルテット・ウィズ・ジャッキー・マクリーンとなっている。「ブルーノートに二枚の素晴らしい作品を残したことから、極端な寡作家にもかかわらずフレディ・レッドは一部のファンの間で高い人気を誇っている。(略)最初の一枚がこの作品である。(略)ジャズと麻薬問題を扱ったジャック・ゲルバー作のオフ・ブロードウェイ劇『ザ・コネクション』に使用された音楽をアルバム化したものだ」とライナーノーツ冒頭小川は記している。以下かいつまんで紹介したい。
ゲルバーは五十年代半ばからマンハッタン、イースト・ヴィレッジに住んでいたボヘミアンである。多くのジャズ・ミュージシャンと交友を持ち、自らもピアノを弾いた。ウィキペディア(英語版)の情報によればルーマニア=ロシア系ユダヤ人の移民の家系とのこと。東欧系白人だったのか、ちょい意外。一応ビート世代としていいだろう。彼の友人達の多くが麻薬に苦しんでいることからヒントを得、書きあげたのがこの「ザ・コネクション」という戯曲で、著作権登録されたのは57年9月のことだった。「ゲルバーが奇想天外な発想をする人物だったのは、出演者を本物の麻薬中毒者で固めてしまったことだ。ジャズと麻薬がテーマである。そんな人材には事欠かないのが当時のニューヨークだった」。ゲルバーはこのアイデアを親しい友人フレディ・レッドに持ちかけ、結果、主役の一人をジャッキー・マクリーンに演じてもらうことに決めた。更にレッドも出演し、音楽も全編彼が書きおろすことになった。初演までずい分時間がかかっているが、興行の世界というのはきっとそういうものなのだろう。
さて「オフ・ブロードウェイ」演劇というと「リヴィング・シアター」“The Living Theatre”の名が真っ先に上がると思うが、どうやらこの劇団を有名にしたのがこの戯曲らしい。オフ・ブロードウェイというのはアメリカ、ニューヨーク界隈の小規模で野心的な企画の劇団のこと、というかそれらの一般的な総称であり、そういう劇団や企画団体があるわけではない。本来は地名というか区画名だが、大規模で興行性重視の商業演劇のための劇場が集中していたブロードウェイに対して、こうしたいわば「アンチ・ブロードウェイ」的な色彩の濃い小劇団はそもそもブロードウェイのキャパの大きい劇場では興行を打てない(必要な資金を集められない)ので、そこから離れた区域の小さい劇場を使っていたことからの命名だ。リヴィング・シアターの主宰者たちジュディス・マリーナとジュリアン・ベックが戯曲に興味を抱き、ついに59年の初演にこぎつける。従ってオリジナル版の演出はジュディス・マリーナである。
開幕当初の評判は悪く先行きが危ぶまれたが、一週間後ヴィレッジ・ヴォイス誌に好意的な評が載ったのを契機に調子も上向き、結局17カ月のロングランとなった。初年だけで722回も演じられたようだ。今さらっと書いてしまったが、映画じゃなくて演劇だからね、これは大変なことである。舞台俳優ならばまあ当然かも知れないが、麻薬中毒のジャズメンにはきつかっただろう。一日二回、場合によっては三回、同じ演奏、演技を繰り返すのである(休演日は週一日くらいあっただろうが)。