フレディ・レッド・カルテット・ウィズ・ジャッキー・マクリーン「ザ・ミュージック・フロム・ザ・コネクション」
遠山純生・上島春彦共著「60年代アメリカ映画」
東は東、西は西
前回からの続き、というわけでもないのだが前回と何となく関係した話題から今回スタートする。アメリカは西海岸ロサンゼルスにあるコンテンポラリー・スタジオで、映画『地下街の住人』“The Subterraneans”のためにアンドレ・プレヴィンが書いたテーマ曲「何故、私達は怖れるの」“Why Are We Afraid?”を、サントラ盤にも協力していたアート・ペッパーが自身のアルバム「ゲッティン・トゥゲザー」“Gettin’ Together!”(Contemporary)用に録音していた日から二週間前にあたる1960年2月15日、東海岸ニュージャージー州ハッケンサックのルディ・ヴァン・ゲルダー・スタジオでは、やはり映画『ザ・コネクション』“The Connection”のために一連の音源七曲が演奏録音されていた。この音源を収録した音盤が「ザ・ミュージック・フロム・ザ・コネクション」“The Music from the Connection”(Blue Note)である。
ブルーノートからリリースされた、このアルバム自体は映画を離れて演奏や楽曲の良さで人気を博しており、CDは比較的入手も簡単。従って映画『ザ・コネクション』は映画自体よりも音楽でお馴染みの作品と客観的には言えそうだ。既に吉田広明さんが、お隣のコラムでこの「知られざる」映画について
シャーリー・クラーク絡みで紹介しているが。この件を改めてジャズ史の側から蒸し返そうというのが本稿の狙いである。ジャズ史とは言っても本稿全体の主題は正確には「ジャズと映画の相互通行史」にあるわけだから、映画『ザ・コネクション』そのものにもアルバムと同様に注目していくつもりであるが。
映画版がインディペンデント映画作家シャーリー・クラークの長編第一作で、その原作がジャック・ゲルバー作の舞台だと言うことも吉田さんのコラムで語られている。もっとも、私がこの映画を知ったのは現在入手しにくくなっている著書「60年代アメリカ映画」(遠山純生、上島共著。エスクァイアマガジンジャパン刊)のラスト・コラム「公開が期待される十本」によってだった。半分は私が執筆、残り半分は遠山さん担当で、これを推したのは遠山さん。十本のうち日本でその後DVDが発売されたのは二本のみ。『ザ・コネクション』は結局リリースされることはなかった。映画版の映画史的意義については後ほど語ることにする。
オリジナルの舞台が初演されたのは録音から七カ月さかのぼる59年7月15日である。だが、初演から半世紀を経た2009年にこの伝説の舞台が再演されていたことはあまり知られていないかも。と言ってももちろん私が見ているわけはない。ニューヨークの話ですから。この件の詳細はホームページ
「ディスクユニオンJAZZ館」のコラム「原田和典のJAZZ徒然草」第41回(2009年1月25日)に記述されている。
今最も信頼できるジャズ評論家の一人である原田がわざわざレポートしていることからわかるように、これの注目ポイントは即ちジャズである。具体的に言うと初演版に出ていたジャッキー・マクリーンの子息ルネ・マクリーンが親父のやっていた役柄で出演しているのだ。この作品は舞台上で生演奏する必要があるので、当然ジャズマンを起用することになる。ただし楽曲自体は上記のアルバムからのものは使用されていないとか。大人の事情があったのでしょうか、残念である。そういう次第で物の順序からいえばやはりオリジナルの舞台とその音楽の話題から始めたい。