本作において、リチャード・バグリーが果たした役割は大きいように思う。バグリーは、本作以前では、シドニー・メイヤーズ監督の『口数の少ない奴』The quiet one(48)のカメラマンとして知られている(この映画はネット上で見られる。)。母親に捨てられ、祖母に虐待され、心を閉ざした黒人少年が、施設の中で、いかに他者への愛情と関心を取り戻してゆくかを描いたこの映画の前半に、学校をさぼった少年が、スラムをうろつく場面がある。仕事に出かけるものたちが出払った後の弛緩した時間。幼児の手を引いて路上をうろつく老人、玄関口で井戸端会議する主婦たち、何故か鶏を抱えてなでている男、氷屋、床屋、廃墟の瓦礫でままごとをする女の子たち。ある意味醜いものを捉えていながら、それが飽くまで人間的なものである以上持っている美しさをも滲み出させているドキュメント。それは、『バワリー25時』におけるバワリーの街や人々の肖像に通じている。とりわけ、『バワリー25時』のラストで見られる人々のクロース・アップの数々は、まるでウォーカー・エヴァンスが撮った、大恐慌時の南部の農民のポートレート(『Let us now praise the famous men』36)のように、恐ろしくも美しい。リチャード・バグリーはこの映画を遺作に亡くなっている。ちなみに、『口数の少ない奴』のシナリオおよび『Let us praise the famous men』のテキストを書いているのはジェームズ・エイジーである。ジェームズ・エイジーのようにアルコール依存に苦しむ人々を描き、実らなかったものの、エイジーにシナリオを依頼し、エイジーがテキストを書いた写真のように、醜さの中の美しさを拾い出した映画。そう思えばこの映画は、ジェームズ・エイジーの影の下で撮られた映画だったとも言えるだろう。