今回からしばらくイギリスのネオ・ノワールを取り上げる。これまで扱ってきた、第二次世界大戦直後のノワール以降の、五十年代、六十年代の犯罪映画に関しては(代表的な例としてサイ・エンドフィールドの57年作品『地獄特急』や、ジョゼフ・ロージーの60年作品『コンクリート・ジャングル』)については、筆者は別のところでそれらについて詳しく論じている(今年中に刊行予定の新著)のでそちらを参照してもらいたい。大雑把にまとめれば、第二次世界大戦以後の二十年間ほどの間にイギリスは世界の覇者の地位をアメリカに奪われ、経済的にも低迷して、イギリス社会を担ってきたブルジョアは自信を喪失し、社会全体に閉塞感が満ちてゆく。しかしながら一方で新しい潮流も生まれてきており、その一つとして、映画も担い手が中産階級から労働者階級に移行し、上記したエンドフィールドやロージーの犯罪映画も、労働者階級を主人公とする点で、そうした変化を反映している。六十年代のニュー・ウェイヴの運動では、描かれる対象だけでなく、担い手もまた労働者階級となる(以前に取り上げたテレンス・デイヴィスやビル・ダグラスなどもその中に入れていいだろう。また彼らは地方出身でもあり、その点も新しさの一つ)。そうした変化を経て、七十年代にまた新たな犯罪映画の流れが現れる。フランスでのノワール評価を受け、アメリカでも自国の犯罪映画の異色性に気がつくようになり、本格的にノワール再評価が行われ、その結果同じく七十年代初頭から新たなノワール(ネオ・ノワール)が作られるようになったのだが、しかしアメリカのノワールが確かにノワールといって差し支えないような退廃、隠微さを備えているのに対し、イギリスのネオ・ノワールはかなりハードでエッジの利いたものであり、同じネオ・ノワールとはいっても見た印象は全く異なるといってよい。ともあれ今回は、イギリスのネオ・ノワールの代名詞と言えるマイク・ホッジスの『ゲット・カーター』Get Carter(『カーターを殺れ』という意味で、日本公開時には『狙撃者』という日本題がついているが、あまり内容にそぐわない題名に思われるので、ここでは英語をそのままカタカナ読みにしたものを使用する)を扱う。