個人主義的映画作家の栄光と悲惨
総じてビル・ダグラスは、徹底して個人主義的な映画作家だったと言える。確かに映画学校で学んだとは言え、その映画作法はかなり独自なものであったし、またその内容も自伝的なものであり、かつ、環境の描写が社会的な問題性につながってゆくような形を取らず、あくまで心象にこだわるような演出方法を採用した。社会性を持った題材を扱った長編にしても、方法論自体は自伝的映画と変わらず、いわゆる社会派による組合礼賛の、正義感に満ち溢れた骨太のドラマからは程遠いものになっている。
また、彼はいかなるスクールにも属していなかった、という意味でも個人主義的だ。彼よりひと世代前のリンゼー・アンダーソンらが、その内実の統一性はともかく、フリー・シネマという形で集団的に声を挙げたことによって世に出ていったようには、彼は集団性を打ち出すことはなかった。イギリスのリアリズムの伝統に自身をつなげる意思表示や、テレンス・デイヴィスのような個人主義的映画作家、ケン・ローチのような若年層を描いた映画作家たちとの同時代的な連帯を表明することもなく、ただ自分の映画を自分のやり方で作ることに専心した。そのことが彼の映画の強さを生んでいることも確かなのだが、それが結果として彼を孤立させ、埋もれさせることにもなっている。こうして見ると、ビル・ダグラスの位置というものは、映画学校で学ぶ人間のさまざまな課題を浮き彫りにして見せてくれるようでもある。いかに自身の表現を獲得してゆくか、そしていかに世界に打ち出してゆくか(作っても見られなければ意味がない、見られるための戦略)、その際、いかに自身の表現を妥協することなく、映画を作り続けていけるか。ともあれ、ビル・ダグラスの映画は、埋もれてしまうことなく、こうして見られる状態になった。無論こうした事態そのものがいつまで続くか分からない(DVDは品切れになり、再版されないこともある)。とはいえ、見られるだけの価値のある映画だからこそ、DVDにもなるわけで、それだけの作品を作ることがまずは先決だし、それを見てみることが重要なことだと思う。
ビル・ダグラスの『トリロジー』Bill Douglas Trilogy、『同志たち』ComradesはイギリスのBFIから発売。リージョンは2、Pal版となる。前者は英語字幕、後者は英語、仏語、スペイン語、独語字幕がつけられる。それぞれ1時間ほどのドキュメンタリーの映像特典がついている。