ビル・ダグラスの少年期
イギリス映画には、ジョン・グリアソン、アルベルト・カヴァルカンティらによる30年代のドキュメンタリー運動があり、また60年代には、リンゼイ・アンダーソンやトニー・リチャードソンらのフリー・シネマの運動が都市部の下層階級の生活を捉える、という具合にリアリズムの伝統がある。ビル・ダグラスの初期作品三本をまとめたトリロジーは、自身の複雑な家庭環境と貧しい少年期を描いた作品で、そうしたイギリス映画のリアリズムの伝統に属しているように見える。しかし実際にその作品を見ると、あまりそうした流れとは関係ないところで彼は映画を撮っているようでもある。リアリズムというには、描写を主とする印象ではなく、確かにその家庭は悲惨なほどに貧しいのではあるが、その貧しさの原因も、階級的であったり、社会的であったりするよりは(それもあるだろうが)、もっぱら彼の家庭の特殊な事情に依るところが大きいように見え、その貧しさを「問題」へと拡大していこうとする意志が見られない。何より、画面自体、ないしその持続が、描かれているもののリアリティよりは、それが主人公である少年に与える心象の方を重視しているかに見えるのだ。その分析は後述するとして、とりあえずはまずDVD付録のパンフレットや、おまけDVD所収のビル・ダグラスをめぐるドキュメンタリーに依って、ビル・ダグラスのキャリアを紹介しよう。
ビル・ダグラスはスコットランドの炭鉱町ニュークレイグホールに1934年に生まれている。ビルが生まれた後、父はビルとその母親を捨て、他の女性と結婚、さらに彼らを捨ててまた別の女性と暮らすという具合で、女たらし、というか、生活破綻者であったようだ。ビルの母親は精神に異常をきたし、病院に収容される。ビルはまず母方の祖母に預けられ、その祖母の死後、父方の祖母に預けられることになる。トリロジーの一作目、短編『私の子供時代』My Childhood(72)が描いているのは恐らく母方の祖母との暮らし。主人公ジェイミーは、父の違う兄と、祖母と暮らしている。兄に、お前の父親は僕の父親とは違う、お前の父親は向かいの家の中年男だと知らされる。第二作『私の家族の一人』(原題のAinはスコットランド方言でOneを意味する)My Ain Folk(73)では、母方の祖母の死後、父方の祖母に引き取られた後の暮らしが描かれているが、この映画に描かれている限り、父方の祖母もいささか常軌を逸した女性ではあったようで、自分の息子(主人公の父)へ過度な愛情を注ぎ、「お前はキングだった、誰でも足元にひれ伏させることができたのに」と現状を嘆き、自分たちのアパートと真向かいの、息子とその今の連れ合いが住んでいるアパートに、「お前のせいで息子は…」と包丁を振りかざして殴りこんで行ったりしている。
映画には、腹違いの兄以外に同世代の親族が現れないが、実際には妹や、従兄弟がいたらしく、ビルは彼らを楽しませるために絵を描いて見せたりしていたと言い、それが彼が芸術を志す最初であったようだ。父方の祖母の家での暮らしが辛く、映画館に入り浸るようになっていた。ジャムを作って、それを売って入場料代わりにしたり、それもできなければこっそり入ったりしていた。特にチャップリンがお気に入りだった。映画の中でも、自分は芸術家になりたい、と言って、父の新しい連れ合いに小馬鹿にされたりしている。