フレッドとケヴィン
ケヴィンのところへ最後に行ったのは12月の半ばだったろうか。椅子の上にカードが置いてあり、開けるとフェイ・レイの写真をあしらったクリスマスカードだった。この時期、皆クリスマスカードを交換しあうのがならわしになっているようだった。レジナルド・デニーの『スキナーの夜会服』(26)とハル・ローチの『Ten Years Birthday』というコメディを見せてもらった。ハル・ローチの映画は太った男の子が誕生日にケーキを作る話で、ケーキがどんどん膨らんでゆくのだった。あまりにも膨らみすぎて周りの物も取り込んでしまい、ゴム手袋やせっけんの入っているケーキになって行くのだった…。
最後に魔法の『Red Spectre』(07)を見せてもらう。色つきでとても楽しい。
その一週間後に日本に帰る日が来て、その日は空港に向かう直前まで本屋にいた。フレッドも私も無口だった。私は地下で古い雑誌を見ていたけれど、フレッドは来なかった。最後にクリスマスカードと大きな包みを渡してくれた。
お別れを言って私はフレッドに背を向けて駅へ向かった。背後のフレッドをもう一度見たい気持ちにかられたが、振り向くことができなかった。
空港に着いてから包みを開けると、ケヴィンの本「Hollywood」が出てきた。ケヴィンがシリーズで作った無声映画のドキュメンタリーをもとにした本だった。
ロンドンには4年後にもう一度行った。その時は一週間くらいの短い滞在だった。フレッドはそろそろ本屋を閉めようかと考えているところだった。ケヴィンのオフィスにお邪魔して、ナショナル・フィルム・シアターでアイダ・ルピノの映画を観て、ロメールの『グレースと公爵』(2002)も日本より先に上映していたのでそれを観た。それからゴッホのお芝居とグローブ・シアター・カンパニの「十二夜」を見て、お芝居はいいなあと再び思った。
フレッドはなんだかものすごく疲れているようだった。その3年後にシネマ・ブックショップは閉店した。フレッドは本屋を閉める前に、私が好きなものを選べるようにと貴重な台本などのリストの草稿を送ってくれて、私は『若草の頃』(44)などいくつかの台本を選んで買った。『若草の頃』にはミネリのサインがついていた。
今でもフレッドとケヴィンとは手紙のやり取りが続いている。二人はいつもあたたかな返事を書いてくれる。最初に出会ってから、もう17年から20年も経とうというのに、二人の優しさ、あたたかさ、誠実さは変わらないのである。いろいろな人に出会ってきたけれど、まっすぐに向き合って与えられたものは色あせないし、揺るがないということを私は知った。それを教えてくれた二人は私にとって本物であり、何にも代えがたい。世界で唯一無二の存在である。
私はフレッドとケヴィンから言葉にできない何かをもらった気がする。そのかけらが心の中で年月を経るほどに強烈な輝きを放つようになった。それは二人が本物であるからだと思う。私は本物を知った。その言葉にできないかけらを抱えたまま普通に生活していることがこの上ない贅沢に感じられる。朝起きて朝食を食べ、洗濯をし、掃除をし、お茶を飲み、買い物に行く。ご飯を食べてお風呂に入って寝るというこの上なく平和な暮らしがさらに豊かに見えてくる。
フレッドもケヴィンも家族を、家庭をとても大切にしていた。仕事も家庭もそんなふうにできるのは二人が本物で特別であるからなのだろう。私は彼らの足元にも及ばない。でも本当に大切なものは、自分が好きなものに対する真摯な情熱と普通の日常を大切にする心だと教えてくれたような気がする。
私はロンドンでいわゆる観光名所には殆ど行かなかったけれど、人には人それぞれの見知らぬ土地との接し方があるのだと思う。お金では買えない、これ以上の経験はないという経験をもらった。それが何よりの宝であると思っている。
私はリリアン・ギッシュに少しは近づけたのだろうか。彼女に出会わなければこのような経験をすることもなかったわけである。その後10年ほど経済的にも精神的にも消耗し尽したような疲労感につきまとわれた。きっと得たものを熟成して客観的にそれを受け入れられるようになるまでにそれだけの時間が必要だったということではないだろうか。
グリフィスとリリアン・ギッシュについては私のできる限りの範囲で文章を書いてみた。グリフィスとリリアン・ギッシュはこれを読んだら喜んでくれるだろうか。二人はきっと笑ってくれると私は信じている。