ロンドンとリリアン・ギッシュ Text by 大塚真琴   第2回 ロンドンⅡ
ロンドンの日々
普段は朝起きると、ホットケーキかトーストに果物などを食べて、美術館に行ったり、映画を観たり、わけもなくえんえんと散歩したりしていた。近くにホガースの家があったので見に行った。安い美容院があったので予約をとって髪を切りに行った。鏡の前の椅子に座ると、美容師さんが「コーヒーか紅茶はいかが?」と聞いてくるのに最初驚いた。あと、近くの商店街に日本のパン屋さんと似た感じのパン屋があり、よくそこで生クリームとジャムをはさんだパンを買って食べたりした。BFIの図書室でアルバート・ビグロウ・ペインが書いたリリアン・ギッシュの本「Life and Lillian Gish」を読んだ。

でも、何よりもロンドンでその乾燥した埃っぽい空気を吸って、ただ歩いている時が一番幸せだった。ただの住宅街をこの建物の中にはどんな人が住んでいるのだろうと想像しながら歩くのが好きだった。ここはお金持ちっぽいなとか、ここは貧しい人が多いのかなとか、勝手に考えた。『散り行く花』のライムハウスディストリクトと呼ばれているところも散歩したけれど、大きな川がある静かな住宅街だった。

ケヴィンが夏休みで奥さんの故郷のアイルランドに行く前にお家に呼んでくれた。 ローレル・アンド・ハーディの『Duck Soup』(27)と『Double Whoopee』(29)を見せてもらい、それからルイーズ・ブルックスの『人生の乞食』(28)を見せてもらった。ルイーズ・ブルックスは本当に美しくて、平凡な衣装に少し違和感を覚えるくらいだった。追ってを欺くために少年の恰好をする場面があったけれど、彼女の良さをそこまで引き出せているとは感じられなかった。でも無声映画の女神のような存在であるルイーズ・ブルックスの映画をまた一つ観られたことがとても嬉しかった。それからハロルド・ロイドの『好機逸すべからず』(Now or Never 21)をケヴィンのご家族と一緒に観た。小さな犬のキウイが奥さんのお膝の上にじっと座って映画を観ていて、その時にこの犬は世界一幸せな犬ではないかと思った。娘さんも一緒に映画を観ていた。金髪の可愛いお嬢さんだった。

途中でお茶とパンとサラダをいただいた。

ある時本屋でグリフィスの話をしていたら、フレッドが1975年のFirst Issue のグリフィスの切手を封筒ごとくれた。フレッドはよく本を買いに来る日本人の女の子がいるからとHちゃんというお花みたいなお嬢さんを紹介してくれた。フレッドは人を見る目があるのだと思う。きっと見た瞬間にその人の内面まで見抜いてしまうのではないだろうか。それは人だけではなく、物にも言えることだった。そこで知り合ったHちゃんとはもう15年来の親友同士である。フレッドのそばにいてもう一つ印象に残っていることがある。ロンドンでは道端で「チェンジ・プリーズ」と言って道行く人に声をかける毛布にくるまってうずくまった人々をよく見かけた。私はお金をあげたことはなかったけれど、フレッドはお店の近くにそういう人がいると、ズボンのポケットに手を入れて小銭を適当につかむと、つかんだお金を確認もしないでそのまま道に置かれた小さな箱や布の袋の中に落としていたのである。そのしぐさがあまりにもさりげないので私はいつも驚いていた。恵んでやっているという偉ぶった様子も、可愛そうで憐れんでいるという様子も、いいことをしているという様子も全くないのである。どうしたらそんな境地に辿り着けるのだろうと私はいつも不思議で仕方なかった。