コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 Jフィルム・ノワール覚書⑮ 東映ノワール 深作欣二/佐治乾の反米ノワール   Text by 木全公彦
『誇り高き挑戦』
深作と佐治が組んだ作品は全部で5本ある。『白昼の無頼漢』、『誇り高き挑戦』、『ギャング同盟』、『北海の暴れ竜』(1966年)、『新仁義なき戦い・組長の首』(1975年)。その中でもっとも評価が高い作品が『誇り高き挑戦』で、深作にとってこれが最後のニュー東映作品で、興行的には失敗したが評論家受けがよく出世作となった(ただし、封切り直前にニュー東映は解消し、事実上は東映東京作品になる)。


『誇り高き挑戦』ポスター

『誇り高き挑戦』
業界に寄生する鉄鋼新聞の記者・黒木(鶴田浩二)は、特需景気が去った今も景気のいい三原産業に出かけて、海外に武器密輸をしているというネタをつかむ。助手の畑野(梅宮辰夫)が撮った写真には高山(丹波哲郎)が写っていた。黒木は戦争中は日本の特務機関員として働き、戦後はGHQの情報部で働いていた男で、当時大手新聞社にいた黒木にリンチを加えた男だった。黒木はそのとき受けた目尻の傷を隠すためにサングラスを手放さない。ちょうどその頃、東南アジアの某国からマリン(楠侑子)を始めとする革命政府の亡命者たちが来日する。黒木は知り合いの女工・弘美(中原ひとみ)から情報を得る。黒木は高山が革命政府に三原産業の武器を世話する武器ブローカーであることを突き止める。数日後、弘美が行方不明になる。黒木も拉致されとある精神病院に連れてこられる。そこで弘美を見つけるが彼女は拷問を受けて廃人となっていた。黒木は高山の愛人でもマリンに助けられるが、彼女は反革命軍に殺されてしまう。武器を積んだ船はすでに出港。黒木は高山がそれを革命軍に知らせて二重の利益を得ようとしていたことを知る。だが二股をかけた高山は、危険を感じて背後の何者かに殺されてしまう。黒木の雑誌社にも圧力がかかり記事を書くことができなくなってしまった。黒木に思いを寄せる妙子(大空真弓)は黒木にサングラスをしているから何も見えないのよと言う。今やたった一人となった黒木はサングラスを外して、真に闘うべき敵をそこに見出し、眩しそうに見つめる。

この映画の企画は鶴田浩二と丹波哲郎を使って、『白昼の無頼漢』のようなギャング映画を作れということだったという。だが出来あがった作品は、ギャング映画ではなく、占領下の日本に暗躍する武器商人の存在や、その背後にいるアメリカ諜報機関の工作を描いた反米色の濃い社会派スリラーであった。

松本清張が「文藝春秋」に「日本の黒い霧」の連載を開始したのが1960年1月。佐治はこれをヒントにして、さらに1959年から創刊された光文社のカッパノベルズでレッドパージされた新聞記者の話やCIAの謀略を取り上げた小説、中薗英介のスパイ小説などを読み漁り、物語の骨格を作り上げた。中にはセリフをそのまま使った箇所もあるという(前出「佐治乾作品の原体験と思想的系譜」)。ただし劇中で黒木が大手新聞社をレッドパージされたという直截的なセリフはない。黒木は情痴事件として片付けられたパンパンの殺人事件を探るうちに、女が日ソ協会に勤めていてそこの情報を持ち出すようスパイを強要されたが拒んだため、殺されたことが突き止める回想場面がスチル・ショットで示されるが、これは1959年に起きたデンマーク神父によるスチュワーデス殺人事件――重要容疑者と目された神父の突然の帰国のために迷宮入りしたいわゆる「黒の福音」事件を下敷にしているようだ。その殺された女の妹が妙子という設定である。

始終サングラスをかけている鶴田浩二は、『灰とダイヤモンド』(1958年・日本公開は1959年、アンジェイ・ワイダ監督)の主人公マチェック(ズビグニェフ・ツィブルスキ)をヒントにしたことは明らかだろう。対する丹波哲郎は「こうしてみれば植民地文化も結構なものさ」とうそぶき、弁舌を振うが、その姿は『第三の男』(1949年・日本公開は1952年、キャロル・リード監督)のハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)を重ね合わせたのかもしれない。プロットには『影』(1956年・日本公開は1959年、イェジー・カワレロヴィッチ監督)を参照した痕跡もある。

深作は冒頭の河辺公一の狂騒的なジャズ(歌は堺ヨシコ)が流れるタイトルバックから、血のメーデー、三鷹事件、警察予備隊などのニュース記事をモンタージュして、占領下の日本を覆う黒い霧や再軍備へと傾斜する世相を映し出す。中原ひとみは朝鮮戦争で片腕を失った黒人兵(チコ・ロ-ランド)と同棲しているが、佐治によれば黒人兵を片腕にしたのは現場での助監督のアイデアであったのだという。また鶴田がサングラスを外して眩しそうに国会議事堂を見つめる名高いラストシーンは、深作のアイデアであり、佐治の書いた脚本では鶴田がサングラスをしたまま国会議事堂を見つめるラストだったそうだ(前出「佐治乾作品の原体験と思想的系譜」)。

そのほか、お得意のナナメの構図、仰角、俯瞰、ズーム、望遠ショットなどを効果的に使っているが目を引くが、楠侑子が人ごみの中で殺される隠し撮りによる超望遠ショットからのズームアウト、丹波哲郎が何者かに殺されるロングショットからのズームインなどがとくにすばらしい。またインサートされるシークエンスの代わりにスチル・ショットを効果的に使った場面、とりわけ精神病院に監禁され、拷問される中原ひとみの場面はショッキングな効果をもたらして有効である。

映画評論家の斎藤正治は、佐治と深作の暴力に対する資質を比較して「佐治は社会の属性のひとつとして暴力を認識する。……深作は暴力そのものが、単独の思想として成立し得る。……佐治が内包するいわば一種の状況論と、深作の暴力それ自体が社会を衝動するという思想は、奇妙に結合しながら、ある時期の深作作品を形づくっていた」(斎藤正治「佐治乾の方法と思想」~「シナリオ」1974年11月号所収)と指摘する。なるほど、この指摘にある二人の暴力に対する資質の違いは、以後、二人が別々に手がけた作品のフィルモグラフィをたどればもっとはっきりしてくる。佐治は『人妻集団暴行致死事件』(1978年、田中登監督)の脚本を書くし、深作は『人斬り与太』2作を監督することになるのだ。

いずれにせよ、『誇り高き挑戦』が当時映画評論家に高く評価された理由は、思想を伴わない単なるアクション映画と見なされていたそれまでのギャング映画を変形させたスリラーにおいて、反米/反権力という社会性を明確に打ちだしたからにほかならない。鶴田浩二の闘いは、怨嗟の根ざした個的な闘いだが、私怨は公怨へと昇華され、普遍性を獲得したことが本作の最大の魅力であろう。