『その場所に女ありて』/サンパウロ
――『その場所に女ありて』はいかがでした? 今では鈴木さんの代表作という評価が高いんですが、当時では広告代理店という職業は何をしている仕事なのか今ほど知られていなかったで、役作りとか苦労されたのではないかと?
宝田そうですね。とくに役作りはしていません。この時代は次から次への量産時代ですから。だけどその当時、僕は電通クリエイティヴに友だちがいて、今度こういう話をやるんだけどと言って話を聞いたりはしました。まあ、あの業界も生き馬の目を抜くような激しい競争の世界ですね。あの作品は僕にとっても気持ちよく演じることができました。現代に通じる話でなかなかモダンな映画ですよね。
――登場する女性がみんな男みたいで。
宝田そうですね。それでみんなタバコ吸ってますね。今の映画じゃ考えられない。近頃はこういうのはうるさくなりました。でもねえ、司君は普段タバコを吸わないからたぶん練習したんだろうけど、やっぱり下手だよねえ。なんか無理があるなあ。淡路恵子なんか巧かったもんね。指に挟んでいるだけで様になるし、煙を吐き出すときのしぐさも巧い。
――いや司さんはなかなかがんばっていらしたと思うんですけど。宝田さんもすばらしかったですよ。ドライな役を抑制された演技で演じていらした。
宝田そうですかね? まあ僕なんか調子いいから。この映画はどこかの映画祭に出品して賞をもらったんじゃなかった?
――サンパウロ映画祭の審査員特別賞です。でも映画祭そのものがインチキくさいというか、『妻という名の女たち』(1963年、筧正典監督)、『けものみち』(1965年、須川栄三監督)とか、3年連続で藤本眞澄さんがプロデュースした東宝作品がグランプリに近い賞を取っているんで、たぶん東宝のバックアップがあった映画祭ではないかと。
宝田サンパウロには東宝の支社があったからね。あそこで邦人の方が映画スターの人気投票をすると、男優では何年もの間僕が1位だった。2位が三船敏郎さんで、3位が鶴田浩二さん。お二人とも大先輩ですが、大体そんな感じでした。それで東宝の社長の清水雅さんと藤本さんに「おい、宝田。お前10本、映画を持って海外に行ってこい」と言われて。ハワイで1週間、ロスで1週間、ニューヨークで1週間、それからサンパウロ。さらにアンデスを越えてリマで1週間やって。草笛光子さんとずっと一緒に回って、舞台で唄を歌って、映画と舞台の組み合わせ。持っていった10本の映画のうち、毎回投票で7本上映した。ものすごい人気でしたね。劇場に入りきらないぐらいの人がつめかけて。大変でした。
――鈴木さんの演出というのはあらかじめコンテがあるんですか。それともリハーサルをやってみてからカット割を決めていくという感じなのですか?
宝田リハーサルで役者を動かしてみてから、キャメラ・ポジションもカット割も決めていくという感じです。ですからリハーサルを見ながら、コンビを組んでいたキャメラマンの逢沢譲さんと話し合って決めていかれたようです。こちらが3ページぐらいあるから随分カットを割るんだろうなと思っていると、2カットぐらいでやったりする。それに映画ですから順番に撮るわけではなくて、バラバラに撮るから、その役をちゃんと把握しておいて、自分で芝居をちゃんと構築していかないとだめですね。そうしないと脈絡のないものになっちゃうし、鈴木さんにやられちゃう。