桜映画社と北欧映画
DVD『昭和30年代の日本・家族の幸福 夫婦編』(絶版)
野村は松竹京都で監督した『剣風次男侍』に先立ち、桜映画社で『妻と夫がけんかした話』(1957年)という34分の教育映画を監督している。選挙の啓蒙を目的とした作品で、紀伊國屋書店から『映画で見る昭和30年代の日本・家族の幸福(しあわせ)』というDVD-BOXに収録されているので、現在でも比較的手軽に見ることができる。田舎での権利誘導的な旧弊な選挙をユーモアたっぷりに批判し、新しい意識に目覚める様子を軽妙に描いた啓蒙映画である。
映画が始まると国会議事堂が映り、衆議院の解散する場面の実写からはじまる。そこにメインタイトルとクレジット。山あいのどこかの田舎町。村の小学校で先生が生徒に選挙のポスターを描くことを通して選挙について考える授業を行っている。外では選挙カーが走り回り、候補者の名前をがなり立てる。スピーカーの大音量が村に響き渡る。いつもと変わりない選挙の風景から物語が始まる。ナレーションが村の選挙は村の利益を優先し、候補者は順番で決めるという習わしがあることを語る。畑で働くお浜さん(戸田春子)は選挙カーのスピーカーから聞こえる声を聞いて、3年前の出来事を思い出し、嫁の正子(小沢弘子)に語りかける。
正子が浜さんの長男・一郎(綾川香)に嫁いで1年になろうという頃、村では村会議員を決める選挙があった。家族は事前で次の順番として村会議員になる候補者について、すでに当選したら橋を直してほしいなどと話している。ところが村人がやってきて、婦人会と青年会が候補を立てたため、無投票だと思われた選挙は激戦になっているという。その結果、順番で当選するはずだった候補者は1票差で敗れる。その1票を対立候補に入れたのは嫁の正子だった。そのことから村中大騒ぎになる。一郎の家でも正子をかばって選挙は自由だという一郎と、世間や親に背くことは許されないという父は対立した。
浜さんは婦人会で嫁の正子が対立候補に票を入れたことを謝罪した。婦人会ではどこの家でも旧弊な考えの親と新しい考えを持つ子供たちとで対立しているという話になった。そこで青年団を呼んで話し合うことになり、婦人会・青年団・PTAで合同芝居が行われることになった。寸劇は村の選挙の実態が無知な農婦を村の有力者や男たちが誘導するものだと風刺的に批判し、村人を啓蒙する内容だった。
そして再び選挙がやってくる。相変わらず旧い選挙のやり方を押しつけようとする夫に対し、お浜さんや若い世代は自分の意志で候補者を選び、投票することを告げる。
脚本は鮎川美子、吉田功、野村企鋒の3人連名になっているが、プロットは各地の婦人会の幹部、市川房江(婦人活動家・元参議院議員)、坂西志保(学者・評論家)といった女性たち、日本青年団協議会の意見を参考にして作られたという。農家の嫁の立場からそれまでの男性中心の地域エゴや旧い選挙への異議申し立てが描かれているのは、そうした経緯によるものと思われる。企画は都道府県選挙管理委員会、自治省選挙部の後援による。ロケ地は長野県東筑摩郡筑摩地村。
製作母体の
桜映画社は、1955年に、東京都の地域婦人団体連盟(地婦連)をはじめとする各地の県婦連の幹部その他46人の有志によって設立された教育映画・文化映画の独立プロダクション。桜映画社という名は、母親プロダクションらしい名前を、ということから命名されたという。代表で『妻と夫がけんかした話』の製作者でもある村山英治は、『警視庁物語』シリーズなどで知られる東映の監督・村山新治の実兄。「桜映画の仕事 1955→1991」(新宿書房、1992年)所収の村山英治の回想「映画に生きる(私的回想)」によると、プロダクション旗揚げからまもなく東宝争議で失職した若いスタッフが合流してきたという。大映をレッド・パージされ、歌舞伎座プロで劇映画を監督した野村企鋒が、『妻と夫がけんかした話』を撮ったのも、そうした土壌があったからだろう。だが野村が桜映画社で撮った作品はこれ1作だけだったようだ。
続いて、野村企鋒の足跡が確認できるのは、意外にもテレビの世界である。メディア史研究者の松井泰弘が、日活からNHKに移籍し、美術デザイナーを務めた小池晴二に取材した「テレビ放送開始 毎日映画を作ってた
『NHKフィルムドラマの会』」によると、NHK初期のテレビ映画は外部から監督を招聘したといい、若杉光夫、斎藤光夫、金子精吾、山田達雄、小野田嘉幹とともに、野村企鋒の名前も挙げている。調べてみると、城山三郎原作の『テレビ指定席 社長室』(NHK、1961年4月23日放送)のほか、NTVで『我が家の代表選手』(年度不明)と『あの町この町』の挿話『風来坊物語』(1963年)という作品がある。テレビドラマデータベースによると、後者は「正しい公明な選挙と明るい政治の啓発を、ホーム・ドラマの形式で視聴者にアピールしたもの。本作の1エピソード、『風来坊物語』には、本格デビュー前の水前寺清子が本名で出演している」(2016年9月27日閲覧)となっている。どうやら『妻と夫がけんかした話』と同様の選挙啓蒙作品らしい。
『我が家の代表選手』と『風来坊物語』の製作プロダクションは北欧映画(代表・中筋隆久)。1950年に設立された、スウェーデン映画を中心に配給していた会社で、作品にベルイマンの『愛欲の港』やシェーベルイの『令嬢ジュリー』、さらにガンスの『悪の塔』などの名がある。その一方、教育映画の製作にも手を染めていたようで、野村企鋒はしばらくここを拠点に仕事をしていたようだ。その後、北欧映画はヘラルド映画に吸収合併される。