コラム 『日本映画の玉(ギョク)』Jフィルム・ノワール覚書⑤『蜘蛛の街』の登場   Text by 木全公彦
『蜘蛛の街』タイトル
『蜘蛛の街』の全体像
疾走する車のボディを豪雨が激しく叩いているオープニング・タイトルから驚かされる。じゃんじゃかと鳴り響く伊福部昭の音楽が『ゴジラ』(1954年、本多猪四郎監督)そっくりなのである。もっともそのルーツは、『銀嶺の果て』(1947年、谷口千吉監督)で映画音楽家としてデビューした伊福部の第6作目にあたる松竹映画『社長と女店員』(1948年、大庭秀雄監督)にあり、そこでも明らかに『ゴジラ』のテーマそっくりな音楽がオープニングから鳴り響いていた。『ゴジラ』から遡行して古い映画を見ている者はびっくりするが、まあ考えてみればいつものことですナ、伊福部センセ。

さて、この車は警察の車両で、汚職事件の容疑者である某省の真田局長(宇野重吉)を護送中である。そこに一台の車が飛び出してきて、警察車両は木に衝突。不審な車から出てきた男たちに局長は拉致されてしまう。

画面は拉致事件を報じる新聞記事から、当時数寄屋橋にあった朝日新聞社東京本社前の街頭スピーカーに。事件のあらましがスピーカーから語られ、そのまま映像は雑踏を映し出し、ディゾルヴして多くの人々が職業安定所に詰めかける記録映像からの流用画面へとつなげ、次に渋谷の職安に職を求める榊原六郎(宇野重吉・二役)の姿を映し出す。六郎の手前で斡旋は打ち切られ、失意の六郎はわが家へと帰る。

『蜘蛛の街』六郎と鶴代
わが家というのはアパートである。帰宅した六郎は妻の鶴代(中北千枝子)に給料が遅配だと言う。会社が倒産し失業して求職中であることは言っておらず嘘をついているようだ。部屋にはベートーベンやシューベルトの肖像画がかかっており、テーブルの縁にピアノの鍵盤がペンキで描かれている。鶴代は一人息子の情操教育のため、いくつかの瓶に水を入れて吊るし、ドレミグラスみたいなものを作って息子に与えて遊ばせている。六郎が以前音楽にゆかりのある仕事をしていたのか、それとも単に音楽好きな一家なのか、映画はそのへんのところはまったく描かない。夫婦がお互いに「ロクちゃん」「つるっぺ」とニックネームで呼び合っているところから察するに、見合い結婚ではなく、幼馴染か友だち夫婦の類いか。

このアパートは、美術監督の木村威夫によると、新宿区の牛込地区に前年の1949年に完成した戸山ハイツがモデルだという(1996年4月23日、筆者によるインタビュー)。戸山ハイツは戦後の団地の先駆けのようなモダンなアパートで、その近代的なたたずまいは庶民のあこがれの的だったという。したがって今は失業者とはいえ、この映画の主人公一家は中流よりはややハイクラスの生活を送っていると想像される。それは音楽の教養が溢れている環境という設定からもそれが見てとれる。なお、木村はこの映画のために3階建てのアパートのセットを4棟ほど作ったそうだ。室内は当然セットだろうが、外景はどこまでがロケでどこまでがセットなのかよく見ても分からない。そんななかで子供がアパートの階段を登っていくところをクレーンのワンショットで撮った場面があり、ふいに『第七天国』(1927年、フランク・ボゼージ監督)を思い出してみたりもする。ともあれ『蜘蛛の街』は団地を舞台にした最初期の映画であることは指摘しておいてもよいのかもしれない。大映が団地映画の傑作『しとやかな獣』(川島雄三監督)を製作するのは12年後の1962年である。

『蜘蛛の街』場面写真1
さて、六郎は翌日も職探しに出かけるが、ひょんなことからサンドイッチマンをすることになる。その姿を倉崎(三島雅夫)が牛耳る怪しげな一味に目をつけられ、六郎が真田局長にそっくりなのを利用されてしまう。何も知らない六郎は高い報酬につられて仕事を引き受け、言われるまま着替えさせられ、付け髭をつけさせられて、指示のあった場所をなるべく人目に付くように歩くように言われる。六郎がうろついて痕跡を残すところは、下山事件で行方不明になった下山総裁が空白の時間に目撃された実際の現場とほぼ同じ。当時の観客はまだ記憶に新しい下山事件をいやおうなく想起したに違いない。そして指示どおり現場を歩いた六郎は、今日のことは他言するなと脅かされる。

翌日、新聞に行方不明だった真田局長の死体となって多摩川で発見されたという記事が出る。数名の目撃者の証言から自殺とされていた。その記事を読んだ六郎は初めて自分が真田局長の替え玉として利用されたことを知る。だが倉崎一味は六郎を脅かして口止めをさせる。そして一味の監視は執拗な脅迫へとエスカレートしていく……。