コラム『日本映画の玉(ギョク)』谷口登司夫が語る三隅研次   Text by 木全公彦
勝プロ時代
――三隅さんが勝プロで撮るようになってから、大映時代と変わったところありますか。

谷口勝プロのときは劇画の映画化が多いですね。だから描写もデフォルメしていろいろ工夫していました。劇画の吹き出しにある「ドバーッ」とか「ザクッ」とかそういう擬音をどう表現するか、ずいぶん悩んでましたね。『子連れ狼 死に風に向う乳母車』(72年)のときでしたか、加藤剛さんの首が斬られて飛ぶところを、斬られて飛ぶ首の見た目で撮ったことがありました。牧浦(地志)さんはあれでキャメラを何台か潰したんじゃないかな。

――大映時代はどっちかというと正統派時代劇で様式美の世界ですから、劇画はやりにくかったのかな。

谷口いや劇画調の派手な演出は工夫のしがいがあったんとちゃいますか。悩みながらもおもしろがっていましたよ。

――その時代になると、外国映画でも日本映画でもズームレンズをよく使うようになりますが、三隅さんはあまり使っていませんね。

谷口あまり好きじゃなかったかもしれない。勝ちゃんは好きだったからよく使っているけど。

『唖侍 鬼一法眼』
――勝さんは望遠レンズも多い。ニューシネマっぽい。谷口さんは勝プロの『唖侍 鬼一法眼』や『痛快!河内山宗俊』もなさっていますか。

谷口やったのもある。

――オーナーでもある勝さんは編集にも立ち合うのですか。

谷口自分の監督作品だけです。でも本当は全部自分が立ち会って、できるなら全部自分でやりたい。そうなると僕がいてもしょうがないから辞めさせてもらうわと言うと、そんなこと言わんとやってくれと言われて、それで揉めたことがあった。

――勝さんの発想や映像センスはすごいんですけどね。

谷口まとまりがないからね。他の監督でも勝ちゃんのアイデアに乗っかって撮ったはいいけど、どうつなぐかということは考えていない。それをやるのが僕やということで(笑)いつもシワ寄せが編集にくるんです。

――勝さんは三隅さんを高く買っていましたよね。

谷口三隅さんと森さんには勝ちゃんも文句を言わなかった。あんなに割り切れるもんかいなというほどお任せだった。