下母沢寛の「弥太郎笠」
「弥太郎笠」は「サンデー毎日」(1931年9月号~11月号、全10回)に子母沢寛が連載した最初の股旅長篇小説である(といっても100頁足らずであるから中篇小説といったところか)。1926年に東京日日新聞社に入社した子母沢は、27年から70回にわたり、「味覚極楽」を連載。翌28年「新選組始末記」を処女出版し、29年には「新選組遺聞」を刊行。31年には「サンデー毎日」の東京駐在員になり、最初の股旅もの「紋三郎の秀」を「サンデー毎日」に発表し、いわば上り調子にあるときに書き上げたのが、この「弥太郎笠」であった。
主人公の弥太郎は直参の家に生まれたが、武士を嫌いやくざ渡世の入った男である。二本差しの直参出身だから、通り名を〈りゃんこ(二本差し)の弥太郎〉という。弥太郎は上州松井田宿の貸元虎太郎のもとに草鞋を脱ぐ。虎太郎にはお雪という美しい娘がおり、弥太郎は短い逗留で彼女と愛し合うようになる。弥太郎は虎太郎の妾・お牧が虎太郎と反目するお神楽の大八と通じていることを知り、昔なじみの八州周りの役人・桑山盛助に頼んで、お牧が二股をかけていることを暴かせるが、それが大八の恨みを買い、虎太郎は大八一家に闇討ちにされてしまう。旅先から再び松井田宿に戻った弥太郎は、それを知り、一宿一飯の恩義とお雪への思いから、ただ一人で虎太郎の縄張りを取り戻し、ついに大八を追いつめ、妙義山で大八の仇を討つ。
子母沢は、同じ股旅ものの名手である長谷川伸の情感ある描写とは異なり、テンポのある歯切れのよい文体で、渡世に生きる者の義理人情を細やかにつづった。小田富弥の挿絵も話題になった。
子母沢はこの作品にふれて〈信州和田峠近く、馬の背を渡るような山つづきの屋根道で、かねて憎み合っていた若いやくざの旅人がぱったり出会った。辺りには人もない。一度やっとのことでからだをかわしたが、互に振向いた途端、一人が長脇差の抜討ちにぱっと上から斬り下ろした。こっちは身を反らしたので、被っていたさんど笠の前ひさしが二つに斬り裂かれたが、代りに下からすり上げるように脇腹へ斬り込んで、そのまま麓へ馳せ下りて来た。草鞋をぬいだ親分のところで、斬られたその笠が評判になり、馬鹿なもんで一時それが旅人間の流行りものになって、わざわざ笠を斬ったのをかぶり歩いたという。上諏訪の斎藤一家でこの話をきいて、これを押えにして、そこから私の『弥太郎笠』が出来上ったといっていい〉と述べている。
今まで映画化された作品は次のとおり。
①『弥太郎笠 去来の巻/独歩の巻』(32年、千恵プロ=日活)
監督・脚本=稲垣浩 撮影=石本秀雄
りゃんこの弥太郎=片岡千恵蔵 お雪=山田五十鈴 虎太郎=葛木香一 お牧=衣笠淳子 お神楽の大八=市川小文治 市場の吉=山本礼三郎 桑山盛助=海江田譲二
稲垣は翌年、再び子母沢寛の原作で『国定忠治 旅と故郷の巻/流浪天変の巻/霽れる赤城の巻』(33年、千恵プロ=日活)を監督する。両作のうち、とくに『弥太郎笠』は評価が高く、ヒットをしたため、さらに原作も売れ、そのことで稲垣は子母沢から礼状をもらい、自宅に招かれて厚遇を受けたという。
②『弥太郎笠』前後篇(36年、マキノトーキー)
監督=松田定次 脚本=立春大吉 撮影=大塚周一
りゃんこの弥太郎=沢村國太郎 お雪=月澄江 虎太郎=葛木香一 お牧=原駒子 お神楽の大八=志村喬 市場の吉=団徳麿 桑山盛助=葉山純之助
*前篇の監督は、マキノ正博と松田定次との共同監督という資料もある。
③『弥太郎笠』前・後篇(52年、新東宝=新生プロ)
監督=マキノ雅弘 脚本=松浦健郎 撮影=平野好美
りゃんこの弥太郎=鶴田浩二 お雪=岸恵子 虎太郎=沢村國太郎 お牧=村田知英子 お神楽の大八=三島雅夫 市場の吉=河津清三郎 桑山盛助=高田浩吉
④『弥太郎笠』(55年、東映)
監督=松田定次 脚本=浪江浩、中山文夫 撮影=河崎新太郎
りゃんこの弥太郎=片岡千恵蔵 お雪=高千穂ひづる 虎太郎=三島雅夫 お牧=山田五十鈴 お神楽の大八=新藤英太郎 市場の吉=加賀邦男 桑山盛助=大友柳太朗
⑤『弥太郎笠』(57年、大映)
監督=森一生 脚本=八尋不二 撮影=本多省三
りゃんこの弥太郎=市川雷蔵 お雪=浦路洋子 虎太郎=清水元 お牧=矢島ひろ子 お神楽の大八=柳永二郎 お吉=木暮実千代 桑山盛助=夏目俊二
⑥『弥太郎笠』(60年、東映)
監督=マキノ雅弘 脚本=観世光太、村松道平 撮影=三木滋人
りゃんこの弥太郎=中村錦之助 お雪=丘さとみ 虎太郎=大河内傳次郎 お牧=日高澄子 お神楽の大八=藤田進 市場の吉=千秋実 桑山盛助=東千代之介
マキノには子母沢寛の原作から自由に翻案した『りゃんこの弥太郎』(55年、新東宝)という作品もあり、小泉博がりゃんこの弥太郎を演じた。これもなかなかの快作。