見えない敵
ところで、前述したように宇野宗佑の「ダモイ・トウキョウ」には、女性の軍医をはじめとして、ロシア人将校やゲー・ペー・ウー所属のロシア人とのささやかな交流が書かれているが、映画にはほとんどロシア人は登場しない。映画に遠景としてわずかに登場するロシア人は、実際は在日トルコ人によって演じられたそうだが、ほとんど劇中のドラマに絡んでくることもなければ、クロースアップさえない。これはどうしたことだろうか。
実はこうした描写は、『私はシベリヤの捕虜だった』に限ったわけではないのだ。日本の戦争映画には、戦中の戦意高揚を目的とした国策戦争映画から、戦後のアクション映画仕立ての戦争映画や反戦映画まで、一貫して敵の姿が描かれることはほとんどなかった。『加藤隼戦闘隊』(44年、山本嘉次郎監督)や『燃ゆる大空』(40年、阿部豊監督)といった航空機による戦争映画ならいざ知らず、『五人の斥候兵』(38年、田坂具隆監督)や『西住戦車長伝』(40年、吉村公三郎監督)など、いずれも戦闘中の場面ですら敵の姿ははっきりと明示されない。これを戦時中に製作されたハリウッド産の戦争映画と比べてみればよく分かる。たとえば『空軍』(43年、ハワード・ホークス監督)には戦闘中の描写に中に、怪しげな日本語を操る日本軍の兵隊が登場する。それに比べて戦中に製作された日本映画で唯一はっきりと敵の存在が描かれるのは、『第五列の恐怖』(42年、山本弘之監督)や『間諜未だ死せず』(42年、吉村公三郎監督)といった、いわゆる防諜映画だけで、それにしたところで敵側のスパイを演じているのは日本人俳優なのである。19世紀の中国を舞台にし、中国人の視点からアヘン戦争を描いた『阿片戦争』(43年、マキノ正博監督)には、策略を練るイギリス軍人たちが登場したが、演じているのは鈴木伝明や青山杉作といった、バタくさい容貌の日本人俳優だった。まるで
『テルマエ・ロマエ』みたいだ。
その中で唯一の例外ともいえるのが『私はシベリヤの捕虜だった』の脚本を書いた沢村勉が熊谷久虎と組んだ、戦前の代表作である『上海陸戦隊』(39年、熊谷久虎監督)で、原節子演じる抗日派の若い中国人女性が映画のサブストーリーを作っていたが、やがて映画の進行に合わせて勇敢で親切な日本兵を尊敬するようになるというところなんぞ、長谷川一夫と李香蘭主演の“大陸三部作”の先取りで、ここで問題にしている“敵”とは決定的に異なる。日本映画において応戦する敵の姿が描かれるのは、おそらく戦後の岡本喜八の登場からではないだろうか。とくに『独立愚連隊西へ』(60年)は画期的だった。そうした意味において、『私はシベリヤの捕虜だった』で、ほとんどソビエト兵が登場しないのは当然のことのように思われる。『私はシベリヤの捕虜だった』で描かれるのは、抑留された元日本兵たちが駆り出される森林伐採などの強制労働の過酷さ、寒さ、飢え、そして敗戦を迎えてもなお戦争中の階級がそのまま維持される理不尽な人間関係や、支配的な民主グループ、常に力のある方にすり寄り、威張り散らす人間の悪辣さなど、普通にイメージされる反共プロパガンタ映画とはちょっとずれたものなのである。
興味深いのは、戦時中に製作された国策戦争映画が『五人の斥候兵』のようなヒューマニズム路線から、次第に精神主義へと傾斜していく中で、最もそのことを奨励し、マスコミで多くの発言を残していたのは、沢村勉であったことだ。《リアリズムの尊重される時期はすぎたのである。新しい時代は、浪漫主義の復活を望んでいる。新鮮な理想主義の出現を待望している。映画は国民の精神に浪漫の旅をかかげ、理想の花を咲かせるだけの、みずみずしい弾力と歓喜をたたえなくてはならない。現実のありのままの姿を、いかに精細にあがきたててみたところで、それだけでは、もはや今日の芸術としての力はもちえない。現実に深く身をしずめたところから、高く理想をみきわめ、かくありたいと願う姿へ、すべての人々を導きあげる力をもってこそ、はじめて今日の芸術といえるのである。(…)現実以外の何ものをも信じようとしないリアリズムの方法を捨て、人間精神の可能性を信じ、理想にあこがれる浪漫主義、理想主義の方法をうちたてることである。》(「現代映画論」、沢村勉著、桃蹊書房 、1941年)
しかし『私はシベリヤの捕虜だった』を鑑賞した人が最初の抱く感想は、過酷な抑留生活の描写そのものもさることながら、同じ日本人でありながら抑留者たちに支配的に振る舞う民主グループやそれにすり寄る者たちの醜悪さなのである。それがあるからこそ、民主グループにすり寄って威張り散らす田中春男が、いざ帰国(ダモイ)の段階になって、その“熱心さ”を認められ、在留になるばかりか、より過酷な労働現場に行かされるという場面では、留飲が下がるとともに笑いが起きるのだ。結局、日本人の敵は日本人ではないのか。そんな印象すら受けるのである。