今回は、2014年2月22日にエスパス・ビブリオで行われた
「反共プロパガンダ映画を再見する」と題した、『私はシベリヤの捕虜だった』(52年、阿部豊・志村敏夫共同監督)の上映と講演イベントで、ざっくりとお話したことを、その場では話しきれなかったことも含めて、改めて本コラムでまとめてみた。
『ジェット機出動 第一〇一航空基地』
「京都新聞」2007年10月22日付朝刊に「京大教授陣に米が反共工作」と題する記事が載った。小見出しには「50年代、世論を誘導」「映画制作支援も」とある。それによると、
《一九五〇年代に日本の左傾化を恐れた米広報文化交流局(USIS)が日本で行った世論工作を詳述した報告書が二十一日までに米国立公文書館で見つかった。左派勢力が強かった京都大学の教授陣を対象にした反共工作のほか、日本映画やラジオ番組の制作、出版物刊行をひそかに援助、米国が望む方向への世論誘導を図った実態が細かく描かれている。》というリードに続いて、《報告書は、米政府情報顧問委員長(当時)を務めたエール大学の故マーク・メイ教授が五九年、日本に五週間滞在してまとめた。フロリダ・アトランティック大学のケネス・オズグッド助教授が発見、冷戦時代の米対外世論工作をテーマにした著書「トータル・コールド・ウォー」の中で明らかにしている。(…)報告書によると、USISは①日本を西側世界と一体化させる②ソ連、中国の脅威を強調する③日米関係の強化で日本の経済発展が可能になることを理解させる――などの目的で、五十の世論工作関連事業を実施。このうち二十三計画が米政府の関与を伏せる秘密事業だった。/この中には、USISが台本を承認して援助した五本の映画やラジオ番組の制作、出版物刊行、講演会開催などがある。特に、五七年十二月に封切られた航空自衛隊の戦闘機訓練を描いた映画を、日米関係や自衛隊の宣伝に役立ったと評価している。この映画はかねて米政府の関与がうわさされた『ジェット機出動 第一〇一航空基地』(東映、高倉健主演)とみられる。》
記事の中に登場する『ジェット機出動 第一〇一航空基地』は、1957年に東映東京撮影所が製作・公開した作品で、企画・根津昇、脚本・森田新、監督・小林恒夫といったスタッフの顔ぶれからは、とても背後に米政府が関与していたとは思えない。しかしながら、内容は露骨なまでの航空自衛隊のPR映画である。
一〇一航空団基地に入隊した中田(高倉健)ら3人の第一期操縦幹部候補生が、ラバウル航空隊生き残りである小谷二佐隊長(月形龍之介)の指揮のもとに、猛訓練を開始する。中田の兄は飛行機で戦死したため、父親(薄田研二)は中田が航空自衛隊に入ることには反対し、幼馴染の礼子(中原ひとみ)だけが中田を応援していた。同期の佐藤は許嫁と結婚したのもつかのま対地訓練中に事故死してしまう。ある日、航行中の貨客船に怪我人が発生し、救急支援の要請が入る。悪天候をついて、小谷隊長は血清を積んで基地を飛び立つ。隊長は空から洋上の船に血清を無事投下。そのニュースを聞いて息子の入隊を反対していた中田の父も初めて息子を許す。
『トップガン』(86年、トニー・スコット)のヒットに刺激されて東映が製作した『BEST GUY』(90年、村川透)といい勝負のインスタント映画の極みで、お手軽の上に出来も相当ひどい。こんな映画を見て、航空自衛隊に入ろうと思う者はよほどお目出度い奴と言わねばならないが、逆にいえばあからさまにプロパガンダ映画でありながら、その出来の悪さゆえにプロパガンダの役割を果たしてないともいえる作品になっているところは、苦笑してしまうしかない。
春名幹男が「秘密のファイル CIAの対日工作」(新潮文庫、2003年)で、USISの裏でCIAが工作した映画としてこの作品の名を挙げ、脚本の森田新とヒロインを演じた中原ひとみに取材をしている。「高倉健さんはパイロットの役だった。特に好戦的な映画でもなかった。私には軍隊経験がなく、戦前のパイロットから経験談を聞いてつくった。制作の背景については何もしらない」(森田新)、「若いころの作品で、内容はほとんど覚えていません。当時、作品の背景は何も知りませんでした。普通の作品だったと思います」(中原ひとみ)。
アメリカもおカネを出すなら、もっと内容にも口を突っ込んでしかるべきだったかもしれない。