コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 座頭市・その魅力【その2】   Text by 木全公彦
(承前)

『座頭市』は、大映の屋台骨を支える主力シリーズに急成長し、勝新太郎の『悪名』『兵隊やくざ』とともに、勝新三大シリーズとして、俳優・勝新太郎の代名詞にもなった。盲目、酒好き、女好き、博奕好き。居合斬りで次々と悪い奴らをぶった斬る。

異色のハンディキャップ・ヒーロー
映画史上、それまで座頭市のようなハンディキャップを持つ異形のヒーローがいなかったわけではない。サイレント時代、3社競作で話題を呼んだ林不忘原作の『大岡政談』に登場する丹下左膳などは、その代表格だろう。とりわけ日活で伊藤大輔が大河内伝次郎とコンビを組んだ連作は、伊藤&大河内コンビの当たり役となったほどである。事実、シリーズ第1作『座頭市物語』(62年)を監督した三隅研次の監督デビュー作は、大河内主演のリメイク作『丹下左膳・こけ猿の壷』(54年)なのである。伊藤大輔が森一生に脚本を提供した『薄桜記』(59年)で、浪人たちに斬りつけられて地面に横たわった市川雷蔵が深手を負いながらも剣を振るう悲壮美を描いた人とあることを思い出してみよう(『薄桜記』は久々の雷蔵・勝新共演作でもある)。伊藤大輔が身体欠損に執着する映画作家であることは、これまでもよく指摘されている。シリーズ初めて伊藤が脚本を担当した『座頭市地獄旅』(65年、三隅研次監督)で、冒頭の場面で市に不具にさせられた浪人たちが市を付け狙う異様さは明らかに伊藤の趣味の反映である。しかし座頭市が丹下左膳と決定的に異なるのは、権力に利用され、「おめでたいぞよ! 丹下左膳」と自嘲する左膳が修羅そのものの怪物であるのに対して、座頭市が人生の裏街道を生きる流れ者のやくざとして人間らしい後ろめたさと矜持を持っていることだろう。

『不知火検校』に引き続き、『座頭市物語』の脚本を執筆した犬塚稔によれば、「私はこの脚本に、座頭市の人間性をやくざという人生の裏街道をとぼとぼ歩く自卑した盲人として描くことを考え、対人には頭(かしら)を低く垂れ、言葉穏やかに振る舞う、静かな男であるが、一変すると、激しい怒りをむき出しに居合斬りの凄まじい技を見せるが、その一方に盲人特有の吝(しわ)い面や女に脆い性格も笑いの要素として書き込むつもりでいた」(犬塚稔著「映画は陽炎の如く」、草思社)ということなのである。犬塚は、シリーズの骨格を作った初期作品の脚本を手がけ、実質的には座頭市の生みの親といってもよい。