コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 やっとかめ、名古屋のマキノ(外伝)   Text by 木全公彦
知られざるコンクリート職人
山神社の住職に教えてもらって、そこから東南に歩き、泉楽通を曲がり、東昌禅寺まで足を延ばす。1612年、愛知県豊川の大村の庄屋、浅野喜太夫が過ちを冒し、斬首されるところを、花井寺の住職・日州和尚が吉田城主に命請いをして助命されたことを感謝して、花井寺の末寺として浅野喜太夫が建立したのだという。その後は豊橋に移転。1928年に現在の場所に移転された。境内には豊川遊郭の女郎たちの慰霊碑がある。

道徳観音[2012年撮影]

道徳観音[2012年撮影]
寺門をくぐると、緑のペンキでノッペリと全身を塗ったコンクリート製の観音像の姿が目に飛びこんでくる。土台の高さ100cm、台座の高さ20cmの上に据えられた全身235cmの道徳観音である。住職が留守だったので、家人の話を聞く。ケバケバしいのは1997年に観音像を管理する檀家の人たちが勝手に塗り替えたからだという。それにしてもこのあまりにも身も蓋もないペロリとした造形と、薄っぺらな色使いからは、少しもご利益を感じさせないところがすごい。ん? ちょっと、待て。この造形、この色使い。そしてコンクリートのぞんざいな表面。道徳公園のクジラのモニュメントに似ていないか?

――ということで調べた結果、そのとおりだった。作者は愛知県海部郡出身のコンクリート製彫刻・建造物職人の後藤鍬五郎(1892~1976)という。道徳公園のクジラのモニュメントや道徳観音の製作のみならず、マキノ中部撮影所で『實録忠臣蔵』が撮影されるときは赤穂城のセットまで作ったというお人である。全国区で知られているような人ではなく、どうやら仕事場があったこの地域を中心にして名古屋市港区やその周辺という限定的な地域で活動した、主に昭和ひとけたに活躍したアーティスト(?)というか、職人(?)というか、まあ言い方はよく分からないが、名古屋の人でもほとんど誰も知らないけれども、この地域だけではかつては割合知られた人であるそうな。有名なところに、東海市の聚楽園にある大仏とか阿形・吽形の仁王像とか。

後藤鍬五郎の経歴と作品群はHP「名古屋コンクリ造形師列伝~山田光吉&後藤鍬五郎伝説~」を参照。道徳公園のクジラのモニュメントは、2011年、名古屋市が認定地域建造物資産第25号に認定したものであるそうな。名古屋市役所のHP「名古屋市 city of Nagoya」によると、[クジラ像は、東海市聚楽園や西尾市刈宿の大仏の作者で知られる後藤鍬五郎の手によるもので、戦前から現在に至るまで地域の人々に親しまれている。平成22年(2010)に名古屋開府400年を記念して行われた、名古屋の隠れた魅力を市民が再発見するという「夢なごや400」事業で、グランプリの「どえりゃあ大賞」に選ばれたという。