コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 ガミさんの遺言   Text by 木全公彦
ガミさんから依頼されたこと
「ちんこんか」
ガミさんは1940年3月2日、北海道白糠郡白糠村生まれた。進学校である道立釧路湖陵高校に進学するが、自分を育ててくれた親が実の親でないことを知り、グレ始める。卒業後、上京して演劇活動に足を踏み込み、NBK(日本文化協会)研究生になる。その頃の仲間にのちにピンク映画監督になる梅沢薫がいる。劇団世代結成に参加。青年プロに所属して、テレビ出演など多数。この頃、原田芳雄、石橋蓮司らと知り合い、テレビ『事件記者』『特別機動捜査隊』『鉄道公安三十六号』などに出演する。関西テレビ『海の野郎ども』(63)では準主役。『地下室のうめき』(63、増田健太郎)でピンク映画に初出演。若松孝二『鉛の墓標』(64)で初主演。60年代は若松孝二作品を中心に、ピンク映画各社で活躍する。初期は二枚目を演じることが多かったが、70年代以後は、山本晋也監督の『女湯』『痴漢』シリーズなど常連としてコメディ演技も披露した。六邦映画『性宴風俗史』(72)で監督にも進出し、ピンク映画、ゲイ映画、AV(『ボッキー』は人気シリーズ)など多数の監督作品を手がける。巡回興行や各種イベントの司会、「北島三郎ショー」の舞台、『ウルトラマンダイナ』(98)など子供番組まで幅広く活動する。著書に「ちんこんか ピンク映画はどこへ行く」(三一書房、1985年)がある。晩年は脳梗塞の後遺症、閉塞性動脈硬化症、パーキンソン病などと闘いながら、それでもピンク映画に出演。息子はAV男優のトニー大木。


「日活ポルノ裁判」

「権力はワイセツを嫉妬する」
後日、ガミさんに斎藤正治がキネマ旬報に連載していた「日活ロマンポルノ裁判ルポ」をまとめた単行本「日活ポルノ裁判」(風媒社、1975年)、「権力はワイセツを嫉妬する」(風媒社、1978年)、それに小川紳介、土本典昭、東陽一らが作成した検察への抗議声明の小冊子、映倫の社史や審査員だった人の回顧録などをまとめて送った。

なぜガミさんはそれらの資料を使って、日活ロマンポルノ裁判を調べていたのか。再び佐助での打ち上げの日に戻る。
「どうするんですか、そんなことを調べて」
と訊ねた。
「あんたは俺が映画監督もやっていることを知ってるか?」
とガミさんが訊くので、
「ええ、まあ。『涅槃の人』とはなかなか面白かったです」
と答えるとガミさんは嬉しそうに笑った。
「あれ、なかなかよかっただろ。それじゃ、梅沢薫の映画は見たことあるか?」
「ええ、大和屋(竺)さんが脚本を書いた『引き裂かれたブルーフィルム』(69)や『濡れ牡丹 五悪人暴行篇』(70)は傑作でした」
と答え、そのときガミさんが梅沢薫と古くからの知り合いだったことに気がついた。
「ああ、大和屋さんね、あの人は独特の味があった。そうかそうか」
とガミさんは頷くと、酔眼でこちらを睨みつけるような表情になって話しだした。

1971年、経営危機に陥った日活は、ロマンポルノ路線に舵を切る。そしてその年の11月、『団地妻 昼下がりの情事』(西村昭五郎)、『色暦大奥秘話』(林功)によって日活ロマンポルノはスタートする。ところが、翌1972年1月、『恋の狩人・ラブハンター』(山口清一郎)、『OL日記・牝猫の匂い』(藤井克彦)、プリマ企画製作の『女高生芸者』(梅沢薫)の3作品が警視庁に摘発され、さらに4月、追い打ちをかけるように『愛のぬくもり』(近藤幸彦)も摘発される。そして警視庁は270人に及ぶ関係者の事情聴取をしたのち、日活の堀雅彦社長や村上覚映画本部長など137人を、刑法175条の猥褻図画公然陳列罪と同配布容疑で、映倫の荒田正男、八名正、武井韶平の三審査委員を陳列・配布の幇助容疑で、東京地検に書類送検する。1978年の一審では日活関係者、映倫審査員ら9名に無罪、1980年には高裁が一審判決を支持し、検察側の控訴を棄却し、被告人全員の無罪が決定した。これが世にいう日活ロマンポルノ事件とその後の裁判の簡単な概略である。

「ところがだ。摘発された映画の監督はだな、山口清一郎も藤井克彦も近藤幸彦も起訴されたのに、一人だけ起訴されなかった監督がいるんだな」
そこまでしゃべると、ガミさんはいったん話を切って、焼酎で唇を湿らせて、少し声を張り上げた。
「梅沢薫だ」
飲むといつもはしご酒をするほどしつこいと言われているガミさんだが、すでに呂律の怪しい声で睨みつけるように言った。
「代わりにチューさんだけが引っ張られた」
“チューさん”というのはAV界の巨匠・代々木忠のことである。ただし、その頃は本名の渡辺輝男を名乗っていた。『女高生芸者』はプリマ企画が製作したピンク映画を日活が買い上げた作品で、プロデューサーはプリマ企画の代表を務める渡辺輝男こと代々木忠である。ガミさんは私が代々木さんの会社で働くスタッフと仲がよく、私が代々木忠率いるアテナ映像の事務所へよく遊びに行っていることも知っているので、それを前提に話しているらしい。
「その梅沢薫が検察側の証人として裁判所に出廷したときはみんなびっくりしたんだ。あれは絶対、ウラ取り引きがあったと俺は睨んでいるね。検察側の証人として出廷する代わりに、告訴をしないという約束ができていたんだと思う。ほら、エリア・カザンと一緒だろ」
 ガミさんはそこまで話すとまた焼酎をあおった。
 「どうするんです、それを調べて」
 と僕が訊ねると、ガミさんは
 「映画にする」
 と言った。

 そして後日、頼まれた資料を送ったというわけだ。