アルバム『ラウンド・アバウト・ミッドナイト・レガシー・エディション』
酒井眞知江著『ニューポート・ジャズ・フェスティバルはこうして始まった』
DVD『真夏の夜のジャズ』
ジョン・スウェッド著『マイルス・デイヴィスの生涯』
上島春彦/遠山純生著『60年代アメリカ映画』
アルバム『ミセラニアス・デイヴィス 1955-1957』
ニューポート・ジャズ・フェスティヴァル1955
ところで最近、アルバム「ラウンド・アバウト・ミッドナイト・レガシー・エディション」という二枚組が発売された。「レガシー」じゃなく「スペシャル」だという話もあるが、まあどっちでも良いらしい。良くないのかもしれないがちょっと今、分からないので玉虫色の記述にしておきたい。どっちでも検索ヒットするのは確かめてある。アルバムのオリジナル盤では全六曲収録、現在のCDではこの際のセッションで同時に演奏された四曲も収めて全十曲収録、いずれも一枚物である。じゃ、「もう一枚というのは何?」と思ったら、異なるセッション時のライヴ音源であった。別なのを入れるのは反則ではないか、などと言っては(とりあえず)いけない。それというのも一曲「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」がここでも収録されているからだ(他のはまた別なライヴを収録)。この曲の録音データに注目すると55年7月17日の第二回ニューポート・ジャズ・フェスティバル。
ここで「あっと驚く」のが正しいマイルス主義者である。実はこの音源こそマイルス完全復帰を聴衆にアピールした伝説のライヴなのだ。公式音源のリリースはこれが初めて。本盤「目玉」はこれと分かる。
前回冒頭にジョージ・アヴァキャンによる本盤オリジナル・ライナーの後述ポイントを挙げておいたが、その⑥ニューポート・ジャズ・フェスティバル、と⑦「彼は復帰してはいたのだが、彼の演奏を耳にした者はまだいなかったのである」という二点に触れることにしよう。
ニューポート・ジャズ・フェスティバルは野外で行われるジャズ・フェスの先駆け的な存在である。詳しい歴史や裏話を知りたい方は「ニューポート・ジャズ・フェスティバルはこうして始まった」(酒井眞知江。講談社刊)を読んでいただきたい。最もよく知られるのは1958年第五回に開催された同フェスを扱った音楽ドキュメンタリー『真夏の夜のジャズ』“Jazz on a Summer’s Day”(監督バート・スターン、59)の舞台としてだろう。ニューポートはアメリカ上流階級層の避暑地で、このフェスも地元の名士ロリヤール夫妻(の特に奥方)がジャズ・インサイダー、ジョージ・ウェインをディレクターに推し立てて54年に始めたものだ。紆余曲折を経て21世紀の今もなお継続中のこのフェスではあるが、映画がらみでいずれ紹介することもあろう。また日本人ジャズマン、ジャズウーマンとの関連で
本連載第64回他に記述してあるが、今回はあくまでマイルス復活にスポットを当てていこう。
小川の①によると「当初、このフェスティバルにマイルスの名前は含まれていなかった。組まれていたのは、ズート・シムズ、ジェリー・マリガン、セロニアス・モンク、パーシー・ヒース、コニー・ケイからなるオールスター・クインテットだ。」そこに急遽マイルスを入れたのはジョージ・ウェインである。ジョン・スウェッドの「マイルス・デイヴィスの生涯」(シンコーミュージック・エンタテインメント)によると「モンクとマイルスを組ませる」というのがウェインのこの企画の要諦であった。二日目、17日のトリがオールスターズ、その四曲目に「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」が演奏されたのだが、そこでは「前年のクリスマス・イヴのレコーディングでモンクの伴奏を拒否したマイルスが、そのモンクとのデュオでテーマからトランペット・ソロまでを吹いてみせたのだ(①より引用)。」ウェインはもちろんこの録音時の件を知っていた。この件というのはいわゆる「喧嘩セッション」で、
本連載第51回に述べているので忘れた方は読んでいただくとして、ウェインにしても公の場でモンクとマイルスが喧嘩するのを期待したわけじゃないだろうが、にしても何かが起きてくれたらとは思っていたに違いない。で何が起こったかというと。以下①を引用。
「いつもと同じように吹いただけなのに、すごい拍手をもらった」。この演奏は〈マイルスの運命を変えるほどの名演〉というのがジャズ・ファンの間で定説になっている。このときのパフォーマンスがきっかけとなって、コロムビアと契約を結び、彼がスーパースターの道を歩むようになったのは事実だ。
本アルバム「レガシー・エディション」に初めて聴かれるこの一曲はそういう伝説的な演奏なのである。この時、客席にはジャズ評論家レナード・フェザーがいた。彼は小川にこう語っている。「麻薬と縁を切って以来、マイルスは健康維持のため、ボクシング・ジムに通うようになっていた。健康を取り戻し、引き締まった体を誇示するかのように、ストライプのジャケットに黒のボウ・タイを締めて、ステージに颯爽とした姿で登場してきたことを覚えている。」そして会場にもう一人、ジョージ・アヴァキャンもいた。「マイルスのソロが中盤にさしかかったところで(弟の)アラムが話しかけてきた。《マイルスの言っていることは正しい。彼とサインすべきだ――いますぐに。明日になったらみんな彼のカムバックを知ってしまう》。この言葉に後押しされてジョージの足は楽屋へと向かっていた。「弟アラム」というのは当然アラム・アヴァキャンで数年後に『真夏の夜のジャズ』の「編集者」とクレジットされることになる人物。実質の共同監督とも言われている。また『ゴッドファーザー』(監督フランシス・フォード・コッポラ、70)の企画をコッポラから奪おうとした男とされ、そのせいで「映画史的評判」が良くないがこういう「ジャズ史的業績」も一方にはあったわけだ。ついでに一言だけ言い添えておくと彼は監督としては原作ジョン・バース『旅路の果て』“End of the Road”(70)を残しているし、編集者としては『リリス』“Lilith”(監督ロバート・ロッセン、64)をやがて担当する。六十年代アメリカ映画史の「裏街道」を歩んだ要注目人物である。「60年代アメリカ映画」(遠山純生と上島の共著。エスクァイア・ジャパン刊)にもちらっと記したことがある。
この演奏もネット検索すると
Round Midnight-Miles and Monk at Newport7/17/55でちゃんとアップされている。しかしこれまでのアルバムを持っていない人は当然ここで購入しておきたい。ただし新盤中心のお店には置いてないが「ミセラニアス・デイヴィス 1955-1957」“Miscellaneous Davis 1955-1957”(JAZZ UNLIMITED)という海賊版は存在し、この際のライヴはそこでも聴ける。「レガシー」に入れてあるのはこれだろう。(続く)