映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第73回 「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」物語 その3
小川隆夫著『マイルス・デイヴィスの真実』

小川隆夫著『マイルス・デイヴィス コンプリート・ディスク・ガイド』

中山康樹著『マイルスを聴け!ヴァージョン8』

ソニー・スティット

アルバム『マイルス・デイヴィス・ウィズ・ジョン・コルトレーン・アンド・ソニー・スティット・イン・ストックホルム 1960・コンプリート』

アルバム『フリー・トレード・ホール 1&2』
ハイノートで飛ばしまくるマイルスの「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」
まずは平謝り。前回マイルスはハイノート(高音)がヒットしない、と無礼なことを書いてしまったが、ネットでこんな快調なのを見つけてしまった。Miles Davis & Sony Stitt:Round Midnight(マイルス・デイヴィス・アンド・ソニー・スティット:ラウンド・ミッドナイト)という検索タイトルのもの。環境の整っている方は是非お聴きください。通常トランペッター・マイルスをハイノート・ヒッターと言う人はいないし、本人だってそうは思っていなかっただろうが、やるときにはやるという好例である。もっとも60年代初期のライヴ音源にはトランペットを自在に操るマイルスを何度もリスナーは体験しており、私もあれこれ聴いてはいたのであった。忘れてたわけじゃないのだが口が滑った。ただしこの「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」を聴くのは初めて。
残念ながらネットには詳しい記載がないのでどういう音源かさっぱり分からないのだが、ことマイルスというジャズマンに限って言えば、こういう時にぱっと手に取ってどれどれ、と調べられる著作が結構そろっている。ずらずらと羅列しようかと思ったが、きりがないのでとりあえずこの音源を特定するために今、使った三冊だけ記しておく。と言ってもこれまでで紹介してきたものだ。まず①「マイルス・デイヴィスの真実」(小川隆夫。平凡社刊)、同じく小川の②「マイルス・デイヴィス・コンプリート・ディスク・ガイド」(東京キララ社発行。三一書房発売)、そして③「マイルスを聴け!ヴァージョン8」(中山康樹。双葉社刊)を前回の「ヴァージョン6」に替わって入手した。中山の本シリーズはこのヴァージョン8が最終刊のようだ。
この音源の場合、ソニー・スティットの参加が鍵だ。彼がマイルスと共演するのはとても珍しいから。調べてみると60年秋10月のマイルス・グループ・ヨーロッパ・ツアーから参加し、年明けに退団したと分かる。これは同年春のヨーロッパ・ツアーに参加したジョン・コルトレーンが独立してサキソフォンのメンバーが空席になったのを秋ツアーに補充したものであった。既述①「まったくマイルスとはスタイルが違っていたから、最初は断った。それでも熱心に誘ってくれるんで、わたしも重い腰を上げることにした。ヨーロッパにはいい思い出があったし、バンドのメンバーも旧知の間柄だったんで、音楽性の違いに問題がなければツアーは楽しいものになると思えた」、この言葉は小川が生前スティット本人から聞いている。また60年ツアーの音源は「マイルス・デイヴィス・ウィズ・ジョン・コルトレーン・アンド・ソニー・スティット・イン・ストックホルム1960・コンプリート」という四枚組CDがディスク・ユニオンからリリースされたことがある、と②で判明する。ちゃんと「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」を演奏している。
「言ってみれば、スティットの加入は苦肉の策である。音楽的にマイルスと彼との間には異質のものがあった。(略)マイルスはモード・スタイルに、スティットはビバップ・スタイルに固執しながらも、両者のソロは極めてスムーズに進む。まったく演奏に違和感がないのは、バックを務めるリズム・セクションの功績である。」なるほど。ここで「モード」と「ビバップ」の「スタイル」の違い、といった細部に筆を割いていると逸脱するばかりなのでスルーしておくが、面白いのはこのスティット入りメンバーの公式録音というものは存在しない、という点である。あくまで「ひと時の助っ人」として彼は考えられており、ツアーのライヴ録音も海賊版に近い性質のものだった。 というわけで③をひも解いてみる。すると多少は予想していたことだが次から次へとこの時のライヴが近年音盤化されているのが分かった(もちろん海賊版)。ただしその多くはスティットの前のコルトレーン時のライヴ。さてここからは中山康樹の大暴言大会になるので話半分で読んでいただいて結構だが「“コルトレーン別れの6部作”の次にくるのが、こなくてもよかった“スティットこれっきりの3部作”」とヨーロッパ・ツアー音源が位置づけられている。これは②と③の著作の違い、と関連づけられるのだが②は原則、公式盤のみを取り上げており、一方③は取り上げる価値ありと見なした音源全部を蒐集している。ディスク・ユニオン発売だったためにいわば「負けに負けて」小川はこのストックホルムでの一枚(4枚だけど)を入れた。一方、中山は海賊版業者の出した盤も片っ端から収めたのでこういうことになった(ただしさすがに中山も、業者じゃなく個人が勝手に製作したCDRは排除している。たいしたものはないそうだ)。コルトレーンの入った前期ツアーの6アルバムはここでは関係ないので後期ツアーのスティット三枚に専念。最後の1枚(10月13日録音)が小川も取り上げた「ストックホルム」盤で、最初の二枚(9月27日マンチェスター録音とあるから、まず英国からツアーが始まり、それが9月末だったと分かる)が「フリー・トレード・ホール1&2」として発売された。この二枚には「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」は収録されていない。というわけでともあれ中山評。

ジョン・コルトレーンがダダをこねて辞めたあと、マイルスは、とりあえず決まっていたヨーロッパ・ツアー用に誰かサックスを探す必要があった。しかし「これ」という人材もなく、「まっ、いっか」と雇ったのがソニー・スティットというわけです。取り柄といえばアルトとテナーの両方吹けることぐらい。ハナからピンチヒッターだったから、ちゃんとスタジオ・レコーディングする気もなかった。(略)あまりマジメに受けとめなくていい。

なるほど。さらに手厳しい評は続く。「なにが悪いって、スティットだ。もちろんスティットもそれなりのミュージシャンだから、ちゃんと吹いてはいる。しかし古臭いのだ、ワンパターンなのだ。新しい何かを生み出そうという姿勢がまるでない。ピンチヒッターであることに安住している。(略)『もらったギャラのぶんだけやっています』というだけの演奏にすぎない」と。うーん、厳しい、だが、これを読んでから小川隆夫の評を見直すと、実は同じことを書いてあると分かる。肯定的に書くか、否定するか、それが「違い」でモードのマイルスとビバッパー・スティットはそれぞれ自分の手法で演奏しているに過ぎない。厳密には上の中山評はマンチェスターでのライヴのもの。問題のストックホルム音源を中山はどう聴いたか。簡潔に済ませると「マイルスのヒット・パレード」、「スティットが入っているからといって妙に期待したり、はじめから投げたりしなければ」。「それ以上でも以下でもない」。これは凄まじい悪口と聞こえるであろうが、実はそうでもないとやがて分かる。結局「スティットがダメというわけではないが、(略)マイルス・グループでは活きない個性の持ち主だったようだ」。

アルバム『アン・コンセール・アヴェク・ヨーロッパ 1』
「逸脱しません」と書いて先を急いでいるつもりながら、それでも一向に問題の音源にたどり着いたという手ごたえがない。ストックホルムでの「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」にも中山はさほど高い評価を与えておらず「ムードだけ味わえればいいのだから、これで十分」と冷めた言葉に終始する。そういうわけで、もう少し③を調べてみることにした。②に記載がないのは明らかだから。すると同じツアーの海賊版ライヴがもう一枚リリースされていると判明。「アン・コンセール・アヴェク・ヨーロッパ1」“En Concert avec Europe1”(TREMA)である。60年10月11日のパリ録音で、ちゃんと「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」入り。ストックホルムの二日前だ。すると、こんな評価が下されている。

ジミー・コブのドラム音が前面に出て、一聴コルトレーン入りよりも迫力がありそうだが、タガはゆるみつつある。まるでコルトレーン以前の音源のよう。しかし弱点をカヴァーしようと吹きまくるマイルスがすごい。ここには、もうなんだって吹けちゃうぞのマイルスがいる。「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」、ブリッジのあと、マイルスがハイトーンをヒットする。

ははーん、どうやらこちらで正解でしょ。この盤を私は持っていないので確証はないものの、ネット音源の印象に一番近いのは確かだ。そして次に謎の一言が。「これ、次のサックス音とダブるからかっこいいのだが、スティット、そのマイルスに怖じけづいたか、まったく吹けないでいる。これがおもしろい。」最初の「これ」とはその前の引用の「ブリッジ」を指している。マイルスのブリッジのラストの音にスティットが自分の演奏をかぶせられなかった、という意味だ。そういうわけでやたらと長いイントロであったが、ここから前号の続きにようやく入ることが出来る。