現代音楽としての邦楽における尺八
レコードに記録されたこの楽曲の名盤と言えばまず「武満:ノヴェンバー・ステップス/小澤」“Takemitsu: November Steps / Ozawa”(BMG)を挙げねばならない。理由は単純で、録音期日が67年12月8日、つまり初演から一ヶ月後なのだ。指揮小澤征爾、ソロイストももちろん鶴田、横山。ただし演奏はトロント交響楽団であった。この曲はニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の創立125周年記念演奏会のための委嘱作品として四月から八月にかけて作曲されたものだが、初演に先駆けて小澤はトロント響でリハーサルを重ね、具体的な演奏と指揮のこつをつかんでいった。国民性ということなのか、あるいはオーケストラの性格か、ニューヨークで鶴田と横山が邦楽器の音を初めて出した時、多くの楽団員は極めて冷笑的な反応を示したという。烈火のごとく怒りを見せたのは小澤であったが、それというのもトロントでは楽団員にこうした態度は見られなかったのだ。むしろ楽団員の中から熱狂的な武満ファンが生まれ始めたほどだ。かくしてトロント響で武満、小澤録音というパターンがここから定式化されていく。
ライナーから音楽的特色を引いておく。船山隆による。「曲名の《ノヴェンバー・ステップス》は作曲者自身によって《11月の階梯》とも訳されている。尺八と琵琶とオーケストラによる一種の二重協奏曲ともいうべき形態をとり、尺八の響きがオーケストラのクラスターと結びついたり、琵琶の撥音がオーケストラのピチカートに対応したりしながら、実にユニークな音楽の空間を形成している。」この盤は小澤指揮によるトロント響の武満作品集であり、他に「アステリズム」“Asterism”、「グリーン」“Green”、「弦楽のためのレクイエム」“Requiem for String Orchestra”、「地平線のドーリア」“The Dorian Horizon for Orchestra”も収録されている。
最初にこの盤を聴いてほしい、という大前提の上の話だが、一枚ちょっと不思議な盤も紹介しよう。「フィールド・オブ・ミニアチュールⅣ」“Field of Miniatur IV”(ポリドール)である。何が不思議といって、この盤には「ノヴェンバー・ステップス」では「十段」しか収録されていないのだ。「?」と思ってよくよくパケ裏を読むと、全五曲、どこにもオーケストラの名前が記載されていない。実はこれ、武満の邦楽器使用のその時点での全作品から邦楽器パートだけを抜き出したものなのである。武満は邦楽について、また邦楽器についてこう書いている。
伝統的な邦楽は、この地上に存在する――または存在するであろう総ての音楽と等価値であり、それ故に私には重要なのである。(略)奏者の吹く行為、弾ずる行為から、私はいつでも音楽に対しての新しい目覚めを体験する。(略)伝統的な楽器によって音楽を書いた時、私は、音には自律したそれ自身の生活があり、音はその内部に深い歴史をもっていたという感慨にとらえられた。(略)私はこの場合琵琶なり尺八を、たんなる音響の素材として用いることはできなかった。そして、琵琶や尺八という楽器が私たちには極めて新しく響くものであるということが私をいつまでも当惑させたのだ。
このアルバムのコンセプトは邦楽的な見地からの武満音楽。つまり、アルバム制作者側が「ノヴェンバー・ステップス」の全曲版から邦楽の部分だけを勝手に抜き出したのではなくて、収録そのものが邦楽のみ。そうすることで制作者は、いわば現代邦楽が武満によって創造される様子のクローズアップをリスナーに感得させる。66年の「エクリプス」(演奏者 鶴田・横山)から始まった武満の演奏会用邦楽が67年「ノヴェンバー・ステップス」(鶴田・横山)、73年「秋」(鶴田)、「旅」(鶴田)へと展開する一種の音楽的ドキュメントになっている(もう一曲の「秋庭歌(しゅうていが)」はこの展開とは別系統の新作雅楽で、演奏は宮内庁式部職楽部)。ライナーで武田明倫はこう記す。「武満が邦楽のための作品においてやってきていることは、自我の意識をもつ現代の人間として、いってみれば甘美な香をはなつ伝統邦楽という架空の食人花の蜜を、危険を冒してすくい取り、新しい自己の音の世界を構築するという精神的冒険の連続だといってよいだろう。」
横山が武満徹によって自身の未知の部分を引きだされたのだとすると、邦山と廣瀬量平の場合にも同じ関係を見いだせる。「一九六〇年代の初めは、新しいことをやってみようとしても、あまりそうした曲はなかった。それで、洋楽の作曲家はどんな曲を書くだろうかということで、六〇年代後半になってから、松村禎三、廣瀬量平、牧野由多可、間宮芳生などの諸氏に作品を委嘱するようになった。(尺八演奏論)」以下本書よりまとめておく。邦山と廣瀬の出逢いはNHK「現代の日本音楽」で、66年「尺八と弦楽器、打楽器のための『燎』」録音。それからつきあいが始まり、69年「あき〜二つの尺八のための〜」、そして73年、廣瀬作品のみによる「第五回山本邦山尺八リサイタル」に続く。この音楽界のために「彩〜尺八・チェロ・打楽器のための〜」、「鶴林〜尺八独奏のための〜」、「ヴィヴァルタ〜尺八・チェロ・児童合唱・打楽器群のための〜」を発表している。
評論家吉田秀和はこの時期の廣瀬について、武満と比較した「二つの道」と題する評論を書いている。そこそこ長いものなので全文を引用するわけにもいかず、恣意的な引用では趣旨を損ねる可能性もないではないが、私の理解する範囲で総括したい。吉田が聴いたのはアルバム「尺八1969」(クラウン)で、ここに収録されたのは「尺八と弦楽器と打楽器のためのコンポジション」と「三つの尺八のためのハレ」である。前者では、西洋の楽器と日本の楽器が完全に融け合って使われていることを指摘し、優れた成果であると判定している。このことから彼は廣瀬の方法を武満に比べてみる。
武満は「邦楽と西洋の楽器とをうまくとけ合わそうとせず、これ以上鮮やかな仕方はないくらい強烈に、鮮烈に、対立させたのだった。」「そういう意味で、武満の――少なくとも、あの曲における彼の道と、廣瀬の――少なくとも、この曲における彼のそれとは、(略)百八十度ちがった方向をめざす二つの傾向であるといってもよい。」しかし吉田の考える両者の「本当の」違いはそこにはない。違いは廣瀬の音楽には武満の音楽の持つ「モデルニテ(現代性)」がないところにある(一応先に書いておくがそれが悪いという意味ではない。上島注)。廣瀬はライナーで自作についてこう記している。「自ら作曲したという実感よりも、もしかすると幾世紀も吹き継がれてきたこの楽器の霊達をして自由に語らしめるための、ささやかな場をしつらえただけではないか」。吉田はこの言葉からストレートに結論に至ったのではないのだが、とりあえずこう結論してはいる。「この音楽は『近代』というような未来に向かって開かれ流れてゆく思考からではなくて、むしろ過去も現在も未来も、みな未分化のままに感じとり、掬いとろうとする、ある超時間的精神から生まれたものである。」
武満の場合は逆で「矛盾を解消するのでなしに、その対立を自己の内部に激化すること」を通じて、「彼ら(自分のまわりに集まった音たち)に自由をとりもどしてやる」のだという。武満のモデルニテはそこにある。その上で最後の最後の結論。「氏(廣瀬)の創作は、武満の場合のように、彼自身は個性を捨てさろうと考えているにもかかわらず、実はまったく個性的で(略)まったく孤立した営みであるのとは正反対に、集団的思考のなかにできるだけ入ってゆきたがっており、事実、それにある程度成功したものかもしれない」。
本コラムは必ずしも廣瀬と武満の比較に拘泥するものではない。また吉田による批評が正当なものかどうかもとりあえず問題にしない。そういう場ではない。ただし、ここで吉田が聴き分けた現代邦楽の二つの傾向自体に正当な根拠を見たい。実は吉田自身もちらっと記しているのだが、廣瀬の感じ方自体「現代的」なもので、また武満が自然天然の理、といった感覚に身をゆだねる場面も少なくないのだ。だから極端な言い方をすれば、現代の邦楽作曲家は誰もが武満であり同時に廣瀬なのである。二つの傾向とは一人の邦楽作曲家の引き裂かれでもあろう。
邦山は、廣瀬が「武満徹氏の《ノヴェンバー・ステップス》とはまたひと味違った、山本邦山らしい尺八とオーケストラのためのコンチェルト(協奏曲)を書こう」と約束してくれていた、と述べている。その約束が果たされたのが「一九七九年のNHK委嘱作品《尺八とオーケストラのための協奏曲》によってであった。」邦山はオーケストラ作品における尺八ソロイストの孤独を語っている。音楽的会話を重視するジャズとも、間とノリを共有する邦楽とも異なる孤独。「しかし孤独に甘んじているわけにはいかない。コンチェルトであるからには、ソリストに存在感があって、ソリストが自分の判断で演奏する。」彼の孤独は、ここまで記述してきたことから総括的に結論づけるならば、西洋に対峙する東洋の緊張なのではあろうが、事実は邦山にこそ固有の緊張であり孤独なのである。トニー・スコットと唯是震一によって邦楽の外に出た瞬間から彼が担ってきた孤独。それが邦山の音楽であったのだとして良い。