映画音楽家コメダを振り返る
映画音楽家、舞台音楽家としてのコメダの仕事も見逃せない。既出「バレー・エチュード」は演劇用伴奏音楽で歌手ヴァンダ・ヴァルスカと共演している。十一曲目は彼女の集大成となる十枚組ボックス・アルバム“Piosenki Z Piwnicy-10CDs”からのもので「ド・ジエヴキ」
“Do Dziewki”を。ちなみに映画『夜行列車』(監督イエジー・カヴァレロヴィチ)の女声スキャットが彼女である。十二曲目はノヴィ・シンガーズで「トルペード」
“Torpede”。同題アルバムからのセレクト。ノヴィとは“New Original Vocal Instrument”の頭文字で、女1男3の四人組コーラス・グループだ。以上がイヴェントの前半、ポーランド人アーティスト篇であった。
引き続き「国外の共演者」篇に移る。まずスウェーデン人ベルント・ローゼングレンから。『水の中のナイフ』(監督ロマン・ポランスキー)のサントラ盤でテナー・サックスを吹くのが彼で、今回は彼のアルバム「プレイズ・スウィーディッシュ・コンポジションズ」“Plays Swedish Compositions”からの「ウォット?」“What?”が十三曲目。コメダは色々なスタイルのジャズを演奏できたが、いわゆる正統的なモダン派、ハードバッパーを必要な時にベルントを起用したのであろうとオラシオ氏。十四曲目は同じくスウェーデン人のエイエ・テーリン(トロンボーン)で「ジ・オープナー」“The Opener”。アルバム「アット・ザ・ジャーマン・ジャズ・フェスティヴァル1964」“At The German Jazz Festival 1964”から。星野はこの曲のことを「このバンドがモード奏法を完全に体得したことを見事に表わしており、この時期でここまでモード奏法をマスターしている演奏は、北欧では他にない」と述べている。十五曲目はデンマーク人トランペッター、アラン・ボッチンスキの「Bズ・ワルツ」
“B’s Waltz” 。テリンと彼は共に「バレー・エチュード」に起用された人材だ。アルバム自体はベント・イエーディク(テナー・サックス)の傑作盤「ダニッシュ・ジャズマン1967」“Danish Jazzman 1967”であった。
コメダが映画音楽を担当した作品で圧倒的に有名なのは『ローズマリーの赤ちゃん』(監督ロマン・ポランスキー)だが、時代的な要請というか趨勢がやはり微妙に違ったのか、映画音楽自体はコメダ風のジャズではない。そういう視点からはイエジー・スコリモフスキ監督が出国してベルギーで撮った『出発』の方が活きのいいジャズを響かせている。以下数名はこのサントラ盤に結集した人々である。
まずトランペッターはドン・チェリー。オラシオさんの解説を引くと「70年代にスウェーデンに移住。ポーランドの現代音楽作曲家クシシュトフ・ペンデレツキと環欧州フリージャズオールスターズとの共演盤『アクションズ』“Actions”やスウェーデンの先鋭的なジャズグループ、レナラマらとの刺激的な共演の一方、アフロアメリカンとしてのルーツを濃厚に漂わせたエド・ブラックウェルらとのセッションも知られるアウトサイダージャズミュージシャン。本イベントの裏ボス」とのこと。アメリカを起点に取るならば、もちろんオーネット・コールマン(アルト・サックス)グループのフロント陣の一人である。十六曲目はチェリーのアルバム「コドナ2」“Codona 2”(ECM)から「ドリップ・ドライ」“Drip-Dry”。
ギタリストはフィリップ・カテリーヌでオランダ人である。「西欧ジャズシーンを代表する奏者」で「プログレやジャズ・ロック、ジプシー音楽などジャンル横断的な活動も評価が高い」。十七曲目はアルバム「トランスペアレンス」“Transparence”から「ダンス・フォー・ビクトル」“Dance For Victor”であった。そしてドラマーはジャック・トロでフランス人。十八曲目はトロのアルバム「シンク・ホップス」
“Cinq Hops”から同題曲。ベースはジャン・フランソワ・ジェニー・クラーク。同じくフランス人。十九曲目は彼がマルチ管楽器奏者ミシェル・ポルタルのアルバム「メンズ・ランド」“Men’s Land”に参加した楽曲から「パストール」“Pastor”を。ヴォーカルはクリスティアーヌ・ルグラン。ミシェル・ルグランの姉であり、「スウィングル・シンガーズなど、60年代の先鋭的なヴォーカルプロジェクトになくてはならない存在だった偉大なシンガー」。二十曲目は彼女のアルバム「ヌル・ヌ・セ」“Nul Ne Sait”から「カラテ」“Karate”を紹介した。この他にも同サントラ盤にはエディ・ルイス(オルガン、仏)、ルネ・ユルトレジェ(ピアノ、仏)、ジャック・ペルゼ(アルト、フルート、仏)等も参加している。
こうした顔ぶれを見るにつけポーランド映画人、本稿で言えばポランスキー、スコリモフスキ、コメダにとって、西欧というのが遠いようで近い、近いようで遠いお隣だという観を強くする。当時のポーランドは共産圏だからイデオロギー的には西欧と敵対し、しかしながら文化的には西欧との親近感、というよりもほとんど合体感を伴って存在していた。コメダがサントラ盤を製作するのに選んだメンバーの洗練さはまさしく文化的一体感あればこそ。そうした意味からは、今回のイヴェントではかけられなかったものの『袋小路』(監督ロマン・ポランスキー)のサントラ音源製作のためにコメダが選んだ面子も興味深い。オラシオさんのレジュメを引くと「未発表録音でスポンテニアス・ミュージック・アンサンブル」との共演もある。ケニー・ウィーラー、デレク・ベイリー、ジョン・スティーヴンス、エヴァン・パーカーら英国ジャズの前衛の旗手たちとのコネクションもここで発生している」とのこと。
最後の二曲はこうしたコメダ人脈からの影響を得て派生したのではないか、とオラシオさんの言う二人のジャズマンのサントラ及びその関連作からである。まずはコメダと『出発』のサントラで一緒に仕事をしたテナー・サックスのガトー・バルビエリで、二一曲目は彼の代表作となった『ラスト・タンゴ・イン・パリ』(監督ベルナルド・ベルトルッチ)のテーマ「タンゴ」
“Tango”。そして二二曲目はトランペッター兼バンド・リーダー、ドン・エリスの『フレンチ・コネクション』(監督ウィリアム・フリードキン)のテーマ
“Theme From The French Connection”であった。エリスは変拍子を駆使したビッグ・バンド・ジャズで一世を風靡した人。かけられた音源はサントラではなく、アルバム「コネクション」“Connection”からのものである。コメダは『ローズマリーの赤ちゃん』に、その頃仕事のなかったエリスのビッグバンドを起用したのであった。