映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第56回 リスニング・イヴェント「アラウンド・コメダ」に参加して
クシシュトフ・コメダ
コメダ銀河系に浮かぶ惑星たち
本連載の第48回第49回第50回で「ポーランド映画とジャズ」の話題をオラシオさん(ポーランド・ジャズ専門ライター)のリスニング・イヴェントに関連づけて語った。オラシオさんは本拠地が東北で、必然、イヴェントもその多くは東北地方で開催されるのだが、時折、秋葉原のスペース「le tabou」で行われることがあり先日8月7日にも久しぶりに登場した。今回のコラムはその模様を紹介する。オラシオさん自身のホームページ「オラシオ主催万国音楽博覧会」でもその件はアップされたからそちらもご覧ください。今回のテーマは「アラウンド・コメダ コメダ銀河系に浮かぶ惑星たち」と銘打って、クシシュトフ・コメダ関連楽曲をかけることである。「アラウンド」というのがミソで、実はコメダ自身の楽曲というのは今回はなし。彼と関わった人物の演奏だけで構成されるプログラム。ポーランドにおけるコメダの位置づけがそこからわかる、というコンセプトなのだ。コメダの伝記とフィルモグラフィ、ディスコグラフィに関しては第50回の中で外部リンクが貼られていて、そちらを是非参照してください。ただし日本語ではない。いずれそういったもろもろのインフォメーションも加味した本連載におけるコメダ論をやらねばならないところだが時期尚早、というか私じゃまだ無理だ。
そういう次第なので今回、以下のコメントは全面的にオラシオさんのレジュメに拠りかかっている。注釈的に私のコメントも随時入れ、またその他にも幾つかの文献から参照、引用している。

まずかかったのはテナー・サックス奏者イエジー・ドゥドゥシ・マトシュキエヴィチによる演奏。彼とコメダはポーランドで公式にジャズが解禁される1956年以前からのジャズ仲間である。音楽マニアを意味する「メロマニ」というグループ名で、その時代にやっていたのはモダンというよりスイング系のジャズだったとのこと。
一曲目は映画音楽家でもあるマトシュキエヴィチのアルバム「映画音楽」“Muzyka Filmowa”から“Stawka Wieksza Niz Zycie”。そして二曲目は「スインギング・サンバ」“Swinging Samba”。どちらの音源も56年以前というわけではなく、後者など完全にいわゆる「クロス・オーヴァー・ジャズ」である。録音は60年代中盤から後半。今はこの言葉も使われなくなり「フュージョン」に取って替わられたが実質二つの言葉の意味は同じ。さらに言えばもっと昔には「イージー・リスニング・ジャズ」なんて言葉もあった。「ジャズ・ロック」という言葉も。
こうして様々な言葉を並べてくると概念としては「同じじゃない」部分も少しずつ見えてくるようだ。つまりこれらは音楽の内容的な区分でもあり、時代相の反映でもあり、その相関でもある。だからある音源を聴いてもそれをこれらの言葉のどれかに限定して規定するということは出来ないし意味がない。ただし、もちろん8ビートなり16ビートなりのリズムを使っていなければ「ジャズ・ロック」と呼ばれることはないし、同様にサンバのリズムを利用しなければ「スインギング・サンバ」と名乗るはずもない。
要するにここから見えてくるのはジャズが「スイング」から「バップ」へ、さらに「ハード・バップ」、「ファンキー・ジャズ」へと様々に枝葉を伸ばしていく際に、そこに必ずリズムの革新が導入されるということである。ここでマトシュキエヴィチが「スイングするサンバ」をやるというのもそうした意図があったのは明白だ。
同じ頃のアメリカではゲイリー・マクファーランドがアルバム「ソフト・サンバ」“Soft Samba”(UNIVERSAL)を発表している。ここに言うサンバとは南米の土着系リズムそのままのサンバではなく、それがアメリカのジャズ、ポピュラー音楽の世界に翻案されて導入されたものだというのを忘れてはならない。また、そもそもアメリカのジャズ・ミュージシャンが導入した「新しいサンバ」音楽とはブラジルの音楽業界が国家ぐるみで再編成・再創造したニュー・ミュージックであり、世界的な若者文化の興隆と同調していることも。こうした動きをフランス語では「ヌーヴェル・ヴァーグ」と言い、英語では「ニュー・ウェイヴ」、ポルトガル語では「ボサ・ノヴァ」と言う。いずれも「新しい波」という意味になる。