帝王と高僧のバトルを実況中継
DJ番組ならばここでその一曲を放送するところ。私がこの演奏を実際アルバムで聴いたのはもう数十年昔だが、それ以前からこの一件はジャズ評論家油井正一の軽妙な記述で私にはおなじみになっていた。今も続く雑誌「ADLIB」の創刊1973年秋号「特集マイルス・デヴィスのすべて」に掲載されたエッセー「あどりぶ寄席/帝王マイルスと高僧モンクの大喧嘩」である。これを読むとまさに「講釈師見てきたようなウソを言い」というヤツで、演奏を聴かなくてもその場で起きたことが完全に分かってしまう。かいつまんで紹介してみたい。
内容は、長屋のご隠居に八っつあんが「マイルスとセロニアス・モンクが喧嘩したってえじゃあないか。そのあたりのいきさつ」を、という次第で何と落語形式なのである。それによると二人の喧嘩の背景にはボブ・ワインストックの浅慮があったのだという。既述のパーソネルを今一度眺めてもらいたい。ミルト・ジャクソン、パーシー・ヒース・ケニー・クラークという三人は当時のMJQ(モダン・ジャズ・クァルテット)からジョン・ルイス(p)を抜いたものなのだ。実はこのワインストック社長、ミルト・ジャクソンは好きだがジョン・ルイスを買っていなかった。一言で言えばジャクソンの良さをルイスが帳消しにしていると思っていた。そこでMJQと別にルイス抜きのMJQ(ミルト・ジャクソン・クァルテット)録音をいくつか試みた。問題の「クリスマス・セッション」はその一環であった。
「(隠居)ところでその前日、すなわち1954年12月23日に、プレスティッジでもうひとつの重要なレコーディング・セッションがあった。これは知るまい。(略)これが翌日のセッションに大いに関連がある。MJQが〈ジャンゴ〉を吹込んだんだ。(略)〈ワン・ベース・ヒット〉〈ミラノ〉と、MJQの後世に残る録音を終えたところでワインストック社長が皆に言った。『明日はクリスマスだが、当社ではマイルスの録音をとる。諸君は全員これに参加してもらいたい』。ここで社長はフランケンシュタインのような笑いをうかべていった。『ジョン、きみだけはいらないよ。ピアニストはもっと大物を予定しているから。モンクだよ、セロニアス・モンク。文句あるまい?』」「(八)今夜は駄ジャレが多すぎるよ。」
翌日。マイルスはジョン・ルイス入りのMJQと共演するつもりでやってきているから、スタジオにモンクを見つけて「とたんにイヤーな顔をした」。「(隠居)マイルスは(略)語っている。『僕はモンクの演奏も作曲も大好きなんです。ただ僕のソロのバックで弾かれるのはたまらない。あれはサポートなんてもんじゃない。』(略)マイルスが好きな伴奏ピアニストはレッド・ガーランド、ウィントン・ケリーといった折り目正しい連中だ。そこでモンクに言った。『僕のソロのバックではピアノを弾かないでもらいたい。』」「(八)それでモンクが怒ったというわけか。」
「(隠居)そして、いよいよ〈ザ・マン・アイ・ラヴ〉のテイク2でハップニングがおこった。モンクが自分のソロすら途中で放棄しちまったんだ。(略)モンクのソロになった時、モンクはバックのテンポにさからってスローダウンしたピアノを弾きだした。ところがサビにかかる直前で、よほどムシャクシャしてきたらしく、突然弾きやめてしまう。驚いたのはベースのパーシー・ヒースとドラムのケニー・クラーク。だがさすがに名人級とて、ともかくバック・リズムはそのまま続く。このLPはボリュームをあげてきくと、一瞬ざわめくスタジオ内の空気もチャンと録音されているよ。」「(八)面白いね。それでどうなりました。」
「(隠居)スタジオの壁にもたれてこの有様をみていたマイルスが、やおらペットを口にあてて『続けろ、続けろ』と吹くんだ。するとだな、モンクが『いわれなくったって弾くよ、弾きますとも』といわんばかりに今度はイン・テンポで弾きだすんだ。マイルスの尾を引くトランペットに重なるピアノの音、ホッとしたようなスタジオの雰囲気がチャント捉えられている。話はそれだけだ。」「(八)するとつかみあいの喧嘩はついにやらずじまいで。つまんねえな。」「(隠居)やったらマイルスはその場で殺されていたよ。だけど八っつあん、ワインストックのジョン・ルイスいびりがもとで、結局歴史に残る名セッションが生まれたわけだ。」
言いかえれば、八木がモンクを再発見できたのは、ワインストックがジョン・ルイスを評価していなかったからだということになる。それにしても名調子とはまさにこれ。私以上の世代のジャズ・ファンならば、これを読んで「こんばんは油井、正一で、ございます…」と始まる彼のラジオ番組「アスペクト・イン・ジャズ」のキレの良い口跡を懐かしく思い出される方も多いだろう。
ついでに「ザ・マン・アイ・ラヴ」じゃなく、八木を驚倒させた問題の「バグス・グルーヴ」の方をどう描いているかというと。「(隠居)モンクのソロは、アンドレ・オデールのような口やかましい批評家ですら、『私の知る限り、ジャズ史上はじめての完璧なソロ』と絶賛した。」(略)「(八)あのフシのないキテレツなソロがですかい? ああいうのがジャズ史上はじめての名ソロねえ。(略)でもアタマに来たモンクがそんな名ソロを弾いたってのは不思議ですねえ。」「(隠居)いやいや、そういう例はジャズ史上に限りなくある。要するにお互いがカッカッと緊張して怒り狂っているときに、案外名盤が誕生するものなのだ。」
最近では「喧嘩セッション」と不用意に口走ると怒られ、「いわゆる喧嘩」セッションと留保しておかないと社会問題化(?)することが多い(ゆとり教育の弊害か)けれども、こういうのを読むとやはり「いわゆる」抜きで堂々と喧嘩、と言いたくなるのは私だけではあるまい。とりわけウィキペディアの
「セロニアス・モンク」の項目がゆとり教育的なジャズ言説の見本ということになろう。何しろ「モンク」と書いただけで「間違い」呼ばわり。正しくは「マンク」だとか、どうでも良い「正しさ」にばかり自信たっぷりなのである。なおMJQにとってマイルス名義の二枚のアルバムに比肩すべき姉妹アルバム「ジャンゴ」“Django”(Prestige)もこの際一緒に聴いておきたいところである。(続く)