モンクを弾く八木
セロニアス・スフィア・モンク。セロニアスは父の、スフィアは母の名から取られたもの。帽子と山羊ひげがトレードマークのジャズ・ピアニスト、また多くのオリジナル曲を作曲し自ら演奏した。最も知られるのは「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」と「ストレート・ノー・チェイサー」。1917年10月10日生まれ。82年2月17日ニューヨークで死去。十代からプロとして活動し、40年、ハーレムのクラブ「ミントンズ・プレイハウス」のハウス・ピアニストに雇われる。同店のジャム・セッションからバップ(ビバップ)が誕生したとされ、41年、その模様の録音盤「ミントン・ハウスのチャーリー・クリスチャン」“After Hours Harlem”(ヴィーナス・レコーズ)にも参加(一部)。チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーらと並ぶ、その推進者の主要メンバーとされるが長く「大衆的な人気」とは縁がなかった。ただしミュージシャンからの尊敬の念は厚く、自身のグループ以外にもマイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、アート・ブレイキー他様々なジャズメンとの録音を多く残している。
ジャズ人名事典風に手身近に(要するに音楽的側面をあえてオミットして)記述するとモンクはこんな感じだろうか。音楽ドキュメンタリーとして近年『ストレート・ノー・チェイサー』“Thelonious Monk / Strait, No Chaser”(監督シャーロット・ズウェリン、88)がクリント・イーストウッドのバックアップによりリリースされたことも話題となった。モンク作品について、またモンクのオリジナルと映画について、は改めて別に稿を立てたいと考えているが、今回は「八木正生から見たモンク」に限定して述べていきたい。
武満徹全集に聴かれる八木のジャズ・ピアノについては既に述べてあるので、そちらをお読みいただくとして、まずは彼のモンク集「八木正生“セロニアス・モンク”を弾く」(キングレコード、THINK RECORDS)を早速取り上げよう。録音は1960年7月13、14日。まず久保田二郎によるライナーノーツから引用する。「セロニアス・モンクとこのLPについて」、なお久保田は本アルバムの監修者でもある。
このLPは、その才能あふれるピアニスト八木正生を中心に、同じくわが国最高のアルト・サックス奏者渡辺貞夫、最有能な新人トランペット中野彰を配し、リズム陣に八木が最も信頼するベースの原田政長とドラムの田畑貞一を組んだものである。(略)演奏曲目は、われわれ製作者側と八木との間に十分の検討がなされた結果、全曲をセロニアス・モンクの作品で埋めようということになったのである。(略)モンクの作品は、その1,2を除いては、構造のむずかしさと特異な作風のために、あまり他のミュージシャンによって演奏されることはないようである。このLPでは八木正生以下全員が、なんらてらうことなく、真正面からこの難解なモンクととり組んで演奏している。このようにモンクの作品だけを1枚のLPに演奏するということは、アメリカでもほとんどないのであり、それが、ましてこのLPのように、同じピアニストが中心になったということは前例がない。八木は、モンクを深く研究分析している人であるが、モンクを通じ、そしてつらぬいて、自己の独創性を強く打ち出しているりっぱなミュージシャンである。
現在このライナーを読むとその引用後半分「あまり他のミュージシャンによって演奏されることはない」以降が不思議な感じだろうが、調べてみると確かにその通り。1960年の時点でモンク作品集というコンセプトは非常に珍しい。「ジャズ批評ブックス 定本セロニアス・モンク」(ジャズ批評社)の原田和典によればこの時点前後「レコード全曲をモンクのカヴァー・ヴァージョンで占めた第1弾は恐らくスティーヴ・レイシー(ss)の『リフレクションズ』“Reflections Steve Lacy Plays Thelonious Monk”(New Jazz)であろう」という。録音1958年。八木のアルバムはこれに続くもので録音60年。61年にはバド・パウエル(p)の「ポートレイト・オブ・セロニアス」“A Portrait of Thelonious”(Columbia)、ただし正確には全曲ではない。聴いていてこれはモンクじゃないな、と思いクレジット確認するとその通りでつまりモンクの曲というのは素人が聴いてもどことなくヘンだというのが逆に分かる。同61年にはジョニー・グリフィン(ts)とエディ・ロックジョー・デイヴィス(ts)のクインテットで「ルッキン・アット・モンク」(Jazzland)もある。おおよそこれ位。
そして八木がとり上げたナンバーは全八曲、「リズム・ア・ニング」、「オフ・マイナー」、「ラウンド・ミッドナイト」、「ミステリオーソ」、「ストレート・ノー・チェイサー」、「ブルー・モンク」、「モンクス・ムード」、「エヴィデンス」と今から見れば代表的なモンク・スタンダードのオンパレードで余計に奇異の感に打たれる。「ジャズ・ストレート・アヘッド」(講談社刊)の加藤総夫によれば「今でこそセロニアス・モンクの作曲したナンバーを取り上げるミュージシャンはかなり多くなっているが、それはごくわずかな例外を除き、一九八二年のモンクの死後、モンクの価値が再評価されるようになってからのことだ」とされる。ここに挙げた四枚はそうした「例外」に属するわけだが、中でも八木は人脈的に全くモンクとつながりがない、という点で「例外中の例外」と言えるかも知れない。
八木のエッセー集「気まぐれキーボード」(話の特集刊)が発売されたのは82年のこと。モンクが亡くなったのは、その「あとがき」が記される直前だった。引用する。
セロニアス・モンクが亡くなってしまった。二月十七日のことだ。この人のタッチを忘れることができない。その独特のタッチは他のピアニストたちと大きく異なるし、決して綺麗な音色のピアニストではなかったけれど、その乾いた音色は強くおれの心に残っている。レコードも沢山持っているし何回も何回も聴いたけれど、やはり生で聴いたセロニアス・モンクの音が忘れられない。録音では捉えきれない弦の鳴り方、音の減衰の仕方がとても好きだった。何といおうとおれにジャズの、否音楽の道を拓いてくれたのはセロニアス・モンクだし、あの「エラ・ヴォーン」で聴いたBag’s Grooveだった。安らかな眠りを祈る。
この八木の代表作アルバム以外での彼のモンク解釈や、奏法の特色などに関しては次回に回したい。