映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第37回 アメリカ60年代インディペンデント映画とジャズ    その3 即興演出映画『アメリカの影』の登場
物語とその背景
ニューヨークはマンハッタンで暮らす三人の仲のいい黒人三兄妹ヒュー、ベン、レリア。兄ヒューは売れない歌手、弟ベンはトランペッター志望と口では言うが要するにチンピラ、妹レリアは文章表現に才があると仲間内で認められている美少女である。弟妹ベンとレリアは外見がほとんど白人と変わらず、ベンの方はそれを意識してか白人のチンピラ自称芸術家たちとつるんで白人女のナンパに精を出す毎日。レリアはいわばおぼこ娘で自分の美しさにすらまだ自覚的でない年頃。一家の生計を稼ぐのはもっぱらヒューの役割で、いっぱしの歌手のつもりのヒューには親友でマネージャーのルパートが取ってくる仕事は屈辱的なものばかりである。けれど狭いながらも同じアパートで一家三人暮らしていけること、妹弟を何とか養っていけることにヒューは喜びを感じていた。なお原則この映画の配役名は俳優の名前と一緒である。もともとこの映画の物語は、カサヴェテスが組織していた演劇ワークショップで行われた即興劇の一つであり、従ってそれは現場で俳優がファースト・ネームを呼び合って練り上げていったものであるとわかる。映画の最後に「今見た映画は即興演出によるものです」との文字が画面に表れるが、厳密に言えば純粋な即興は原作においてのみなのは明らかだ。演劇の場合と異なり、劇映画を90分間即興で撮るのは不可能である。
映画はこの三兄妹それぞれを主演とする短いエピソードが、兄妹や他の登場人物を巻き込みながら交互に進行していく構成。簡単にまとめておくと。ヒューは歌の仕事でなくキャバレーのショーの司会をやらされてゴネる。無理やりそこに歌を入れたがさっぱり受けず、あっという間に打ち切られてしまいまたもクサる。ベンは、当時流行りのビート・ジェネレーション気どりの白人達とナンパに励むが、ちゃんと連れがいる女をうっかりナンパしてしまい集団でボコボコにされる。レリアはパーティーで知り合った白人トニーと結ばれるものの、トニーは彼女が黒人だと知らなかった。彼女をアパートに送ってきたトニーは、帰ってきたヒューを見て蒼ざめる。事情を一瞬で察したヒューはトニーを追い返した。それぞれのエピソードにはちゃんと締めもある。ヒューがゴネたことを仕事先の一つにバラされてしまったため仕事が一つキャンセルになり、落胆したルパートが愚痴るもののヒューが彼を逆に勇気づける。レリアは紹介された新しいボーイフレンド、今度は黒人のデイヴィーに散々突っかかるが、既に何となく一連の騒動をわかっていた彼にいなされる。二人は上手くいきそうな感じである。ベンはようやくチンピラ仲間と手を切ることにして夜の街に出て行った。ついでに書いておくと最初レリアが白人男(トニーではない)につきまとわれそうになっているのを助けてくれる男として、また最後にベンを殴りつける男としてクレジットなしでカサヴェテスも出演している。

物語設定についてカサヴェテスは述べる。「その頃にはぼくらはとても巧みに即興をこなすようになっていた。……ぼくはクラスの連中に近い何人かの登場人物を考え出して(略)登場人物たちの置かれた状況やその年齢を変更し続けた。あるクラスの講習中に、ぼくはとある即興にとても感銘を受けて言った。『おい、あれでものすごい映画が作れるぞ』。それは白人と思われている黒人娘についての映画だった。彼女は白人のボーイフレンドに黒い肌をした自分の兄を引き合わせて、ボーイフレンドを失ってしまう」。
彼はここから映画を作ろうと考え、ある晩ラジオ番組に出演すると「自分たちがクラスでやった劇について話し、それがいかに素敵な映画になり得るかを語った」。早速、製作資金を番組で募るとすぐにも2,000ドルが集まり、またシャーリー・クラークが撮影機材を貸してくれた。役者もスタッフもギャラ無しで働いた。撮影は57年の二月から五月にかけてである。「出来ごとや登場人物は俳優たちの実生活や実体験から引き出されたもの。事実、歌手志望のヒュー・ハードは、ワークショップの多くのメンバーより年上で少しだけ分別もあったので、若者たち(特にレリア)に対して兄貴分のような役割を果たしていた。レリア・ゴルドーニは何人かの少年たちから少し浮気者だと思われていた。トニー・レイは少し気どり屋でペテン師めいていた。ベン・カラザースはちょうど映画の中と同じように口先ばかりで実行が伴わなかった。そして実際に、自身の人種的素性と『経歴』に関する矛盾を抱えていた」。