映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第36回 アメリカ60年代インディペンデント映画とジャズ   その2 クラーク、ワイズマン、そして『クール・ワールド』(前回の続き)
マル・ウォルドロン「レフト・アローン」
心は孤独な二枚のアルバム
とにかく59年7月19日に彼女がわずか44歳で亡くなり、作詞者自身の音源が残される可能性は永久に失われた。代わりに発売されたのがマルによる追悼アルバム「レフト・アローン」“Left Alone”(BETHLEHEM)で、そこではホリデイのヴォーカル・パートをジャッキー・マクリーンのアルト・サックスが代演して畢生の名演とした。マクリーンが参加しているのはこれ一曲。全六曲中残り四曲はピアノ・トリオ、ラストは「ビリー・ホリデイを偲んで」と題されたマルによる語り(インタビュアーはテディ・チャールズ)である。
現在では名盤中の名盤扱いされているこのアルバムだがアメリカ本国ではほとんど評価されず、日本でも初リリース時には全く売れなかったらしい。小西啓一のライナーノーツには油井正一の言葉として「(初リリース時)恐ろしく売れず、まもなく廃盤になってしまったのである。それが“幻の名盤”として騒がれだしたのは、ひとえにジャズ喫茶からの口コミにあったのである」を引いている。小西自身のリアルタイム体験として「新宿の“ダグ”や“木馬”等といった店では、連日のようにこのアルバムがリクエストされ、皆んなが涙を流さんばかりに、聴き惚れていたことを思い出す」とも記している。お客さんの一番の楽しみが「レフト・アローン」にあったのは言うまでもない。
ところでアルバムのデータに今一度着目してみたい。セッションは59年2月24日、つまりビリー・ホリデイが生きている時点、マルが晩年彼女最後の伴奏者だった時点で行われている。この録音日時が正しいとすれば、マルは別にビリー・ホリデイが「死んだから」セッションを行ったというのではない。気にいったから演奏しただけで。要するにこの曲が録音されたのは偶然だったわけだ。だがアルバムが追悼盤としてリリースされた事実に変りはない。ジャケットにはこの曲のことをきちんと「ビリー・ホリデイに捧げられたマル・ウォルドロンのオリジナル」と紹介してある。歌曲は、ポピュラーでは一番ありふれたAABA形式で書かれ、サビのBパートを除くAパート各連の最後を“I’m left alone, all alone”と三回繰り返す。つまりこの歌の歌詞を透して二枚のアルバム「レフト・アローン」「オール・アローン」は双子の関係にあることになる。

実は全然関係ないのだが、やはりソロ・ピアノの歴史的アルバムに「アローン」“Alone”(VERVE)というのがある。演奏者はビル・エヴァンス。録音日時は68年9月と10月ニューヨーク市ウェブスター・ホールとなっている。これもまた時代から孤立した印象のアルバムであり、タイトルにもそれが反映しているのかも知れない。「アローン」という曲を演奏しているわけではないのだから。この原盤のライナーノーツはエヴァンス自身が執筆しているのだが、そのラストの部分を紹介しておきたい。「私のソロ・ピアノ体験は職業的にはほんのわずかに留まっている。ジャズにおけるこの偉大な伝統が、聴衆に広く流布する、単独のピアニストをディナーや会話での背景の如きものとして低く見る態度故に絶滅危機に瀕していることが悲しくてならない。それ故、私は望むものである。私の演奏が、これらの録音演奏で成し遂げたいと心から願った音楽的フィーリングを減ずることなく、十分な価値をリスナーにもたらしてくれることを」。
エヴァンスはこの後、様々なタイプのソロ・ピアノ・コンセプトにチャレンジして行き、豊かな成果をジャズ史に刻むことになるのだが、そんな彼でも初のソロ・ピアノ盤リリースに当たってはこうした(読み方によっては)悲痛なコメントを残していることを記憶しておいて良い。そして事態はマル・ウォルドロンにあっても同じ、或いはより深刻なものだったに違いない、と私は考えずにはいられないのだ。