レフト・アローン、オール・アローン
映画音楽家としてのマルは『クール・ワールド』以外にも『マンハッタンの哀愁』“Trois Chambres a Manhattan”(マルセル・カルネ監督、65)と『スウィート・ラヴ,ビター』“Sweet Love, Bitter”(ハーバート・ダンスカ監督、66)の音源制作を全面的に担当している。
前者は、サントラ盤は存在しないが、映画に使われた楽曲の再録音音源を含むアルバム「オール・アローン」“All Alone”(原盤GTA、発売ビクターエンタテインメント)がある。そして後者、映画は日本では公開されなかったがサントラ盤(impulse!)はちゃんと発売されている。『クール・ワールド』はあくまでガレスピーのトランペットが主役の音楽だったが、これら二枚ははっきりマルのピアノが主役。日本ではまだCDで『クール・ワールド』がリリースされていないこともあり、マルの映画音楽と言えば通常はこれら二枚がさしあたり参照されることになっている。マル・ウォルドロンのジャズの特質を探る上でもこの二枚は極めて貴重なスタイルを示しているので、ここからはこれらを詳しく聴いていこう。
アルバム「オール・アローン」の元になった映画『マンハッタンの哀愁』はニューヨークにロケーションして作られたフランス映画で、妻に裏切られた俳優(モーリス・ロネ)と、外交官の夫から逃れニューヨークに隠棲する女(アニー・ジラルド)の恋愛を描いている。監督は『クール・ワールド』を見てウォルドロンに音楽を依頼したとされるが、詳しいことはわからない。ウォルドロンはよく知られるように後年はヨーロッパを拠点にしており、この映画を担当することになったのも彼が当時パリにいたからだと思われるから、頼んでから映画を見たのかも。私はこの映画を見ていないが、映画ではヴォーカルやトランペット、サックスもフィーチャーされていた可能性がある。だとするとアルバムとは少し雰囲気が変るような気もするが、取り合えずアルバムの印象だけで話題を進めることにする。
「オール・アローン」は映画公開後の66年3月1日イタリア・ミラノで録音されたマル最初のソロ・ピアノ集である。65年にアメリカから出たマルはパリを経由し、67年からは西ドイツに住まうようになる、この66年作品はそういう意味では「さすらいの旅の途中の一枚」という感じだろうか。構成は、冒頭「オール・アローン」別名「クワイエット・テンプル」“Quiet Temple”とラスト「忘却のワルツ」“Waltz of Oblivious”の二曲が映画からの曲で残り六曲がアルバムのためのオリジナル。この六曲はボローニャ滞在中にその地で書かれたものやジャズ・オーガナイザー、シッシ・フォレスティーに捧げられたもの等いわばヨーロッパ印象記と総括出来るだろうが、映画のための二曲がそれらをはさむことで一種のコンセプト・アルバム「オール・アローン組曲」として聴けるようになっている。
この当時、ソロ・ピアノでアルバム一枚を作るというのは比較的珍しかった。もちろんジャズ・ピアノの始まりはブギウギやラグタイムからだからその頃から立派なソロ演奏だったわけだが、バップ以降は管楽器奏者を伴奏するリズム・セクションの一端を担うのがピアノの第一の役割となったためにソロイストのための機能が見失われてしまったところがある。ウォルドロン自身吹込みに際し当然それなりの意気込みはあっただろうが、先に述べたようにここでのソロというフォーマットは、むしろ彼がレギュラー・バンドを組める態勢に到る以前の過渡期的スタイルと見るべきだろう(来るはずだったベーシストとドラマーが何故か現れなかったという裏話もある)。このアルバムがジャズの歴史においてどこか孤立した印象を覚えるのはそれ故なのだ。
その一方、このアルバムが連なることになる音楽的系譜は原作映画から離れて、マル自身の音楽的伝統に他ならないという部分もある。タイトルの「オール・アローン」に注目してほしい。これはビリー・ホリデイの歌「レフト・アローン」の詞の最後から取られているのである。既述のようにウォルドロンはビリー・ホリデイの最後のレギュラー伴奏者(57年4月~59年7月)であり、最初に「レフト・アローン」の歌詞を読んだ一人でもある。楽旅の移動中の手持ちぶさたな機内で彼女から歌詞をあずけられたマルは早速それに曲をつけるのだが、結局ホリデイはこの歌をレコーディングしなかった。歌詞があまりにホリデイ自身の境遇を彷彿とさせたからかも知れないし、単なるタイミングの問題だったのかも知れない。或いはそんなに簡単に自分が死ぬとホリデイは考えていなかったという気もする。彼女とマルの共演盤には有名な「レディ・イン・サテン」“Lady in Satin”(CBS)等がある。録音は58年。