映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第33回 アンドレ・プレヴィンのジャズ体験   その8 西海岸派ジャズマンとしての勲章
ウェスト・コースト・ジャズと映画音楽の関係
話を映画『地下街の住人』に戻す。これの原作が発表されたのは1953年とウィキペディアの年譜ではなっており、それでは「路上」よりも以前ということになるのか。そうだったとしても彼らビート派が世間的に認知され、非難されたり拍手喝さいを浴びたりしている最中の映画化だったことは間違いない。上記のライナーノーツでは53年に元になる出来ごとが起き、酩酊状態の中で同年執筆され、58年発表とされている。実は原作を私は読んでいない。だがインスパイアされた出来ごとが53年のニューヨークであったにせよ、小説の舞台がサンフランシスコに変更されていたとすれば一応、ウェスト・コースト派のジャズが映画で演奏されていても全然おかしくはない。というかそれが自然である。
聞いたところによると原作にはジェリー・マリガン以外にチャーリー・パーカーも現れるそうである。そう聞くと、どうやらかなり原作と映画の波長は異なるようだ。映画の方にはパーカーが出てこないのは無論のこと、黒人の絶対数が少ない。白人主体で、等と言い始めたらキリがない。要するにウェスト・コースト派のジャズメン&ウイメンというのはそういうものなのである。だからそれ自体を非難することもない。どうやらキーポイントはマリガンの方で小説にも描かれ、映画にも登場とは既に記述してあるが、多分もっとこの件は追及されて良い。
例えばアーサー・フリード・ミュージカルの代表作『パリのアメリカ人』の主人公キャラクターの名前が何故か「ジェリー・マリガン」だ。演じているのはジーン・ケリー、このへんの事情は私にはわかりかねる。原作にマリガン登場ということはニューヨーク、東海岸のジャズ・シーンに彼がいたことの証明となろうが、映画の時点では彼はウェスト・コースト、西海岸の人となっていた。仕事がなくて引っ越してきたと言われている。こちらで何の仕事が?と疑問を感じる方はそれだけで十分鋭い。
要するに仕事とは映画音楽なのである。加藤総夫が書いていたが五十年代の映画音楽の管楽器セクションにピート&コンテ・カンドリ兄弟は欠かせない存在だったとのこと。だがマリガンの場合は演奏だけではない。アレンジも沢山やっているらしいのだ。このあたりはしかし公式的な資料は残されていないようで、彼がどんな映画音楽を担当していたか不明で実に残念だ。西部劇もあるという情報があり、それならばプレヴィンがらみで『日本人の勲章』“Bad Day at Black Rock”(監督ジョン・スタージェス、55)とかをやっているのかも。これは今後の宿題にしておく。

同じくジャズをバックグラウンドとしていたとはいえ、プレヴィンはヘンリー・マンシーニと違って、そこから世界的大ヒット曲を生み出すことはなかった。才能云々というよりもそういう「ポピュラー・ミュージック」志向が元々プレヴィンには希薄だったのだろう。ポピュラー・ミュージックを演奏するピアニストとしてはアルバムも作り評価も得ているが、作曲するのはまた別、という感じは何となくわかる。上手くいけば(大ヒットすれば)まだいいが、そうでなければ評価ががくっと低くなるのは目に見えている。ああ、そういう人なのね、ヒット狙いね、という。
だからこの『地下街の住人』にもポピュラーなヒット曲はない。しかしよく聞けばさすがにいいメロディーはある。とりわけメイン・タイトル。そうなるとかえって本当にプレヴィン作曲か、なんて要らぬ疑いをかけてしまうけれども。この『地下街の住人』の愛のテーマは「何故、私達は怖れるの?」“Why Are We Afraid?”として楽曲登録され、アート・ペッパーのアルバム「ゲッティング・トゥゲザー」“Getting’ Together”(Contemporary)に名演が残されている。録音データによると1960年2月29日。映画公開よりは後だろうが、特に映画がらみだったという感じはない。気に入ったから演奏したに違いない。
映画版ではマリガンのバリトン・サックス、ジャック・シェルドンのトランペット、プレヴィン、ペッパーのジャズにMGMオーケストラの弦が響く構成でサントラ盤でもこれが目玉だとわかる。こちらも悪くないので輸入版サントラを購入して聴いて下さい。ペッパーのアルバムに関しても特筆すべき件がある。この盤はペッパー、カンドリの二管にピアノ・トリオが付く編成でパーソネルはウィントン・ケリー(ピアノ)、ポール・チェンバース(ベース)、ジミー・コブ(ドラムス)である。このトリオのメンバーにピンと来たら110番、じゃなくてカンのいい自分を誇って良い。マーティン・ウィリアムズによるライナーノーツを引用する。

本アルバムは、いわば「アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクション」“Art Pepper Meets the Rhythm Section”(Contemporary)の二巻続きのようなものだ。それはコンテンポラリーのアルバム中、最も素晴らしいものの一つと呼びたい作品であった。1957年に作られ、タイトルに言うリズム・セクションとはレッド・ガーランドのピアノ、ポール・チェンバースのベース、そしてフィリー・ジョー・ジョーンズのドラムス。つまり当時のマイルス・デイヴィス・クインテットの面々という極めて特別なものだったのである。そして本作。またも特別素晴らしい1960年二月のマイルス・デイヴィス・リズム・セクションと共に作られているのだ。ポール・チェンバースはまだここにいる。以前のセッションには特別プレッシャーがかかった。リズム隊を拘束できる時間が短かったためだけではなく、ペッパーがその間、二週間も楽器に触っていなかったからだ。そして今回もデイヴィス・グループがLAに居られる時間は極めて短く、レコーディングも一度きりだった。

現在ではペッパーは「ミーツ・ザ・リズム・セクション」レコーディングの際、麻薬漬けのモウロウ状態で吹込みに臨んでいたことが知られている。マーティン・ウィリアムズも知っていて書かなかったのかも知れない。ともあれそういう次第でこの楽曲はプレヴィン・メロディーとしては例外的に他のジャズマンによる目覚ましい演奏でジャズ史に刻まれることになった。このピアノ・トリオは前年1959年「ケリー・ブルー」“Kelly Blue”(Riverside)という名作を管楽器入りで残している。同年のマイルス・デイヴィスの傑作「カインド・オブ・ブルー」“Kind of Blue”(Columbia)にはこのトリオで「フレディ・フリーローダー」“Freddie Freeloader”(のみ)を録音している。こちらももちろん管楽器あり。「カインド・オブ・ブルー」はビル・エヴァンスの起用で重要な作品となったが、当時のマイルス・グループのレギュラーだったケリーも一曲だけ参加しているのだ。
プレヴィン篇に関してはひとまず今回で終了したい。彼のジャズ・ピアニストとしての側面は今では大指揮者の余興ぐらいにしか語られることもなくなってしまったが、彼自身もそうした前提に立った上で、近年またジャズ録音の現場に戻ってきた。今後、新たな彼のジャズ・アルバムが世に出るかどうかはわからないが、クラシック抜きでのプレヴィン・アンソロジーみたいな企画は当然出てもらわなくては困る。このコンセプトのアルバムが実現しないのは録音された量が膨大なせいと契約関係が面倒だからだろうが、本人が生きているうちにどうにかして欲しい。もちろん百歳、百十歳まで生きていただきたい方であるがいつまでもN響の為に力を貸していただけるとは限らないではないか。日本の録音音楽関係者の奮起を期待したいところである。

以下は豪華付録、オスカー受賞四回、ノミネート十三回(公式資料です)

アンドレ・プレヴィンのアカデミー賞ノミネート作品を最後にまとめてリストアップしておく。年度順である。

『土曜は貴方に』“Three Little Words”1950年ミュージカル音楽賞。
『キス・ミー・ケイト』“Kiss Me Kate”1953年ミュージカル映画音楽賞。
『いつも上天気』“It’s Always Fair Weather”1955年ミュージカル映画音楽賞。
『恋の手ほどき』“Gigi”1958年ミュージカル映画音楽賞「受賞!」。
『ポギーとベス』“Porgy and Bess”1959年ミュージカル映画音楽賞「受賞!」。
『エルマー・ガントリー 魅せられた男』“Elmer Gantry”1960年劇・喜劇映画音楽賞。
『ペペ』“Pepe”より「ファラウェイ・パート・オブ・タウン」、1960年歌曲賞。
『ベルズ・アー・リンギング』“Bells Are Ringing”1960年ミュージカル映画音楽賞。
『二人でシーソー』“Two for the Seesaw”より「セカンド・チャンス」、1962年歌曲賞。
『あなただけ今晩は』“Irma La Douce”1963年編曲賞「受賞!」。
『マイ・フェア・レディ』“My Fair Lady”1964年編曲賞「受賞!」。
『モダン・ミリー』“Thoroughly Modern Millie”1967年編曲賞。
『ジーザス・クライスト・スーパースター』“Jesus Christ Superstar”1973年歌曲・編曲賞。

こうして公式的なデータを列挙しただけでも大変なものだが、ここには例えば『闘牛の女王』“Fiesta”(1947年ミュージカル音楽賞ノミネート)等のタイトルは含まれていない。プレヴィンは公式的には参加したことになっていないからだ。