モーリス・エンゲルとルース・オーキン
この『小さな逃亡者』は共に写真家のモーリス・エンゲルとルース・オーキン夫妻による53年の映画第一作。アメリカのインディペンデント映画の幕開けとなった作品だ。無論メジャー社以外の場で作られる独立製作の映画はこれまでにもあったし(独立プロによる映画、また低予算のB級ジャンル映画)、映画産業とは全く関係ない場所で作られる映画もあった(マヤ・デレンの『午後の網目』(43)やケネス・アンガー『花火』(47)といった実験映画)。しかし、映画産業の外部で作られながら、普通の映画館で流通し(『小さな逃亡者』は全米五千館で公開されたという)、しかも長編、なおかつ(これが最も重要なのだが)これまでのメジャーによる映画にはない新しい内容と語りを提示しえている、という意味において真に画期的な映画であるからこそ、この映画はインディペンデント映画を創始した作品と見なされているのだ。ではどのように、この映画の内容と語りは新しいのか。
エンゲル「ハーレム・ドキュメント」
オーキンによるキャパ
エンゲルはニューヨーク、ブルックリンに生まれ育ち、コニー・アイランドはエンゲルにとって庭のようなものだったという。ルース・オーキンはロサンゼルス生まれ、母がサイレント期の女優でもあり、一時MGMのメッセンジャー・ガールとして働いたこともある。二人ともプロ写真家としてフォト・リーグに所属。フォト・リーグはポール・ストランド、ベレニス・アボットによって36年設立されたプロ・アマチュア写真家の組織で、社会的な問題を積極的に取りあげ、また著名写真家による講義を通して、写真家の技術、意識の向上を目指した。幾つかのグループに分かれて、特定地域の路上、そこに住む人々のドキュメントを製作したが、エンゲルは「ハーレム・ドキュメント」部に所属していた。また、第二次大戦時には、海軍の従軍写真家として、エドワード・スタイケンを隊長とするフォト・ユニット8に所属し、ノルマンディ上陸作戦を撮影してもいる。オーキンは、十代の頃自転車でアメリカ横断旅行した際のドキュメントや、イタリアで出会ったアメリカ女性のドキュメント、セントラル・パーク沿いのアパートから撮った一連のニューヨーク写真など自分の身近な題材を撮った写真や、セレブリティの写真で知られる。ロバート・キャパが頬杖でにやりと笑っている有名な写真もオーキンによるものだ。
エンゲルが映画に関心を抱いたのはポール・ストランドのおかげで、ストランドが42年にプロ・ユニオン的な映画『ネイティヴ・ランド』(レオ・ハーウィッツと共同監督、ハーウィッツとベン・マドウが脚本)を撮った際にエンゲルはストランドの助手を務め(クレジットはされていない)、カメラの扱い方をストランドから学ぶとともに、映画作りの面白みを知る。ストランドは50年代に赤狩りの犠牲になり、フランスに亡命せざるを得なくなるし、上記のとおり、エンゲル自身もフォト・リーグ所属の写真家として社会的な関心に基づく写真を撮っていたりもするものの、彼自身の(そしてオーキンの)関心は、路上の人々の何気ない瞬間を切り取ることにあったようだ。映画にしても、アメリカのインディペンデント映画は政治的な意識に裏付けられて撮られることが多い(前回取りあげたライオネル・ロゴージンは無論、ジョン・カサヴェテスの『アメリカの影』も黒人差別を描いているし、シャーリー・クラークにしても、ハーレムやジャンキーなどを題材としている)のに対し、エンゲル=オーキンが描くのは、あくまで自分たちと等身大の庶民の、日常的な出来事に過ぎない。政治的であることが当然であるような環境の中で、非=政治的であること。それがエンゲル=オーキンの映画の特異性なのだ。