海外版DVDを見てみた 第4回『シャーリー・クラークを見てみた』 Text by 吉田広明
ラウール・レヴィの名を後から思えば確かに目にしていた筈ながら、まったく記憶には残っていなかったのだが、山田宏一氏の『ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代』で、『二人の殺し屋』(65)と『ザ・スパイ』(66)の二本の映画の監督であり、しかも「ともに知られざる傑作である!」とあるのを読み(その時は忘れていたが、『友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』の第二十三章の前半部がレヴィの記述に充てられていたことにその後気づく)、これは是非見たいものだと思っていたのであった。で、いざ探してみたら、確かにアメリカでDVDが出ているのである。これは見ねばなるまい。ということで見てみた。

ラウール・レヴィとは
ラウール・レヴィの名を確かに目にしていた、というのは、彼が『素直な悪女』(56)を製作して、ロジェ・ヴァディムを世に出し、ブリジット・バルドーをフランスの代表的セックス・シンボルに押し上げたプロデューサーであるからだ。ベルギーのアントワープ出身、1922年生まれ。フランスではジャン=ドミニク・ボーディ著『ラウール・レヴィ、映画の冒険家』という本が95年に出ているようながら、参照するいとまがなく、詳しい経歴は良く分からないのだが、山田氏の本によれば「父はロシア人。パリの大学で経済学を学んだのち、メキシコに渡り、広告代理店につとめたり、街頭写真家をやったり、撮影所の掃除人をやったりしながら、映画界にもぐりこみ、助監督、製作助手となり、のちハリウッドへ行き、RKOの撮影所で助手として働き、やがてパリに戻り、一九五〇年、宝クジで儲けた三十万旧フランを元手に、口八丁、手八丁あちこちから資金をかり集めて、映画製作に乗りだしたが、赤字だらけになる」(増補『友よ映画よ』、平凡社ライブラリー版P.419)、とある。RKOでどんな映画に関わっていたのか、彼自身の監督作が(遅ればせの)フィルム・ノワールやスパイものというジャンル映画であることを考えると興味深いのだが。

IMDbによるとラウール・レヴィが製作者として単独クレジットされた初の映画はエルヴェ・ブロンベルジェ監督『鑑識課』(51、未)で、これが上記「赤字だらけ」になった映画なのかもしれないが、これはカンヌのコンペにフランス枠で出品されてもいるようなので、それなりの出来だったのだろう。しかし彼の名が浮上するのはやはり『素直な悪女』によってである。その監督となるロジェ・ヴァディムは、大学生時代から、実存主義の牙城サンジェルマン・デ・プレに熱心に通い、ボリス・ヴィアン等とも知り合いで、その後「パリ・マッチ」誌の記者を経て、マルク・アレグレの紹介で映画界入り、アレグレの下で助監督をした。雑誌のモデルをしていたバルドーを推して、自身がシナリオを書いたミシェル・ボワロンの『この神聖なお転婆娘』(55)、マルク・アレグレの『裸で御免なさい』(56)に出演させていた。

ヴァディムとバルドーとは53年に結婚。レヴィはヴァディムが「パリ・マッチ」の記者をしていた頃から彼の噂を聞き、また彼が書いたシナリオも評価しており、55年のカンヌ映画祭で出会ったヴァディムが、妻を主人公としたシナリオを持っていながら、誰に見せても断られていた事を知り、自分が彼を監督としてデビューさせることを決意する。