Pure-of-Heart
『An Innocent Magdalene』は、グリフィスによる物語を元にロイ・サマーヴィルが脚本を書いた。舞台は南部で、貴族的な父親の反対を押し切ってある青年と結婚したドロシーという娘が主人公である。ストーリーはありきたりであるが、当時の批評はリリアンの演技もドワンの演出も称賛している。主人公がアフリカン・アメリカンの召使いに助けられるという設定は、グリフィスが1910年に監督した『His Trust』(彼の忠義)と『His Trust Fulfilled』(果たされた彼の忠義)における献身的なアフリカン・アメリカンの召使いを想起させる。
キャバン監督による『Diane of the Follies』(フォリーズのダイアン 脚本グリフィス)は、リリアンがショウ・ガールという珍しい役を演じた映画である。フォリーズの踊り子と結婚し、環境の変化が彼女の過去の生活を忘れさせるだろうと信じている夫の考えとはうらはらに、妻は舞台の生活が忘れられないのだった。ストーリーは1912年にグリフィスが監督した『Oil and Water』(水と油 脚本E・J・モンテイン)と殆ど同じである。リリアンがこのような魅惑的な踊り子を演じたのは後にも先にもこの映画だけである。リリアンは後に、ヴァンプはうぶな娘を演じるよりも簡単だし魅力的だと言っている。リリアンがどのような演技をしているのかぜひ知りたいものであるが、フィルムは現在失われている。
リリアンはこの頃『Pathways of Life』(人生の小道 W・C・キャバン監督)という映画に“純粋な心”という不思議な役で出演し、W・E・ローレンス扮する周囲の人に惑わされやすい青年と、スポッティスウッド・エイトクン扮する老賢者などに囲まれて、鳥籠の小鳥が象徴するような家庭が最も似合う妻を演じた。風に吹かれながら誰かを誘うように踊るリリアンの姿にはグリフィスの映画で見られるような落ち着きは無く、細く頼りなげである。表情も幼さが目立つ。
Pure-of-Heart(純粋な心)はMuch-to-Learn(知りすぎ)と結ばれ、Old Daddy Wisdom(老賢者)によって人生の庭を育てるように命じられる。二人は一緒に庭を手入れし、やがて花が咲き乱れる。老賢者は二人が育てた花を見て、パンジーや百合や白いバラの花には満足そうであったのが、情熱を意味する赤いバラの花を見ると、その場で握りつぶしてしまうのだった。この映画では題名も登場人物の名前も土地の名前も、全てが何かを象徴しているのである。若き夫は他の女性から誘惑されて、妻も庭も放り出してしまうが、最後は気持ちを改めて妻の元に戻ってくる。リリアンは純粋さそのものといった様子で、純粋な心という名前や、花を育て如雨露で水をやるといった仕草が三年後の『幸福の谷』と『スージーの真心』で演じた役に重なった。
ロイド・イングラム監督の『The Children Pay』(子供の苦しみ)は両親の離婚によって苦しむ子供を扱った作品である。仕事に没頭している父親と歌手として仕事をすることを望む母親は喧嘩が絶えず、町の人々との交流もなくなっている。リリアンは機械に強いミリセントという娘を演じた。映画の前半でリリアンは町の子供たちと喧嘩をしたり、乗馬用の鞭を振り回したりと妹のドロシーを思わせるお転婆ぶりを発揮し、後半はドレスアップをして大人っぽくなり、親身になってくれた若い法律家と結婚し、妹と三人で暮らすことで幸せを取り戻そうとする。なお、当時の批評の中にはこれをリリアンの新しい喜劇の主役としているものがあるので、物語の深刻さとは別に喜劇的な要素も多かったのだろう。妹役は『國民の創生』でメイ・マーシュの子供時代を演じたヴァイオレット・ウィルキーが演じた。ウィルキーはメアリ・ピックフォード主演の『農場のレベッカ』(17)で、ピックフォードを相手に子供らしい喧嘩の場面を演じている。
エドワード・モリシー監督の『A House Built Upon Sand』(砂の上の家)は甘やかされたお金持ちのお嬢さんが、工場町の貧しい人々の中で暮らすことによって、謙虚さを学ぶという物語だった。1917年の『Souls Triumphant』(勝利を得た魂 ジョン・B・オブライエン監督)では、再び、夫を他の女性にとられる役を演じた。もちろん夫は反省して妻と子の元に戻ってくるのである。オブライエンは1916年に2本のメアリ・ピックフォードの映画を監督している。