コラム『日本映画の玉(ギョク)』 中岡源権が語る三隅研次   Text by 木全公彦
コーヒー屋のはしご
――人間的にはどういう方だったんですか?

中岡 撮影中は細かくてぐちゅぐちゅうるさい男だったけど、普段はおとなしい静かでやさしい男だったと思いますよ。酒が飲めんからコーヒーばかり飲んでいた。ロケハンの移動中もコーヒー屋があると、車を止めてコーヒー屋に入ってコーヒーばかり飲んでいた。コーヒー屋のはしごですわ。

――どんな話をされるんですか?

中岡 あまり覚えはないな。仕事の話や見た映画の話はした記憶はない。女の話はしたかもしれん。それでもスケベでいえばお師匠さんの衣笠さんですよ。若い駆け出しの女優さんやスプリクターにしょっちゅう手を出していた。ちょっと可愛い子がいると、すぐに自分の担当にしていた。三隅は気が弱いからそんなことはできません。もっぱら水商売の女の話をするだけですわ。それも女郎買いに行くわけではないですから、単なる猥談の域を出ないもんです。

――シベリア抑留で苦労された話はされましたか?

中岡 僕らにはちょっとはしたけれどね。あんまりしゃべらなかったんとちゃいますか。自分のことや家族のことはほとんど聞いたことがない。隠しているようなところもあったんじゃないですかね。もともとあんまりしゃべらん男やったから。

――三隅さんは大映倒産後はテレビもたくさん監督していますが、中岡さんが一緒に仕事をされたのは?

中岡 ほとんどないんとちゃいますか。あんまり記憶にない。

――テレビ作品ではホリゾントをバックにスモークを焚いたり、予算の少ないのを逆手にとっていろいろとスタイリッシュな演出をされています。

中岡 テレビの小さい画面の中で絵に変化が出るように、いろいろ工夫をしてたんとちゃいますか。夜のシーンでもただ暗いところに照明をあてるよりも、スモークを焚いたほうが雰囲気が出るということですかね。

――どうもありがとうございます。三隅組のスタッフがみなさん亡くなられてしまったので、三隅さんを知る大映京都のスタッフということで、今日は中岡さんにお話を伺いました。最近は山田洋次監督の藤沢周平原作の時代劇の照明技師としてご活躍で、長年の功績を称えて、今日はこれから六本木ヒルズで文化庁・映画賞「映画功労表彰部門」の授賞式があります。これからもご活躍を期待しています。

*中岡源権さんは2009年3月8日に胸部動脈瘤で死去。ご冥福をお祈りしたい。

2005年10月22日 六本木ヒルズにて
取材・構成 木全公彦