『台風』梗概(撮影台本版)
幸いにも撮影に使われた脚本を入手したので、それを参考に映画のあらすじを記してみたいが、これにしたところで撮影中に号外が出たり、頻繁に変更が加えられたようで、入手した脚本はいたるところ変更を示す手書きの貼り込みと差し込みだらけで、今ひとつわかりにくくて要領を得ず、さらに当時の新聞記事から察するにこれからさらにまた現場で追加や削除・変更が加えられたと思われ、まとめるのが厄介だった。映画の舞台も、伊勢湾台風を題材にしたことから最初は名古屋でロケするはずが、いつのまにか長野県木曽福島にロケすることになったことはすでに書いたとおりであるが、脚本を読むと「天神川」という名前があることから、関西が舞台なのかとも思うが、登場人物の使う言葉は、「~だっぺ」という言葉があることから関東周辺のような感じを受ける。ともあれ、以下、苦心して読み解いた物語を要約する。
山あいにあるとある集落。村では毎年恒例の秋祭りが行われている。祭りの輪を抜け出した娘・繁子を村の青年・善八が追いかけて、寺の近くにある羅漢像の前で善八は繁子を押し倒す。二人は恋仲らしい。男に思わせぶりな媚びを売るがなかなか体を許そうとしない繁子に、善八はしびれを切らして迫り、荒々しく二人は交わる。善八には親の決めた許嫁の八重がいるが、性に放縦で村の男とみれば色目を使う本家の繁子の魅力に取りつかれているようだ。立派な門構えで立派な蔵がいくつもある本家に比べて、善八の分家は貧しい。一方、八重の家は中農で、農業のかたわら、父親は棺桶作りをし、母親は着物の仕立てなどの内職をして生計を立てている。内緒でドブロクも作っている。祭りが終わり、降り出した雨が強くなってくる。台風が近づいているらしい。八重の父親は台風が来るとなれば、死人が出るからひと儲けできると考えて今から棺桶作りに余念がない。村は鐘清という村の有力者が取り仕切っていた。彼は製材所を持ち、村の山林から切り出した材木を村人から買い叩き、県外に運び、財をなしていた。本家の家長・益世と鐘清はたびたび碁を打つほどの仲であり、親しい間柄である。台風はやがて本格的に村を襲い、大きな被害を出す。死者、怪我人のほかに家畜も死に、多くの家屋は吹き飛ばされ、崩落した土砂によって家屋や家畜小屋は流されていた。村人たちは寺の本堂に避難する。村と外を結ぶ橋は崩れ落ち、峠の道路は崖崩れで寸断され、完全に村は孤立した。棺桶でひと儲けする算段をしていた八重の父は死んでしまい、自分が棺桶に収まることになった。孤立した村では、今後の生活をやっていくために山の木を伐採することになり、村人の声を本家がまとめ、鐘清と交渉することになる。ところが鐘清と本家は結託して、この機会にひと儲けしようと、山の材木を独り占めして利益を山分けにしようと謀る。山の木は村のものだと主張する村人たちは反撥して、強引に山の木を伐採するが、本家派に襲われ大乱闘になる。村は二派に分かれ、互いに憎み合うようになった。本家は善八を見込んで繁子をだしにして丸めこもうとする。村の二派による争いはますます大きくなる。その頃、村への通行道路は、救援物資を運んできたトラックが崩落した土砂のために通行止めになっており、必死の復旧作業が行われていた。やっと道路や橋が復旧し、トラックが村に入り、救援物資を運んでくる。善八の家では、本家派に通じたと思われて村人から白眼視され、食料等仲間外れにされている。八重が隠れて善八の家に食料と毛布を持ってくるが、衰弱した善八の父は縊死していた。道が開通したので鐘清たちは切り出した材木をトラックで運ぼうとするが、反対派がトラックのタイヤに細工したりして妨害し、荷を運べない。そんなとき放火騒ぎが起こる。反対派のリーダーが首謀者と見なされて駐在にひったてられる。八重は、善八が繁子と一緒になりたいために付け火したと言って責め、自分は村を出て行くという。その頃、本家は山の材木の利益を鐘清が独り占めしようとしているのを知って仲間割れを始める。本家派が総崩れになる中、善八が繁子との結婚話を本家に念押しすると、冷たくされる。肝心の繁子も気まぐれで遊んだだけという冷たい返事が返ってくる。目がさめた善八は八重の家に行き、泣きながら八重に謝る。本家も鐘清に騙されていたことを知り、村人に謝罪し、村人側に付くことを約束する。一方、鐘清は材木を出荷する。電気が復旧し、テレビが復活すると、ニュースが新しい台風が発生したことを告げる。鐘清は「毎年これくらいの災害が来てくれっと、笑いがとまらねえんだがな」と高笑いをする。鐘清が運び出す材木を積んでトラックが次々と村から出て行く。その一台の助手席に善八の姿がある。八重がそのトラックを追うが、善八は気づかず、何台ものトラックとともに村を出て行く。