ゴダールをテレビドラマに移植する
プロデューサーの山内久司の証言。「大阪のホームドラマを作ろうとしたが、どう考えても仕出しの役まで東京型になる。結局、東京の真似になり、東京の“におい”がついてまわる。そこで、まず風土性をなくした。日本のどこかではあるが、場所は不明にした。明治生まれに牛耳られっている日本をイメージさせるため、おじいさんが威張っている男ばかりの家庭を舞台にした。ヒロインには、熱烈なファンがいる中山千夏を当て、沖縄の女に扮してもらった」(「テレビ番組事始―創世期のテレビ番組25年史」、志賀信夫著、2008年、NHK出版)。さらに同著から志賀の解説を引用すると、「山内は、政府・与党のお膝元の東京では成し得ない、大阪制作の番組ならではの政治批判を込めたいと考え、自由闊達な表現ができないかと、放送作家の佐々木守と話し合ったようだ」(前出書)。当初の題名は『男だらけ』。先にも書いたが時代は沖縄返還の直前である。またアメリカに次ぐ世界第2位のGNPを誇った日本の高度経済成長に陰りが見える最初のきっかけとなる第1次石油ショックは3年後のことである。
しかし、過激な設定もさることながら、視聴者の度胆を抜いたのがそのハチャハチャな“脱ドラマ”ぶりだった(演出は西村大介と井尻益次郎)。出演者が演じる本人の素になったり、キャメラに話しかけたり、セットを見切ったり、バラしたり、と反則技の連続。第1回の冒頭は自己紹介から始まる。
「忠太郎 志村喬です。新人です(←アドリブ)。
孝太郎 桑山正一です。(以後アドリブ)
仁 河原崎長一郎です。(以後アドリブ)
義 浜田光夫です。(以後アドリブ)
礼 林隆三です。(以後アドリブ)
智 渡辺篤史です。(以後アドリブ)
信 佐々木剛です。(以後アドリブ)
菊 中山千夏です。こんなことやりたかないけど、脚本に書いてあるんで失礼します。(というやいなや、信、智、礼、義、礼の順に、肘鉄やみぞおちを殴ったりする)。菊は沖縄空手の達人という設定である(ハイキックの場面で現在のワイヤーアクションならぬクレーンでの宙吊りアクションがあった)。
以下、菊に夜這いをかける信(佐々木剛)はキャメラに向かって「こんな役をやらされるなんて思ってもいなかった。でも中山千夏さんは好きなので、一生懸命やってみます」と言ったり、突如、自身の当たり役である仮面ライダーの変身場面を演じたり。仁(河原崎長一郎)はキャメラの向こうにいる自分の妻に向かって、「今日は早く帰れそうです」と言ったり。
毎回のプロローグでは自己紹介だけにとどまらず、戦争や日の丸についての出演者のコメントがあったり、番組への新聞や雑誌のテレビ欄や視聴者の批評を読みあげ、「批判をいちいち気にしてたら面白い番組なんて作れない」と開き直ったり、ああクレームを気にしてばかりの今のジャーナリズムやマスコミに聞かせたい。もちろん劇中で役を演じる俳優への素のインタビューもあったし、NGも平気で使ったし、ADの秒読みも入ったりしていた。隠し撮りもあったし、スタジオに見学しにきた視聴者にひきずりこんでインタビューすることもやっていた。中にはドラマの途中で中山千夏が突如、素になってテレビ番組そのものの批判を展開した回もあったな(それはたぶん彼女の本音だったのだろう。このドラマが終わると、彼女はあっさりと女優・タレント業から引退してしまう)。
佐々木守自身の証言によれば、まぎれもなくこれらはゴダールの『彼女について知っている二、三の事柄』(66)の直截的引用であるという。「ぼくがこの試みを思いついたのはジャン・リュック・ゴダールのおかげである。というとすこし大げさかもしれないが、このドラマは最初からなんとなくふつうのドラマにはしたくなかった。なにか特別な工夫がないものかと悩んでいたとき、気分転換に映画を見に行ったのだ。そのときたまたまゴダールの『彼女について知っている二、三の事柄』が上映されていて、何気なくその映画館に入ったのである。すると冒頭主役を演じるマリナ・ヴラディがビルの屋上に立っている姿をバストショットでとらえていて、低い男性の声でナレーションが流れていた。「彼女はマリナ・ヴラディ、女優である。……人種はロシア系、髪の色は濃い栗色」と彼女を紹介していくが、そのときふと彼女が首をまわした。するとナレーションはこう言った。「いま彼女は右を見たがそれは重要ではない」。これはのちにテレビで放映されたときに録画したものを見て書いている。テレビではナレーションをこう訳していたが、あのとき映画館で見たときぼくは字幕を「彼女が右を見たのは演出ではない」と読んだのである。それを見たとき一瞬これが利用できないかと思った。ドラマの中で、演出ではなく自由に俳優が動く――、それはなにか新しいドラマになるのではないか――」(「戦後ヒーローの肖像」、佐々木守著、2003年、岩波書店)。
それらはすでに『お荷物小荷物』に先立つ大島渚の『新宿泥棒日記』(69)で実証済みだったはずだ。横尾忠則と横山リエが性科学者の高橋鐵のところを行ってカウンセリングを受ける場面、大島一派が蝎座の地下で酒を酌み交わしセックス談義をする場面、戸浦六宏が書き割りのセットで女性をクドく場面などには、シネマ・ヴェリテからゴダール、マカヴェイエフに至るまで、当時の前衛トレンドを巧みに取り入れて、映画の物語性よりも同時性や役者の生理的な身体性を優先させていた。おそらく大島一派である佐々木守としても、いつかこんなことをテレビにも持ち込めないだろうか、と思っていたところだったのだろう。しかしながら、一方で、佐々木守は、テレビと映画とは異なったもので、「テレビと基本的に、ダラダラとした時間の総体としてのドキュメンタリー」「テレビが“素朴”にドキュメントできるものは何かといえば、前にもいったとおり、“うつっている人間”をドキュメントすること」だと述べている(「調査情報」1972年1月号)。