コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 駅弁才女と呼ばれたマルチタレント   Text by 木全公彦
天才子役から売れっ子ドラマ女優へ
と ころで最近、溝口健二門下の脚本家である成澤昌茂が監督した『裸体』(62)を久々に見直す機会があったのだが、初見のときには気がつかなかったが、終盤で突如、子役時代の中山千夏がカメオ出演していてびっくりした。カメオ出演と書くのだから、ノンクレジットだったはずで、そのへんはよく覚えていないが、とにかくデータベースのたぐいには一切クレジットはないし、フィルモグラフィからも抜け落ちている。ほんのちょっと顔を見せるだけの役(映画館のモギリ)だったが、少々オツムが足らない少女といった感じで、どうも『がめつい奴』のテコの延長のようでもあった。

東宝と専属契約していたはずの中山千夏が、にんじんくらぶ製作、松竹配給の『裸体』にどうしてカメオ出演していたのかは不思議だが、もしかしたら脚本家としてだけでなく、すでに松竹で舞台演出家として活躍していた成澤昌茂の関係かも知れず、やはりご近所のよしみでもあるし、東映からリリースになった成澤監督作品『雪夫人繪圖』DVD発売のきっかけを作ったのは私であるから、お元気なうちにインタビューをとりたいと思うのだが、どこかちゃんとしたギャラを提供してくれる雑誌はないものか、と思ったりする。

その次は中平康の『現代っ子』(63)か。これは同年のNTVで始まった倉本聰原作によるテレビドラマが先で、映画版はテレビ版のキャティングをほぼ踏襲しており、中山千夏がテレビ版と同じく女子中学生の役で出演している。今、ちょっと調べてみたが、このオリジナル・テレビ版の脚本家がすごい。倉本聰、山田正弘、佐々木守、斎藤耕一という超豪華執筆陣で、もともと児童文学志望であった佐々木守はこれでテレビの脚本家としてのデビューを飾った。
テレビ版はさすがに見てないし、現存しているかどうかも怪しいので、映画だけの印象になるが、中山千夏はもうれっきとした女優といった感じで、もう立派に胸も張りだしておかめ顔もなかなかチャーミングである。クラスの男子たちが女子の人気投票を発表する場面で、株市況に見立てて「××さん、××円高」「××円安」という中で、中山千夏だけいつも「××さん、出来ず」と毎朝言われ、「いつもいつも〈出来ず〉って失礼しちゃうわ」とむくれて言うところがおかしかった。

たぶん中山千夏はこのときに佐々木守と出会ったのだろう。のちの佐々木守と田村孟がシナリオを共同執筆した朝日放送『月火水木金金金』(69)、そこからさらに“脱ドラマ”を推し進めた朝日放送『お荷物小荷物』(70~71)、『お荷物小荷物 カムイ篇』(71~72)というテレビドラマのエポックを築いた佐々木守脚本作品への出演を果たすことになる。思えば『月火水木金金金』で、初めて横山リエを見たのだったなあ。お茶の間で横山リエ初体験とは、今思えば、なんと倒錯的なのか。しかし、佐々木守と田村孟、さらに『お荷物小荷物』では創造社一派だった佐藤慶や戸浦六宏の出演など、妙にこの時代の中山千夏は大島渚とやたら人脈的な接点がある。彼女が「オナメート(=オナペット)」(ともに死語?)として人気がピークで週刊誌にあれこれ取り上げていた頃の記事のひとつに、石堂淑朗が中山千夏をレポートした記事もある(「アサヒ芸能」1969年3月20日号)。どう考えても大島渚とその一派と、その後の中山千夏の政治的立ち位置を考えるとかなり違和感があるようにも思うが、どうなんだろうか。

それに中山千夏といえば、1970年代初頭に日本に本格的に上陸した女性解放運動、すなわち当時の言葉でいえば「ウーマン・リヴ運動」にも関わった女性タレントである。聡明な中山千夏は、当時男性たちを震撼させただけにとどまらず、子供であった我々の世代の男子までが恐ろしい女性の代名詞としてギャグ的に揶揄した、榎美沙子率いる中ピ連(「中絶禁止法に反対し、ピル解禁を要求する女性解放連合」)のように騒がしいだけの愚かさとは無縁だったと思うが、マッチョ的男性社会の集団であった大島渚の創造社とうまくやれるわけがないように思うが、これもヘンな気がする。前出の石堂淑朗のレポートなんかは中山千夏にぞっこんの様子だし、まさに中山千夏の人気絶頂期の代表作である『お荷物小荷物』は、佐々木守にとって、年代的には大島の『儀式』(71)と『夏の妹』(72)の中間に位置しながら、『新宿泥棒日記』(69)の手法をも大胆に取り入れながら、まるで『儀式』と『夏の妹』のパロディのようでもあり、マッチョな創造社への痛烈な風刺のような作品でもあった。
これらテレビドラマはまだ当時はVTRが高価だった時代のものであり、『お荷物小荷物』ファーストシーズン(通称「沖縄篇」)の最終回を現存するのみでしかないが、当時熱心に見ていたので、次回詳細に書きたいと思う。