ケニー・ドーハムとリー・モーガンの「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」
ところで前回、この曲名について中山康樹が著書「マイルスを聴け!」で一定の見解を記しているのではないか、と一応宿題にしておいたが、特に何もなかった。「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」で始まったからずっとそれで通す、ということだったのだろう。本項でも、マイルス・バージョンでは中山を踏襲して全て「アバウト」入りで行くことにする。ただし他の人が演奏している場合についてはその限りではない。現在では正式タイトルが「ラウンド・ミッドナイト」なのでそう表記した方が合理的なことが多い。また「アラウンド・ミッドナイト」になっていることもたまにある。
次回以降で歌詞入りのバージョンを紹介する際に改めて検討するつもりだが、タイトルがいい加減なせいでよく意味が取れない。正確には「アラウンド・アバウト・ミッドナイト」で「真夜中あたり」の意味だと思われる。「ラウンド」と「アラウンド」ってどう違う?とおっしゃる方に対しては、私じゃ分からない、としか言えない。ただ「周辺部」という概念にあってはどちらも「同じ」であろう。イギリス英語とアメリカ英語でニュアンスが変わる、という解釈も成り立つが、マイルス盤のアルバム・タイトルをよく読むと「ラウンド」は‘Roundになっているのが気になる。「アラウンド」を略してこう記したことを示しているわけだ。いずれにせよ日本語にこの省略記号は反映しないからどうでもいいようなものだが。
アルバム『カフェ・ボヘミアのケニー・ドーハム』
後藤雅洋、中山康樹、村井康司責任編集『JAZZ“名曲”入門!100名曲を聴く名盤340枚』
ここでもう一バージョン、今度はマイルスのコロムビア盤の四カ月前にケニー・ドーハムKenny Dorhamのトランペットで吹き込まれたものを聴いてみたい。アルバムの日本語タイトルは
「カフェ・ボヘミアのケニー・ドーハム」だが英語タイトルが“Round About Midnight at the Café Bohemia”(BLUE NOTE)つまり「クラブ・カフェ・ボヘミアの真夜中あたり(ラウンド・アバウト・ミッドナイト)」と翻訳できる。ネットにもアップされていた。高井信成は演奏を「JAZZ“名曲”入門!100名曲を聴く名盤340枚」(責任編集後藤雅洋、中山康樹、村井康司。宝島社刊)で、こう評している。
《ラウンド・ミッドナイト》はさまざまなジャズ・スタイルでカヴァーされているが、ハードバップ・スタイルならこのケニー・ドーハムである。数々の名盤が生まれたニューヨークのジャズ・クラブ「カフェ・ボヘミア」でのライヴ収録。ドーハムが短期間率いた伝説的なグループ、ジャズ・プロフェッツの録音だ。ドーハム(トランペット)、J・R・モントローズ(テナー・サックス)、ボビー・ティモンズ(ピアノ)など、ハードバップの千両役者の揃い踏み。ハードバップ黄金時代のもっとも輝かしい瞬間のひとつがここに収められている。
今度は「ハードバップ」という言葉が出てきた。バップの音楽的説明もちゃんと試みていないのに、その発展形ハードバップを説明のしようもないのだが、その件は次回に持ち越すとしてひとまずハードバップとは「バップを、グループ表現をより洗練させて聴きやすい音楽にした」スタイルと認識していただければ良い。ハードの一語の解釈が鍵であり、「難しい、厳しい」ではなく、バップのいい加減な態度に対する「構造のしっかりした」という意味だろうと思われる。
アルバム『ジャズ・コーナーで会いましょう Vol.1』
さらにもう一バージョン、やはりハードバップでアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズArt Blaky & The Jazz Messengersが61年にクラブ・バードランドで演奏したものを聴いてみる。アルバム・タイトルは
「ジャズ・コーナーで会いましょうVol.1 」“Meet You at the Jazz Corner of the World”(BLUE NOTE)である。やはりネットで聴ける。こちらのトランペットはリー・モーガン。テナー・サックスはウェイン・ショーターの担当だ。ピアノは何とドーハム版に同じくボビー・ティモンズ。こちらのイントロはリーダーでドラマーのブレイキーによるドラム・ソロ。そこからモーガンが続きショーターへ、とリレーのようになだらかにつなぐ。ティモンズのソロも長く、個人技の誇示で全編構成する感覚を強調しているのは明らか。二つのバージョンを続けて楽しんでいただいた理由は、これがどちらも雰囲気としてはマイルスのコロムビア版よりもガレスピー版に似ているのを確認してもらいたいからだ。ドーハムはコロムビア版マイルスを聴いていないのだから当たり前だが、モーガン版は決定的なマイルスのプレイの流布した数年後に当たる。それでもガレスピー流でやっている。このアレンジは当時のグループの音楽監督ショーターによるものではなく、多分モーガンだ。
ガレスピーはバップで、これら二つはハードバップなのに何故似ているのか、という疑問が当然あり得るであろう。答え方は幾つか考えられると思うが、最も実際的な理由は、やはりガレスピー版が「バップとはいえハードバップ寄り」だからだ。つまり「グループ表現」をかなり意識している。音楽的枠組みをガレスピーが工夫したことは記しておいた通り。そしてそれに刺激されて、新しい工夫を施したのがマイルスのコロムビア版なのだが、彼とギルの工夫はまだある。(続く)