ショーティ・ロジャースと映画音楽史
『事件記者』シリーズを担当していた頃、三保はレコード用の特別編成グループ「モダンジャズ・プレイボーイズ」のアレンジャーとして藤井英一と共に二枚のアルバムに参加している。映画音楽集「モダンジャズ・スクリーン・ムード」(コロンビア)と人気ジャズ曲集「モダンジャズ・ショーケース」(コロンビア)である。前者には映画『拳銃の報酬』“Odds against Tomorrow”(監督ロバート・ワイズ、59)、『大運河』“Sait-on Jamais?”(監督ロジェ・ヴァディム、59)、『死刑台のエレベーター』“Ascenseur pour L’echafaud”(監督ルイ・マル、57)が、後者には『危険な関係』“Les Liaisons Dangereuses 1960”(監督ロジェ・ヴァディム、59)が、含まれている。
これらは彼が映画音楽を担当する際のいわば「参考文献」であり、ここでの演奏もオリジナルを大いに意識したものになっている。改めて確認しておくと『拳銃の報酬』と『大運河』はジョン・ルイスが、『死刑台のエレベーター』はマイルス・デイヴィスが音楽監督を担当し、『危険な関係(のブルース)』はアート・ブレイキーとザ・ジャズ・メッセンジャースの演奏によるものである(彼らについてはもう随分昔になるが本連載コラムの
第三、
四、
五回に少しずつ触れてある)。現在なら、レコードにわざわざ「オリジナルを意識しすぎた演奏」を収録することは絶対にない。そんなことをしたら笑われる。しかし1960年当時の日本のハードバップ・ジャズの趨勢というのは現在とはかなり違う。極端な言い方をすると、有能なジャズメンほど「コピーが上手い」。誰それの演奏の完全コピー、というのがジャズ喫茶でのセールスポイントでありえた時代である。だからこれらのアルバムでも、ちゃんと比較すると完全コピーではないのが分かるけれども(例えば『死刑台のエレベーター』にヴァイヴラフォンが入っていたりする)、とりあえずムードはオリジナルに近づけてある。
多分こうしたアレンジ偏重主義のアルバムは、アルバム自体をさほど優れたものにはしなかったにしても三保の映画音楽の作業への予行演習としては大いに役だったに違いない。例えば『ファンキーハットの快男児 2千万円の腕』では『大運河』におけるジョン・ルイスの名曲「ゴールデン・ストライカー」“The Golden Striker”のヴァイヴラフォンをフルートに置き換えたような曲(盗用とは言えないが)も使われていたし、走る車の前進(あるいは後退)移動カメラの画面に即興風のトランペットをフィーチャーする方法は『死刑台のエレベーター』を出発点にして、三保も既述のように『事件記者 影なき男』でさっそく試みている。
さて「ジャズと映画史」を彩る最高のトランペッターにして三保の映画音楽にも大きい影響を与えた人物、として名前を挙げやすいのがマイルス・デイヴィスだとしても、本当はこの人をその前に述べておくのがスジであろう。ショーティ・ロジャースである。三保のキャリア・プロフィール等を読むと、この時代、彼が最も好んで取り入れたのはロジャースのスタイルだったとされている。ロジャースはトランペッターであると同時にこの時代のアメリカ西海岸を代表するグループ・リーダー、そしてアレンジャーでもあったのだ。本連載では
第六回でエルマー・バーンスタイン音楽監督による『黄金の腕』“The Man with the Golden Arm”(監督オットー・プレミンジャー、55)についてふれた際に、その編曲者の功績を少し述べたことがある。
「映画音楽家」としての彼の名を一躍有名にしたのが『乱暴者(あばれもの)』“The Wild One”(監督ラズロ・ベネデック、53)で、ハリウッド最初の暴走族(バイカー)映画である。三保も当然これは見ていただろう。『事件記者』シリーズでは第八弾『狙われた十代』が公道での「カミナリ族」による違法レースを描いていた。三保は(オートバイじゃないが)稀代のスピードマニアだから、こういう素材はお手の物だったに決まっている。前半レース場面とクライマックスの追跡場面で勢いのあるジャズが用いられて効果的である。必ずしも『乱暴者』風ではなかったが、そういう文脈とは別に、今回ここでこの作品については記しておきたい件がある。
第六回のコラムでは、ロジャースがジャズのパートを全面的に担当しながらリース・スティーヴンスにクレジットを奪われた、というニュアンスで述べてしまったのだが、どうやらそう事は単純ではないらしい。『乱暴者』と『プライヴェート・ヘル36』のサントラCD“Jazz Themes from Two Great Movies The Wild One + Private Hell 36(Fresh Sound)が近年カップリングでリリースされ、詳細なデータとインタビューが掲載されているのだが、そこには正式にクレジットされた映画音楽家リース・スティーヴンスの功績がきちんと語られていたのである。ライナーノーツを少しだけ読んでみる。
リース・スティーヴンスは五十、六十年代に五十本以上の映画音楽を担当したにも拘わらず、不当にも過小評価されている。53年、54年というとても早い時点でジャズを映画音楽に使用するという革新的な選択を行ったことにより、彼の存在はヘンリー・マンシーニとエルマー・バーンスタインを予感させたのだが、彼らのような認知や評価を得ることはなかった。(略)スティーヴンスによる前衛的ジャズの使用は映画音楽史に革新をもたらしたが、また彼はそのスコアに最適なジャズメンを選ぶについても極めて意識的であった。これらの映画で彼はスコア解釈に非凡な腕を持つトランペッターでリーダー、ショーティ・ロジャースを起用した。事実、これらの演奏はウディ・ハーマン、スタン・ケントン他モダンジャズにおける偉大な人々の下でアレンジを提供してきたロジャースの、その時点まででのキャリアのハイライトになった。ショーティ自身がグループを組織しリーダーとして現れると、リズムやハーモニーの概念がかつてないほどに広がることになったのだ。西海岸派ジャズの代表格として、彼の評価を決定づけた音楽的概念の多くは映画音楽のスコアの輝かしい集成に明らかにされている。レコーディング直後、ジャズ批評家達はこの二本の映画音楽は全てロジャースの作曲だと信じたが、この決めつけはスティーヴンスの気分を害した。ショーティはしかし後にこう述べている。「私はこれらの映画に関して、幾つかの曲のオーケストレーションと編曲に雇われただけだ。私の音楽の多くは(編曲においても)私自身の明白なスタイルを持っているために、(編曲以外に)作曲も譜面書きも私がやったに違いない、と思われたのだろう、それは大いにありそうなことだが(そうではない)。」
リース・スティーヴンスに始まる「映画ジャズ」の系譜についてはいずれ別に書いていくつもりである。予想されるようにそれは広い意味での「犯罪映画」や「十代の非行少年映画」につけられていたジャズであり、その多くは白人主体のいわゆる西海岸派ジャズメンを起用したものだ。従って本連載の
「第三回から第六回」分へのより詳細な意義づけというコンセプトになる。取り急ぎ参考になるアルバムを二枚だけ紹介しておくと。「クライム・ジャズ」“Crime Jazz: Music in the First Degree”(RHINO)と「クライム・ジャズ2」“Crime Jazz: Music in the Second Degree”(RHINO)である。トップに収録されたのが『乱暴者』と『黄金の腕』であることから、こうしたコンセプトは明白だ。ロジャース、スティーヴンス、バーンスタインに始まり、クインシー・ジョーンズなどの定番はもちろんアレックス・ノースやミクロス・ローザの先駆的な仕事にも目配りが利いている。