映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第53回 60年代日本映画からジャズを聴く その11 ピアノ炎上
ピアノは二度炎上する
続いて八木はピアノという独特な楽器に対するアンヴィバレント(二律背反的)な感情を語る。

ピアノというのは、図体がデカいというせいもあって、ピアノと自分の対峙みたいなことがあるでしょう。他の楽器だと、楽器と自分が対峙するということは余り無くて、殊にラッパなんて、楽器が自分の口唇の延長みたいだと思う。だからパーッと喋れるんだろうけれど、あんな大きなピアノは自分の肉体の一部とは思いにくいわけで、余計に腹が立つところがあるんで、仕方がないから自分をピアノにぶつけて、それを楽しむところがある。それがあなたの場合もあるのかなって気がする。

ここで八木が山下に同意を求めるのは、山下も常々、ピアノという「図体がデカい」楽器への複雑な感情をエッセーにしたためてきたからだ。彼は答える。「ピアニストは自分の楽器を持たないわけで、人前で弾くのは、その場限りの行きあたりばったり、そこにあるやつですよね。(略)でもこういうピアノを自分が弾けばこういう音になるぞというものもある。(略)ピアニストがピアノと対話してその音にひたって行くというのはよく判りますが、(略)ぼくは、そういうことすべてが聴き手にはね返るということを、いつも考えてます。」
楽器が自分の身体の一部の延長であり、関係が音を出すだけでひとまず完結するかのような他の楽器、例えばトランペット等と異なり、ピアノは自らの身体全体が対峙するような存在としてまずあって、そうした自他的関係が必然、自分と(ピアノの)音、さらに自分と音とそれを聴く聴衆へ、と段階的に展開していくと言う意味だ。これが完結するのは聴衆の反応にまた反応するピアニスト(自分)という存在にあるのは言うまでもない。
完結と言っても一瞬の完結。また聴衆と言ってもお客さんとは限らない。ソロピアノならば音を最初に聴く聴衆はピアニスト自身だし、グループ・エキスプレッションということになればお客さんの反応よりも同じステージで共に演奏している「ドラマーやサックス奏者という聴衆」の反応の方が先行する。「ひたる」のではなく「はね返る」という山下の感じ方が重要である。ジャズ・ピアニストの存在論というのは「音が自分ではないことを自覚する」ところから出発するものらしい。モンクにおけるフィードバック・システムというのもこうした問題と無縁ではないはずだ。モンク的ピアノを話題にする二人にとって、話が奏法から始まりつつ結局自分に戻ってくるのはそれ故である。「(八木)聴き手にはね返るということを、ぼくも理想では思うんだけど、まず自分がピアノの周辺で終っちゃうことが非常に多いのね。そんな思いもあっていつかピアノに火をつけて燃えるピアノをあなたに弾いて貰ったことがあったけど(後略)。」

『ピアノ炎上』

山下洋輔著「ピアニストを笑え!」
私は確認していないのだが、燃えるピアノを弾いている山下洋輔の映像がネットでも見られる、あるいは見られたことがあったらしい。テレビのクイズ番組から取られたフッテージだそうだ。グラフィックデザイナー粟津潔による16ミリ作品『ピアノ炎上』からの抜粋だろう。多分「燃えるピアノと山下」という連想はそれなりにジャズファン、山下ファンの間では共有されているのだと考えられるものの、この奇妙なパフォーマンスの裏にいたのが実は八木正生であったことに関してはあまり知られていないようだ。この機会にその件について述べておく。山下の著書「ピアニストを笑え!」(新潮文庫刊。晶文社刊)に収められたエッセー「コンバット・ツアーPARTⅠ・国内篇/生田の丘にピアノは燃えた」に拠ることにしよう。

帰るとソロピアノの仕事が待っていた。燃えるピアノを弾ける限り弾いていろというのだ。かつてハプニング全盛期には、ピアノを斧でたたき壊すとか(略)色々あったが、おれの知る限りピアノを燃やしてそれを弾くというのはない。しかもどういう思考運動会の結末か(このフレーズは三上寛)この録音を小学生向けの音楽教育レコードのシリーズに使うのだそうだ。

1973年6月15日。「生田の丘の粟津潔邸の庭はレコーディングというよりは、ハプニングショーの観を呈した。四本のガンマイクでねらわれているグランドピアノは、まさか燃されるとは知らず、のんびりと待っている。おれは消防夫のヘルメットをかぶり、風上の鍵盤の前に座って弾き始めた。立ててある譜面台の向うに煙が上った。」弦はだんだんゆるんでいく。低音部が最初にやられ、中音部から上で弾いていくと火がふたの支柱を焼き、ついに支柱が燃え尽きた。最高音域一オクターブだけがしばらく持ちこたえたものの、やがて「おれのたたくクラスターの音程が一斉に下り始めた。ギターの弦をゆっくりゆるめるように、たたくたびに音が落ちていった。そして消えてしまった。おれはなおもしばらくカタカタいう鍵盤をたたき、それから立ち上ってフタを鍵盤台から抜き出し、火だるまの木骨の上に放り投げてやった。」ここまで約二十分。
燃えるピアノを演奏する山下とそれを16ミリカメラに収める粟津。その両者を見ていた人物の証言もある。粟津の子息ケンである。当時彼は十四歳の中学生だった。
父親から「今日、山下洋輔が燃えるピアノを弾くぞ」と言われ、それがどういうことかよく分からないまま「得体の知れない期待」を抱えて彼は帰宅した。裏庭に置かれたピアノ、それを取り巻くスタッフ、そしてピアノが燃やされ、山下がそれを弾く。「ある時ピアノの音は消えた。燃える火の音だけが残っている。それでも山下洋輔は、演奏をやめようとしない。鍵盤を打ちまくっている。粟津潔はピアノの前に三脚を立て、16ミリのフィルムをまわし続けている。それからどのくらいの時間が経過しただろうか。演奏者はピアノから離れ、それが勢いよく燃えてゆく姿を汗を拭いながら見つめていた。」

『ピアノ炎上2008』
それから35年後の2008年、金沢21世紀美術館で開催された「粟津潔大回顧展」のためにケンは『ピアノ炎上2008』を企画する。山下もケンの依頼に応え、今度は海岸での炎上ピアノの演奏が実現した。この映像は、韓国のニュース番組の文化トピックのコーナーで取り上げられた際のものが、山下へのインタビューと共にアップされていて今でも見られる。ただしちょっとだけ。オリジナルの『ピアノ炎上』(監督:粟津潔、73)は、粟津の仕事がアメリカで紹介されたのを契機にニューヨーク近代美術館に所蔵されたとのことだが、日本でもちゃんとイメージ・フォーラムが持っているのではないかと思う。昔、四谷三丁目の上映スペースで見た記憶がある。なおケンの証言はウェブ「TOWER RECORDS ONLINE」上のフリーマガジン「intoxicate101号」に掲載された北川フラムのテキスト「粟津潔と山下洋輔」から引用させていただいた。