ベストテン2012と二つの映画祭
少し気が早いかも知れないが今年もベストテンの季節がやってきた、とまず言いたい。私の場合、発表の機会が与えられたのは、一昨年までは「映画芸術」誌のみ。昨年(2011年ベストテン)は「映画芸術」と「キネマ旬報」。今回は「キネ旬」のみ。次回のことは分からない。もう原稿は編集部に送ってしまった。雑誌媒体というのは原稿執筆から現物が店頭に並ぶまで時間がかかるので、2012年に公開された作品からのセレクションでも発表は次の年の二月頃になるわけだ。
私は割とコンスタントに映画芸術に書いている方だが実は自分のところしか読まないので、キネ旬にベストテンを選出している人は映画芸術お断り、という一大原則に気づいていなかった。前回は、私がキネ旬に参加していることを知らずに映芸から選出依頼が来て、喜んで両方に書いたのだが、これ反則だったわけなんです。一応二誌に作品を割り振ったりして工夫したつもりだがそういう問題じゃない。先に言え、と映芸編集部から後で怒られたが知らなかったんです、すみません。今年はそういう次第で映芸には書けない、これはとても残念。というのも映芸はコメントの分量がハンパじゃなく、その年の総括がきちんと出来る(二千字くらいは書いて良いと言われている)のだがキネ旬の方はメモ程度のことしか記せないのだ。二誌に書きたいのはそれが理由である。それじゃキネ旬じゃなく映芸を選びなさい、という天の声が聞こえてくるが私はそこまで立派なヒトじゃないのであった。
今回のコラムは
前回からの続きをやると同時に「ベストテン2012」のコメントも兼ねるという中途半端なコンセプトで行きたい。もちろん記述は本来のコラムのテーマに違背することのないようジャズがらみではあるが、そういうことなので「八木正生」編はまたしてお休みである。で、先走って書いてしまうと年明けにコメダ関連イヴェントでまたオラシオさんに会う予定なので、その成果もコラムに反映させたいと考えており、次回も「ポーランド派とコメダ」というくくりで行くことになろうかと。なので今回が中編。次回が後編である。
キネ旬のために選んだベストテンを別媒体で先に発表するというのは、法律には違反しないとしても「仁義にもとる」のでそれは出来ない。ここに記すのはベストから外されたベストの話題となる。キネ旬コメントの最初に書いておいたのだが、キネ旬の選出規定により『エロイカ』(57)、『愛される方法』(63)、『列車の中の人々』(61)の三本を外してある。旧作だからというのではなく
ポーランド映画祭という特殊上映形態だからである。そういうことはキネ旬ベストテンには往々にしてある。映芸ベストに参加していたらこれらをトップに持ってくることが出来たわけだ。
この三本は『不運』(60)、『サラゴサの写本』(65)、『沈黙の声』(60)と差し替えても良い。もちろん差し替えずに両方入れても良い。監督がどちらも順にアンジェイ・ムンク、ヴォイツェフ・イエジー・ハス、カジミェシュ・クッツなのである。十本中六本が同一企画からというのは明らかに多すぎるが、イエジー・スコリモフスキ監修による映画祭のセレクションはいずれも年度ベストテン級逸品ばかりだから当然だ。ほかにもアンジェイ・ワイダ、イエジー・カヴァレロヴィッチ、ロマン・ポランスキーの初期代表作も含まれていて、それらは既に公開年度にちゃんと評価されている。キネ旬ベストテンは(映芸はそのヘンいい加減)正式に最初に公開された年度に対象となるからベストに選出されるのは一回だけ。今回の上映作品で曖昧な評価に終わったのはスコリモフスキの『バリエラ』(66)くらいではないか。
と言っても、今回評価されなかった、という意味ではない。正式上映が2010年だから当然その際にベストテンに選出されるのがスジなのだが、映画評論家は85年の特殊上映時に既に見てしまっていてうっかりベストテンから外した人が多かった、ということだ。実は私もそう。「紀伊國屋映画叢書1:イエジー・スコリモフスキ」を読むと、その前に67年開催第一回草月実験映画祭で上映されていたこともわかる。本当に見るべき人はそこで見ているはず。スコリモフスキの名前が日本で知られるようになった端緒はこの時と言うべきなのだろう。もちろん今回初めて『バリエラ』を見てショックを受けた人もいるに違いない。ここで音楽を担当しているのがクシシュトフ・コメダである。スコリモフスキはコメダとこの傑作を手始めに『出発』(67)、『手を挙げろ!』(67、81、85)と三本で組んでいる。
会場も同じイメージフォーラムで開催された
「ホセ・ルイス・ゲリン映画祭」の場合は作品がちゃんと一週間上映されているのでキネ旬ベストテンの選出規定に違反しない。きっとそれなりの作品が上がってくるに違いない。私は一本だけ入れた。これは企画の勝利というべきか。日本映画のベストテンにもちょっとふれようかと思ったが、さすがにこれは全然コラムのネタと関係ないので止めておく。
ただ三池崇史監督
『悪の経典』(私はベストテンに選出しなかった)のキーポイントとなる音楽が「モリタート」“Moritat”だというのは唯一ふれて良いかも。この「モリタート」というのは「戯れ歌」といった意味だが、ジャズの世界では特別に愛されてきたものだからだ。映画で前半部、主に流れていた音源は初期トーキー版の映画『三文オペラ』“Die Dreigroschennoper”(監督G・W・パプスト、31)のサントラからだったと思う。主人公メッキー・メッサー(匕首メッキー)の悪行三昧を歌った戯れ歌、という意味で「メッキー・メッサーのモリタート」とも呼ばれる。原作はベルトルト・ブレヒトとクルト・ヴァイルによる音楽劇。しかし普通ジャズの世界で「モリタート」と言えば、まずソニー・ロリンズがアルバム「サキソフォン・コロッサス」“Saxophone Colossus”(Prestige)で取り上げたヴァージョンを指す。『悪の経典』では使われていたかどうか覚えがない。匕首(あいくち)メッキーは英語にすると「マック・ザ・ナイフ」“Mack the Knife”で、こちらのタイトルによりポピュラー・ミュージックの世界ではさらに有名になった。英語の歌詞に替えられてボビー・ダーリンが歌い大ヒットさせたからだ。アルバムではベスト盤「ザ・ベスト・オブ・ボビー・ダーリン」“The Best of Bobby Darin”(Atco)に収録されている。もう一人の注目はエラ・フィッツジェラルド。彼女によるヴァージョンでライヴ・アルバム「マック・ザ・ナイフ~エラ・イン・ベルリン」“Mack the Knife Ella in Berlin”(Verve)に収録。エラとボビー・ダーリンの歌声は映画後半部でしっかり聴こえた。