クラーク、ワイズマン、そしてリー
前回の『ザ・コネクション』“The Connection”(61)からそのまま今回は『クール・ワールド』“The Cool World”(63)へつなぐ、この流れは隣の
吉田さんのシャーリー・クラーク篇コラムと一緒。何故こんなことが、と疑問に思うほどのもんでもない。実はこれらの当コラム紹介作品に関する資料を普段から私は、吉田さんを始め遠山純生さん、桑野仁さんといった優れた研究者の方々から頂戴しているわけなのだ。さしあたりこの二本も我々の間で同時期に共有されている、といっても私は大体もらうばっかりだが。そういう次第。少し内容がかぶる部分も出るが、こちらはあくまでジャズ関連中心で記述する方針なので御了解されたい。でもこれを読む前に吉田さんのコラムを訪問しておいて下さい。
この秋、ユーロスペースにおいて
「フレデリック・ワイズマンのすべて」と題してドキュメンタリー作家ワイズマンの「現在上映可能な36作品一挙上映」企画が実現する。それに合わせて著書「全貌フレデリック・ワイズマン アメリカ合衆国を記録する」(土本典昭+鈴木一誌編。岩波書店)、こちらは既に発売されたが、彼の(日本オリジナルの)ロングインタビュー等で多彩な作品世界を読み解いている。初の監督作となる『チチカット・フォーリーズ』“Titicut Follies”(1967)から『ボクシング・ジム』“Boxing Gym”(2010)まで、キャリアのほぼ全域をこのレトロスペクティヴでカヴァー出来るのだが、残念ながら彼の映画人生の出発点となる『クール・ワールド』は上映されない。
いわゆる「鬼っ子」って言うんですか、どことなく厄介者扱いみたい。ここで彼はプロデューサーとして企画に最初から全面的に関わったが、結果やっぱり自分で監督しなきゃダメだな、とつくづく思い知ったとされている。前記著書の作品解説によると、監督とワイズマンが大変折り合いが悪く双方に苦い体験となったらしい。製作費の超過分についてワイズマンは一切支払わず、ということはクラークの自腹ということなのだろうが、その件も含め両者厳しくいがみ合ったらしい。
以下は私が言っていることではなく解説を私なりに総括しているだけだから怒らないでもらいたいが、要するにクラークから見るとワイズマンは「金に細かいだけの人種差別主義者」ということだと思う。クラークの当時パートナーだったカール・リーに対してワイズマンの処遇が極めて不当で、それ故クラークはワイズマンに根強い不信感を抱いた。この不信の原因がギャラかクレジットか両方か、まあそんなことはどうでもいい。結局リーは脚本のクレジットをクラークと共同で得ているがこれがクラーク、リー、ワイズマン三者にとってどうしたパワーバランスで実現されたものであるか今はつまびらかにしない。ワイズマン自身は本作に関して前記著書でもあまり語っていないが、ただしクラークの発言のみを以って彼を裁くのは不当だろう。
映画『クール・ワールド』は高い評価を得、即ちクラーク、ワイズマン双方に悪い結果をもたらしたとも思えないが、簡単に見られる作品とはなっていない。この点は前作『コネクション』も同様だ。
映画史家ローレン・ラビノヴィッツによるシャーリー・クラーク論を使って、彼女の映画史的意義を総括しておこう。
その論考はこう始まる。「シャーリー・クラークは1950、60年代ニューヨークの映画コミュニティにおける指導者にして代表的映画作家である。彼女の映画はインディペンデント運動の芸術的方向を例証するものであり、アメリカのインディペンデント映画製作の最も優れた成果を代表するものとなっている。」インディペンデント映画という名称は一般的なものとなっているのでそのまま使うことにする。もっとも名称が知られている割に概念は明確ではない。ハリウッドのメジャー・スタジオで作られていなければ何でもインディペンデント、「独立系作品」ということにひとまずなってしまうはずだが、この小論の場合そうではない。後述するようにクラーク作品の映画的価値というのはハリウッド製劇映画に一般化されているモラルへの疑義であり、その叙述スタイルへのアンチでもある。そしてこの方向を突き詰めれば「エクスペリメンタル・ムーヴィー」“experimental movie”、日本語では実験映画と訳されている類の非商業的小型映画になり、初期のアンディ・ウォホール作品のように美術館のような特殊なスペースでのみ上映されることになる。クラーク作品に関して言えばこうした実験映画からほとんど劇映画に近い傾向の企画『クール・ワールド』まで、その振れ幅も極めて大きく、そこに彼女なりの個性を認めるべきだと思われる。だから逆に見れば「インディペンデント映画作家としてのクラーク」というくくり方は、その大ざっぱさでかえってうまく彼女に適合するわけだ。