マンとフレンド(プレヴィン)が対決する二枚
舞台「マイ・フェア・レディ」大好評により「七年間、2,717回」の初演継続記録を作ったことがハリウッドの映画人を大いに刺激し、64年には映画化、そこで映画用音楽監督を任されたのがアンドレ・プレヴィンだったことは既に記した。その副産物として映画の制作中64年4月に録音されたのが「マイ・フェア・レディ」“My Fair Lady”(ソニー・ミュージック。原盤Columbia)だった。プレヴィンと彼のカルテット名義だが、この場合の四重奏団とはプレヴィンのレギュラー・トリオ(レッド・ミッチェルのベース、フランク・キャップのドラムス)にハーブ・エリスのギターが加わるものだ。ミッチェルとキャップは映画用サウンド・トラックにも参加しているとのこと。
「昼は映画の仕事をし夜はジャズを録音するというハードな計画が実行された。初日にはオードリー・ヘップバーンがやってきてセッションに立ち会い、最終日にはジャケット撮影に協力してくれた」とライナーノートにあるように、56年の「マン&フレンズ」による最初のジャズ版「マイ・フェア・レディ」とは少し違った雰囲気でセッションが持たれた。作者のラーナーとロウは舞台初演直後にマン、プレヴィン、ヴィネガーにより演奏されたジャズ版を大いに気に入り、様々な機会にその素晴らしさを宣伝してくれた。そうした経緯もきっとあったのだろう、このプレヴィン二度目のジャズ版「マイ・フェア・レディ」も素晴らしい演奏で、前回と異なる工夫も随所に見られるものの最初のような「冒険心」はない。
一方、シェリー・マンはシェリー・マンで再度ジャズ・バージョンの「マイ・フェア・レディ」“My Fair Lady with the Un-Original Cast”(EMIミュージック。原盤Capitol)に挑戦している。名義はシェリー・マン、ヒズ・メン&オーケストラ。プレヴィン版の三カ月後、64年7月、8月の録音だ。英語タイトルに注目して欲しい。舞台版のキャストを起用してレコードが作られると、それを「オリジナル・キャスト」と銘打つのが習わしで立派にセールスポイントとなるわけだが、わざわざ「オリジナルじゃないキャスト」による、としたのがマン一流の洒落になっている。再発売版では比較的ありきたりな“My Fair Lady Swings”に改名しているのが惜しまれる。
岩浪洋三による本盤ライナーノートを読んでもあまりよくわからないのだが、プレヴィン盤とマン盤という御本家二人による分家バージョンはどうやら売れ行きでプレヴィンの圧勝に終わったらしい。最初の「マン&フレンズ」版はレコード・セールスにおいて百万枚を突破し、マンは印税契約のおかげで潤ったものの音楽監督の立場にあったプレヴィンには一文も入らず(セッション時に吹込み代は貰っただろうが)、大いに腐ったプレヴィンは「そのせいでクラシックに転向した」なんて結構失礼なことがライナーノートに書かれている。それはさておき、現在この二枚を続けて聴くとマン盤の方がずっと面白い。
というのは、ここで音楽監督を務めているのがジョン・ウィリアムズなのである。あまりにありきたりな名前でもあり、事実、同じ名前の音楽家はクラシックにもジャズの世界にも数人いるわけだが、間違いなくこれは「あの映画音楽の大家」「スピールバーグ映画の御用達」ジョン・ウィリアムズである。この当時ウィリアムズは『殺人者たち』“The Killers”(ドン・シーゲル監督、64)等に音楽を提供する一方で、ジャズ・ピアニスト兼アレンジャーとしても活躍していたのだ。要するに彼もまた典型的な西海岸派ジャズマンということになる。
パーソネル(演奏者)を簡単に紹介しよう。シェリー・マンとヒズ・メン(ラス・フリーマンのピアノ、モンティ・バドウィグのベース、それにトランペットとアルト・サックス一人ずつ)にウィリアムズ指揮のブラス・オーケストラ(トランペット四人、トロンボーン三人、サックス等三人、フレンチホルン二人、チューバ一人)が十三名、ここに女性歌手アイリーン・クラールと男性歌手ジャック・シェルドンが加わる。シェルドンはトランペッターでもあるが、本盤では歌のみ。舞台のヒギンズ教授はレックス・ハリスンだったが、それをシェルドンが。そしてジュリー・アンドリュースが演じた花売り娘イライザ(映画版ではオードリー・ヘップバーンが演じている)をここではクラールが、という作りになっている。
可笑しいのは、舞台のコンセプトと異なりイライザがここでは上品な英語で歌い、ヒギンズ教授がぐっとくだけた下世話な言葉使いになること。喜劇俳優としても名を成した(テレビ『逃げろや逃げろ』の主役)シェルドンならではの達者な芸を楽しめる。クラールはジャズ史上最も有名な夫婦デュオ「ジャッキー&ロイ」の片割れロイ・クラールの妹で、特に日本にはファンが多かったが四十代で早死にした。姉に劣らぬ才能をきちんと示したこのアルバムは、そういう意味でも貴重である。この「シャレのめした」音楽的コンセプトを思いついたのは当然リーダーのシェリー・マンだろうが、小編成のオーケストラとコンボを自在に組み合わせ、そこにコメディ風のヴォーカルを入れるという具体的な構成を担当したのは音楽監督ウィリアムズだったわけで、この異色の傑作が誕生した功労者の一人が彼であったのは間違いない。
アンドレ・プレヴィン「プレイズ・ミュージック・オブ・ザ・ヤング・ハリウッド・コンポーザーズ」
共にハリウッドでも活動した二人、プレヴィンとウィリアムズに音楽的接点がなかったはずがない。「アンドレ・プレヴィン・イン・ハリウッド」“Andre Previn in Hollywood”(Columbia)、「サウンド・ステージ」“Sound Stage”(Columbia)、「プレイズ・ミュージック・オブ・ザ・ヤング・ハリウッド・コンポーザーズ」“Andre Previn Plays Music of the Young Hollywood Composers”(RCA,Victor)と三枚も共演盤がある。旧友二人が作った異色盤「マイ・フェア・レディ」に、一番うけたのはプレヴィンだったかも知れない。