ドン・シーゲル特集 <その1>
この7月、WOWOWで、今は亡き犯罪活劇映画の名手、ドン・シーゲル(1912-91)が1950年代に放った、日本ではこれまでほとんど知られることのなかった貴重な4作品が、「ドン・シーゲル 知られざる傑作」特集と題して放映される。

文字通りTHE LINEUPの原題を持つ『殺人捜査線』を含む4作品のラインナップは、製作年順に以下の通り。

『中国決死行』(53/原題:CHINA VENTURE)
『第十一号監房の暴動』(54/RIOT IN CELL BLOCK 11)
『殺人捜査線』(58/THE LINEUP)
『グランド・キャニオンの対決』(59/EDGE OF ETERNITY)

シーゲルは、『彼奴は顔役だ!』(39)、『カサブランカ』(42)をはじめ、最盛期のワーナーの数々の名作にモンタージュ監督や第2班監督として携わった後、45年、ついに監督に昇格。以後、『ボディ・スナッチャー/盗まれた街』(56)や『突撃隊』(62)、クリント・イーストウッドとの名コンビによる『白い肌の異常な夜』『ダーティハリー』(共に71)、そして呪われた遺作『ジンクス』(82)に至るまで、数々の鮮烈な作品を放って活躍し続けた、ハリウッドきってのプロの職人監督の1人であることは、すでに御存知の方も多いだろう。
昨年、〈ドン・シーゲルコレクション〉と銘打って、『殺人者たち』(64)、『ガンファイターの最後』(69)、『突破口!』(73)、『ドラブル』(74)という、60〜70年代の彼の円熟期を彩る4作品がキングレコードからDVD化されて発売され、DVD-BOXのブックレット解説を担当した筆者は、そこでシーゲルのほぼ半世紀にも及ぶ苦闘の映画人生を詳述しているので、興味のある方は、ぜひそちらを参照して欲しい(なお、今回ここで紹介する『第十一号監房の暴動』の解説は、そちらで書いたことと重複するが、シーゲルが自己の映画世界を確立した最初の傑作として、やはりこれを省くわけにもいかないので、これでも短く縮めて再収録した。あくまでネットで参照可能なサンプル品と思って見て欲しい)。

だが、シーゲルはまた同時に、スタジオ・システムの解体、赤狩り、TVの台頭など、さまざまな影響によって、ハリウッドが急速に崩壊・変質を遂げていく50年代の映画退潮期に、時代の荒波と必死で格闘しながら独自の地歩を築いていった、いわゆる“ハリウッド・フィフティーズ”を代表する実力派映画作家の1人でもある。けれども、シーゲルがハリウッドの弱小映画会社を渡り歩き、乏しい予算と製作日数、そして主役には些か物足りない二線級のキャストなど、苛酷な製作条件の下でプログラム・ピクチャーを作り続けるなか、独自の映画世界を切り拓き、深化させていった肝心の50年代の作品は、これまで日本では、容易に見られるものがごく僅かに限られていた。

『中国決死行』について、シーゲルは、自伝 A SIEGEL FILM の中でこう述べている。
「この映画は、自分ではとても出来がいいと思ったのだが、これっぽっちも世間の関心を引くことはなかった。まさに当時の典型的なシーゲル映画だった。近所の映画館に初日に駆けつけて見なければ、おさらばとなってしまい、後年、ズタズタにカットされ、テレビの箱の中に窮屈に押し込まれた形で、かろうじてお目にかかれるって寸法さ」

ところが、残念ながら、この『中国決死行』にしろ、『殺人捜査線』にしろ、日本では、劇場での公開はおろか、短縮版でテレビ放映される機会すら訪れず、また4作品すべて、ビデオやLD、DVDのソフト化もされずに今日まで至っているような始末(『第十一号監房の暴動』がスペインでDVD化されているのを除くと、残りの3作品は、本国アメリカをはじめ海外でも現時点ではDVD化されていない)。それが今回、実に半世紀もの長い空白期間を経て、ついに、ようやっと、日本の映画ファンの前に伝説的な姿を現すというわけだから、これを快挙であり、事件と言わずして、いったい何と呼ぼう?
というわけで、せっかくのこの貴重な特集企画を、1人でも多くの映画ファンにぜひ見て楽しんでもらいたいという思いをこめ、今回この場を借りて、放映される映画の見どころと作品の成立背景について、個々にもう少し詳しく紹介していきたい。

まずは『中国決死行』から。これは、シーゲルが最初に手がけた戦争映画。物語の内容は、第2次大戦中、飛行機の撃墜により、中国奥地の地元ゲリラの手に落ちた日本のさる将校を、日本軍に先んじて捕虜として確保し、彼と極秘の膝詰め談判を行うべく現地へと向かった米軍部隊の決死作戦の運命の行方を追ったもの。米政府は公式にはあえて否定も肯定もしないだろうが、これは実際に起きた出来事に基づいて作られた映画である。ただし便宜上、場所や人名は変更してあるが、…という作品冒頭の前置きは、むろんB級的なプロットを始動させるためのギミックであって、額面通りに受け取る必要はさらさらなく、また、ここでネタバレをするワケにはいかないが、ラストのオチも、とりわけ今日の日本人の観客の立場からすると、多分に問題があることは否めないのだが、それは劇中の主人公の台詞同様、「自分には話が大きすぎて手に負えない」と言い捨てておいて、とりあえず先に話を進めよう。

この『中国決死行』の製作会社はコロムビアで、いちおうハリウッドのメジャー会社の1つであるとはいえ、しょせん二流の弱小会社。劇中、さまざまな危難を潜りぬけながら中国奥地のジャングルを切り拓いて進む主人公たちの行軍が、映画の見どころの1つとなるが、それは当然、現地ロケなどではなく、コロンビアが所有する野外撮影用地のステージをジャングルに仕立てて撮影されたもの。しかしシーゲルは、ワーナー時代にモンタージュ監督として鍛えた巧みな撮影と編集技術で、セットの貧弱さを押し隠し、また、土砂降りの雷雨で部隊の一行が立ち往生を余儀なくされる場面の撮影では、ステージを丸ごと押し流してしまうほど大量の水を溢れ出させて(まるで『ドラブル』の中の、あのワインの噴出場面のように!)、スタジオのお偉方たちをすっかり慌てさせたという。

物語の後半、部隊の一行は、ようやくめざす目的地に辿り着いて、日本人将校を捕虜にした中国人ゲリラと接触し、やがてその親玉が、まさに蛮族の王よろしく、物々しい太鼓の響きと共に、行列を従え、文字通り、鳴り物入りで登場する。そして、どこかパンダを思わせる丸い童顔のこのゲリラの親玉は、薄気味悪い笑みを浮かべながら、「わたし、アメリカ人、好き。私、アメリカのドルも大好き」と、たどたどしい英語で米軍の一行に語りかけ、ことと次第によっては他国と交渉することもちらつかせながら、日本人将校を米軍に引き渡すための、さらなる高額の身代金を要求することになる。

後にあらためて述べる通り、シーゲルは50年代、『殺し屋ネルソン』(57)のミッキー・ルーニーをはじめ、危険で兇暴でどこか狂気を孕んだ反社会的なアンチ・ヒーローたちを時代に先駆けて次々と造型して、独自の評判を築いていくわけだが、本作でのこの親玉の描き方は、その先駆的な例の1つというよりはむしろ、ハリウッドが長年、東洋人を不可解で得体のしれない、いわゆる“イエロー・フェイス”として誇張的に描いてきた、ステレオタイプの伝統表現の1つと見た方が適切だろう。この悪玉役を演じているのは、中国人俳優などではなく、もとはウィーン生まれで、このテのあやしげな悪役を得意とした白人の性格俳優レオン・アスキン(日本でいえばさしずめ、日活無国籍アクションにおける藤村有弘といったところか)。そして劇中の物語は、この度し難いゲリラの親玉を相手に回して、米軍部隊がいかにして難局を乗り切るかに焦点が絞られていくわけだが、そのあたりの展開は、どこか、本作よりも後に作られる、同じ中国の辺境の地を舞台にしたジョン・フォードの遺作『荒野の女たち』(65)を思わせるとだけ述べて、そろそろ次の作品に移ろう。