映画生誕100年を迎えた1995年、BFI(でしたっけ?)の音頭取りで、世界各国の映画生誕100年記念映画が製作された。その中のフランス篇ではゴダールがフランスの映画生誕100年記念実行委員長であるミシェル・ピコリに向かって、「不思議の国のアリス」のマッド・ティー・パーティをもじって、「どうして映画100年を祝う必要がある?」「毎日祝えばいいじゃないか」と言う。まったくその通りだと思う。
それにしても、いつから生誕やら没後やらを祝う風潮が根付いたのか。伊藤大輔も五所平之助も生誕100年を日本映画界が完全にスルーしたことを考えると、海外においてはDVD発売の活発化により、発売のきっかけを生誕や没後の記念年に求める営業戦略だろうが、日本のDVD市場ではそういった状況が生まれるはずもなく、代わりにCSの特集放映がその役割を担うことになったことは確かなようである。
■
日本映画専門チャンネルからは、先月に続き「中川信夫生誕102(トーフ)年記念特集」がある。
・『番場の忠太郎』(55)
・『石中先生行状記・青春無銭旅行』(54)
・『雷電』(55)
・『続雷電』(55)
・『私刑』(49)
・『若き日の啄木・雲は天才である』(58)
・『エノケンのとび助冒険旅行』
新東宝時代の作品だけなのに、見事のホラー/怪談映画が一本も入っていないところがいい。さらに今回はとくに傑出した作品はラインナップにないが、すべて粒が揃った作品ばかりというのもいい。『番場の忠太郎』がいかに長谷川伸の世界に肉薄しているのか。二枚目時代の若山富三郎にとっても代表作ではないだろうか。『石中先生行状記・青春無銭旅行』は、同じ石坂洋次郎の「石中先生行状記」を映画化した成瀬巳喜男版と比較してみるのもおもしろい。成瀬版のほうが役者は豪華だが、中川版のほうがとぼけたユーモアがあって、これもなかなか捨てがたい。『雲は天才である』と同様にロケーションが見事である。
『雷電』は伝説の力士・雷電を宇津井健が演じる。これがミスキャストのようで、案外悪くない。北沢典子とのコンビネーネションもピッタリ。ロングショットで雄大な自然を見せておいて、ぽんとセットへと入るタイミングは、撮影所システム全盛ならではのうまさであろうが、そのセット撮影も妥協せず、カットを割らずに長芝居を移動撮影とクレーン撮影を組み合わせて、長回しでじっくり見せるところなんぞは、中川の実験精神があふれている。
逆に『私刑』ではセットの撮影がいかに巧みなのかが分かる。雨の夜の場面なんか、大したことはないのに、果たして今の日本映画のスタッフにこれだけの技術があるだろうか。セットといえば『エノケンのとび助冒険旅行』である。エノケンといえば、すぐに山本嘉次郎とのコンビが思い出されるが、中川がエノケンと組んだ作品も多い。それも山本嘉次郎より大胆な実験をやっていて、『とび助』は『エノケンの頑張り戦術』と並ぶ最高傑作ではないかと思うのである。ロードムーヴィという形を取りながら、すべてセット。そのファンタジックな抽象化された世界は、『オズの魔法使』と匹敵する。
先月放映された特別番組「映画と酒と豆腐と」(2007)も再放送される。なかなか出来のよい追悼ドキュメンタリーなので、見逃した人は是非。
■
衛星劇場でも中川信夫の特集がある。こちらは夏だからというのだろうか怪談ばかりを集めて放映する。
・『怪談かさねが淵』(57)
・『憲兵と幽霊』(58)
・『女吸血鬼』(59)
・『地獄』(60)
・『東海道四谷怪談』(59)
・『亡霊怪猫屋敷』(68)
中川と名コンビだった美術監督・黒沢治安に誰かインタビューする人はいないのだろうか。
■ 再び、日本映画専門チャンネルに戻り、「市川崑の映画たち その3」は
・『ビルマの竪琴』(56)
・『ビルマの竪琴』(85)
・『野火』(59)
・『ブンガワンソロ』(51)
・『戦艦大和』(90)
といったラインナップ。思想なきモダニストらしく、今年も『犬神家の一族』をほぼオリジナルどおりにリメイクするという不可解なことをしてくれた市川崑だが、「前作ではビルマにロケが出来なかったし、カラーで是非リメイクしたい」といってリメイクした『ビルマの竪琴』は、結局リメイクした意味が分からない作品になっていて、そういうところも市川崑らしくって興味深い。俺の市川崑への評価は、通説どおり、大映時代が全盛で、大映の辞めた時点で終わった監督というものだが、同世代や年下の映画ファンやクリエイターにはやたら市川崑を偏愛している人が多くって、戸惑ってしまうのだが、彼らが偏愛しているのが角川映画の市川崑であり、それから遡って市川崑のモダニズムを発見していったと思われるが、金田一耕助ものの偏愛とその以後の作品への甘い評価はやっぱり理解できない。どう贔屓目に見ても、金田一耕助ものを2、3本束にしても、大映時代の、たとえば今回放映される『野火』にはかなわないと思うのだが。新東宝時代には『ブンガワンソロ』のようなヘンテコな映画もあるが、まあ、これは原住民の娘を演じる久慈あさみを観るだけでも価値があるけど。
『戦艦大和』はベストセラーになった吉田満の原作に基にしたテレビ作品。市川崑にはこの手のテレビ・オリジナルもたくさんあって、連続ドラマ『木枯し紋次郎』以降はたいしたものがないが、それ以前の、たとえば伝説ともいえるテレビ版『破戒』は是非観たいので、テレビ局の倉庫の隅からふっと出てこないかなあと願っている。
■ 「松本清張 傑作サスペンス」は今回が最終回。
・『愛のきずな』(69、坪島孝)
・『告訴せず』(75、堀川弘通)
最終回にふさわしい(?)よりによって失敗作2本である。『告訴せず』は、監督の堀川自身も失敗を認めつつ、その原因のひとつをキャスティングにせいと言っているが、前回も触れたように、〈和製ソフィア・ローレン〉江波杏子のデカパイが初お目見えした作品であるので、おっぱい星人は必見である。
■
チャンネルNECOは生誕では没後特集。「没後10年 藤田敏八の世界」である。パキ(パキスタンの王子から由来)こと藤田敏八が亡くなったのは1997年8月29日。今回は代表作5本を放映する。
・『非行少年・陽の出の叫び』(67)
・『八月の濡れた砂』(71)
・『妹』(74)
・『帰らざる日々』(78)
・『リボルバー』(88)
晩年は監督業より俳優としてのほうがすっかり有名になってしまったが、この藤田敏八という監督の評価については、受け手側の映画体験や年令によって大きなブレがあるという、まさに「時代と寝た」監督なのではないかと思う。俺らの同世代ではパキといえば『赤ちょうちん』『妹』『バージン・ブルース』の〈秋吉久美子ジプシー3部作〉が定番で、それはパキの作品というより、だいたい秋吉久美子のヌードにお世話になった同世代的体験を含めて、人気絶頂であった秋吉久美子に対する思い入れでもあるのだが、もうちょい上の世代では『八月の濡れた砂』ということになる。それにしたところで、『八月の濡れた砂』がロマン・ポルノ路線に転身する日活最後の一般映画であることということで、封切りで観た人間には特に思い入れがあったりする。
俺は世代的には前者なのに、体験的には後者なので、『八月の濡れた砂』には思い入れがあったのだが、DVDという便利なものができてから再見して「あれ?」という違和感を味わったことも告白しておこう。この程度だったっけ?という感想。時代の風化に耐えられない。時代の風俗だけが懐かしかっただけであった。それにしても遺作の『リボルバー』がロッポニカという、なにか山手線でいうと大塚-日暮里間のような詫びしさが漂う日活ブランドの製作であったことを考えると、やはりパキは「時代と寝た」映画監督であったと改めて思う次第である。
■ 新東宝作品からは、明治天皇3部作を一挙放映する。
・『天皇・皇后と日清戦争』(58、並木鏡太郎)
・『明治天皇と日露大戦争』(57、渡辺邦男)シネスコ版
・『明治大帝と乃木将軍』(59、小森白)
最近の映画研究者に最も多いカルチュラル・スタディーズ系に人気のあるプログラムである。日本映画研究をしていると言っていた、日本の大学で教鞭をとっている、どこの国だか忘れたけどヨーロッパ人が「新東宝の戦争映画が好き」だと言うので、理由を訊ねたら「同じフィルムを使い回してるから」と本気か冗談か分からない返事が返ってきたことがある。今回放映する作品にはそれはないが、それなら『明治大帝御一代記』(60、大蔵貢)や『皇室と戦争とわが民族』(60、小森白)などの映画の大半がストック・フィルムのつなぎあわせから成立しているという奇怪な手抜き映画も放映してほしいところである。
■ 「名画 the NIPPON」からは5本。
・『暁の合唱』(62、鈴木英夫)
・『お勝手の花嫁』(55、川頭義郎)
・『伊豆の艶歌師』(52、西河克己)
・『洲崎パラダイス・赤信号』(56、川島雄三)
・『拳銃野郎に御用心』(61、瀬川昌治)
『暁の合唱』は清水宏による石坂洋次郎原作の映画化のリ・リメイク。最初の映画化である清水宏版では木暮実千代、次の枝川弘版では香川京子、3回目の鈴木英夫版では星由里子が、それぞれヒロインのバスガイドを演じている。枝川は鈴木の助監督出身。清水と鈴木ではまったく作風が違うので比べるのは野暮なので止めるが、鈴木版は上映プリントがかなり痛んでおり、上映不可能に近い状態であるので、レアな作品であることは間違いないので要チェック。
『お勝手の花嫁』は木下惠介門下の優等生・川頭義郎のデビュー作。初期の川頭作品は、木下組で周囲を固めながら木下から才気を抜いたほどよいユーモアや叙情性が持ち味で、木下のようなキザな嫌味がないところがいい。このデビュー作は木下の脚本による風刺コメディだが、木下自身が監督した同傾向の映画と比較し、そこから木下の資質、川頭の資質について考えてみるのもアリだと思う。
『伊豆の艶歌師』は西河克己のデビュー作。松竹がはじめた中篇映画SPの第1作である。SPという名称はある時期からある時期までに松竹で製作された中篇映画のブランドなのだが、最近は間違いのほうが流布してしまって、中篇映画ならなんでもSPと呼んだり、「SPも日本映画が成熟すると上映時間も長くなり」というような訳の分からない記述を見かけるが、前者は、Vシネという本来商標だった言葉もなし崩しになったのだからSPもなし崩しになっても仕方ないとしても、後者の説明はいかがなものか、それは別物で全然違う。いいかげんなことを書くんではないと苦言を呈しておこう。
『洲崎パラダイス・赤信号』はいまさら言うまでもない川島雄三の最高作。1930年代のフランス映画の、いわゆる詩的リアリズムが横溢した雰囲気がすばらしい。『拳銃野郎に御用心』は東映時代の瀬川昌治の快作。東映東京撮影所作品なのに、なぜか日活映画みたいなノリで、無国籍なギャグとガン・アクションが炸裂する。主役の中村嘉葎雄がとっぽい感じがいい。
■
衛星劇場からは、中田秀夫の『怪談』公開記念として、『怪談』の原作である円朝「真景累が淵」を映画化した作品を5本放映する。
・『怪談累が淵』(60、安田公義)
・『怪談かさねが淵』(57、中川信夫)
・『怪談残酷物語』(68、長谷和夫)
・『怪談累が淵』(70、安田公義)
・『呪いの笛』(58、酒井辰雄)
中川版の『怪談かさねが淵』は確か『怪談累ヶ淵』として封切られ、再上映で改題短縮されたものではないだろうか。ちょっとこれついては宿題。安田公義が2本も『怪談累が淵』を監督しているのはいいとしても、ひどくつまらない作品が2本、長谷和夫と酒井辰雄の手による作品である。そもそも長谷和夫や酒井辰雄にロクな作品はないのが常識。ところが『呪いの笛』は新派の名優・喜多村緑郎が出演したただ1本の映画であるので、演劇史的には激レアではある。つうか、酒井辰雄といえば、溝口健二の新興キネマ時代からの助監督で、溝口に傾倒していたことでも知られている人なので、当然、溝口の失われた傑作といわれる『狂乱の女師匠』が円朝の「真景累が淵」の映画化であることを知っているならば、師匠の名作を不肖の弟子がリメイクしたとも言えるわけで、映画史的にも貴重であるわけで見逃すわけにはイカンでしょう。ツマラナイと分かっていてもおいしいところだけをつまみ喰いして食べた気になっている人以外は、チェックしておきましょう。
■ 日本映画監督列伝は「舛田利雄自選作品特集」を放映する。
・『わが命の唄・艶歌』(68)
・『完全な遊戯』(58)
・『紅の流れ星』(67)
・『狼の王子』(63)
石原慎太郎原作が2本、五木寛之原作が1本、外国映画の翻案というかパクリが1本。そのパクリである『紅の流れ星』は今さら言うまでもない傑作なので、観ていない人は是非この機会に(モトネタは『望郷』と『勝手にしやがれ』)。『わが命の唄・艶唄』は好きな人も多いようだが、これは五木寛之の原作のほうが通俗的ながら格段おもしろいと思う。〈艶歌の竜〉を演じた芦田伸介はピッタリでなかなかよかったけど。
『狼の王子』は隠れた佳作。脚本は松竹を離れたばかりの田村孟と森川英太朗。つまり東西の松竹ヌーヴェル・ヴァーグの敗残者がここで日活ヌーヴェル・ヴァーグと一瞬だけ出会った作品なのである。監督の舛田利雄が日活NVかどうかはさておくとしても、キャメラの間宮義雄は蔵原惟繕の絶頂期を驚異的なキャメラワークで支えた、間違いなく日活NV立役者である。タイトルバックの格好よさから引き込まれ、奔放なキャメラアングルやロケ撮影、高橋英樹と浅丘ルリ子が安っぽいベッドで抱き合っているところを真俯瞰から撮らえたショットなど、美学的に見るべきものが多いが、内容にもなかなか興味深いものがあり、転形期の日本映画、あるいは転形期の日本映画における石原慎太郎の位置というものが書かれるとしたら外せない一本である。
■ 「渋谷実生誕100年記念特集」は今回がPart8。
・『花の素顔』(49)
・『大根と人参』(65)
出来不出来の激しい渋谷実だが、今回の2本は悪くはないけども、さりとて・・・という微妙な作品。前者は初見のときにずいぶん退屈しながら、木暮実千代のマダム然とした姿だけは印象に残ったが、ストーリーをまるで覚えていない。後者は小津安二郎が監督するはずだった作品が小津の死去によって渋谷にお鉢が回ってきた作品。これも変な映画だった。それは小津と渋谷の資質の違いでもあるのだろうが、小津と野田高梧の原案を白坂依志夫が脚色したという違和感でもある。白坂と渋谷という組み合わせも変である。オールスター映画なので楽しめるけども。
■ 「メモリーズ・オブ・若尾文子」は、Part26。旦那の変人ぶりが憑依したかのように、突如参議院選に立候補したのにはびっくりしたが、このまま次の衆議院選にも出馬するんであろうか、若尾のあややは。で、今月の作品は、
・『あさ潮ゆう潮』(56、佐伯幸三)
・『やっちゃ場の女』(62、木村恵吾)
・『氷点』(66、山本薩夫)
『あさ潮ゆう潮』は未見。佐伯幸三の大映作品ってあまりおもしろくないので、どうなんだか。『やっちゃ場の女』はまずまずの作品。いくら桂千穂が木村恵吾をすごいといって持ち上げても、木村恵吾でおもしろかったのはせいぜい1950年代までで、それでもかなりゲタを履かせた評価である気がする。しかしそうした評価は現在の作家主義的視点であり、たとえばこの時代の大映東京撮影所に誰がいたかと言われると、市川崑と増村保造だけが突出していたのであり、島耕二、田中重雄、木村恵吾がローテーションを埋め、手堅いヒット作を作っていたことを忘れてはならない。確かに木村恵吾の全盛期というと京マチ子とコンビを組んだ作品で、若尾のあややではちょっと違う気もするが、『やっちゃ場の女』はごく普通のプログラム・ピクチュアで悪くはないのである。威勢のいい八百屋の娘という役もなかなか似合うのだね、これが。
『氷点』は三浦綾子の懸賞小説デビュー作の映画化。というよりも先にテレビでドラマ化されて大ブームになった作品の映画化である。テレビ版は内藤洋子、新珠三千代という親子(このキャスティングは恩地日出夫の『あこがれ』に継承されることになる)なのに対して、映画版は安田(大楠)道代、若尾文子という親子。まあ、早くいえば大型新人・安田道代を売り出す映画だっただけわけで、驚くのはそんな映画を山本薩夫が引き受けたってこと。そのうえ、池野成のいつもの重低音が音楽であれば、重い内容とあいまって重苦しい映画にもなりがちだが、その匙加減は悪くなかった気がする。にしてもやはりあややよりはやはり安田道代の映画ではある。近く韓国で再映画化(テレビドラマだっけ?)されるらしい。
■ 「新銀幕の美女シリーズ」は淡島千景。お景ちゃんの登場である。
・『花のれん』(59、豊田四郎)
・『花の生涯 彦根篇・江戸篇』(53、大曽根辰夫)
・『麦秋』(51、小津安二郎)
『花の生涯』は大作だが退屈。『花のれん』は豊田にしてはまずまずの作品。ただやはりお景ちゃんの魅力を渋谷実と並んで最もよく知る監督だけあって、お景ちゃんはすごくいい。この人のよさは歯切れのよいセリフ回しにある。となると、本当をいえば東宝に移籍する前の松竹時代のほうがよかったと思うのは人情で、渋谷もいいが、川島雄三の『昨日と明日の間』での啖呵を切るお景ちゃんのモダンさにズキンときたと告白しておこう。
■ 「ニッポン無声映画探検隊 第17回」は
・『右門六番手柄・仁念寺奇談』(30、仁科熊彦)
・『御誂治郎吉格子』(28、伊藤大輔)
前者は仁科熊彦というよりも、アラカンの当たり役のひとつであった〈むっつり右門〉作品であるというよりも、山中貞雄脚本作品としてあまりにも有名な作品。クライマックスはグリフィスばりの〈ラスト・リミッツ・レスキュー〉があったような記憶が。
後者は数少ない伊藤大輔の残存するサイレント作品にして、傑作といわれる作品。サイレント時代の伊藤大輔といえば、反逆と虚無、縦横無尽のキャメラワークによる殺陣が有名だが、この作品ではしっとりしたラブシーンにもうまさを見せる。伏見直江が二階から階下の川へ飛び込む場面を『眠狂四郎女妖剣』の同シーンに引用されたと指摘する人がいるが、伊藤が脚本を書いた『眠狂四郎無頼剣』ならともかく、もう少し考慮の余地があると思う。ラストの御用提灯の波を見るとやはり興奮を禁じえない。
■ 「リクエスト・アワー」からは、
・『化粧雪』(40、石田民三)
・『若い仲間』(39、佐藤武)
・『女優』(47、衣笠貞之助)
・『南海の花束』(42、阿部豊)
・『爆笑野郎・大事件』(67、鈴木英夫)
・『六本木の夜 愛して愛して』(63、岩内克己)
『化粧雪』は、石田民三の映画というよりも成瀬巳喜男が脚本を書いた作品として、最近注目されている映画。でも石田民三も再評価が進んでいるので、その視点で見直してみたい。ラジオから聞こえてくるエンタツ・アチャコの漫才を使った導入部の巧みは舌を巻く。
『女優』は、溝口の『女優須磨子の恋』と競作になった作品。当時の評価は溝口よりも衣笠の圧倒的勝利を伝えているが、そのとおりだと思う。先月の舌の根も乾かないうちになんだが、溝口版の田中絹代と衣笠版の山田五十鈴とでは、やはり山田五十鈴の勝ちでしょう。
『爆笑野郎・大事件』は再評価の進む鈴木英夫のおそらく最低の作品。この手の喜劇は鈴木の最も苦手とするところで、失敗作『やぶにらみニッポン』よりさらに低調。そのせいか鈴木はこれが最後の映画作品となり、テレビに活躍の場を移す。その鈴木の助監督だった岩内克己の監督昇進作が『六本木の夜 愛して愛して』である。9月のシネマヴェーラ渋谷の「妄執、異形の人々Ⅱ」で上映される岩内の『砂の香り』を観ると、この人は『六本木の夜』でデビューし、若大将をずっと撮ってきて、本音の部分ではやはり芸術映画が撮りたかったんだなあと思う。師匠である鈴木英夫についても作品に対して批判的であったが、そういうところも鎌倉アカデミア出身らしい人である。
■
東映チャンネルからは再放送ばかりになるが、推薦作を挙げておくと、
・『故郷は緑なりき』(61、村山新治)
・『悲劇の将軍 山下奉文』(53、佐伯清)
・『黎明八月十五日 終戦秘話』(52、関川秀雄)
・『玉割り人ゆき 西の廓夕月楼』(76、牧口雄二)
・『海賊八幡船』(60、沢島忠)
『故郷は緑なりき』は、今、佐藤肇と並んで最も作品を系統的に見たい村山新治(二人とも東映東京撮影所の監督である)の作品。脚本は楠田芳子。木下惠介の実妹であり、木下組のキャメラマン・楠田浩之の夫人でもあるのだが、和田夏十と同じく木下組の川頭義郎以外にはほとんど脚本を書かなかった人で、本作はその例外ともいえる作品である。富島健夫原作というと、「ああ、あれね」とたいていバカにされる時代というのがかつてあったが、胸キュン青春映画の佳作として、今回は強く推薦したい。というより作家主義者どもが最近になって瀬川昌治を〈発見〉し、瀬川のデビュー作『ぽんこつ』の佐久間良子のセーラー服が可愛いねとかゆうてるようだが、バカいうではない。佐久間良子といえば、『ぽんこつ』に限らず、セーラー服であった時代があったのである! その代表作の1本がこの『故郷は緑なりき』なのである。
その彼女が田坂具隆との出会いによって、艶っぽいエロティシズムがこぼれんばかりの大人の色気がある女優に転身するのだが、立原正秋原作のテレビドラマ「舞いの家」(78)の彼女もものすごくエッチで、毎回自宅で興奮して見ていた覚えがある。特に今でも思い出すこの場面。佐久間良子が庭を眺めながら微笑する場面に、ナレーションで「××子(佐久間良子の役名)は前夜の××男の熱い肌の感触を思い出していた」とカブる場面で、茶の間で見ていたオレは甘酸っぱいものがこみ上げてきて、股間を押さえて背中を丸くしたことを思い出す。
余談だが、ついでに告白すると、テレビドラマといえば、よく見ていた番組に「戦国艶物語」(69)というのがあって、若尾文子、岩下志麻、星由里子が出ていたけれども、これは岩下志麻をエッチだなあと感じた、オレの最初の作品である。三國連太郎の豊臣秀吉に追い回される茶々(のちの淀君)の役を岩下志麻が演じていたのだが、小学生のオレにはあの驕慢な笑いと三國に愛撫されたときの岩下志麻のなんともしれん表情がたまらなく、思えばそれがオレの性の芽生えであった(かもしれない)。話がイカくさくなったところで今回はここまで。