7月のCS・BSピックアップ
夏になると、「戦争映画」というのはいつのまにか定番になったようである。いくら「反戦の誓いを新たに」といったところで、「夏といえば怪談」という業界の、今やルーティンとなり果てた思考停止的安易な発想と同様に、こうなると戦争映画も季節モノのジャンルに変わりなく、邦画各社は今年も商魂たくましく戦争映画のDVDを続々リリースしている。その点ではこの数年のCS・BSも変わりない。といっても、プログラム・ピクチュアの消滅、ビデオやDVDの普及といった映画環境の変化によって、映画に季節感がなくなった昨今からすると、これも夏の風物詩といったら怒られるかな?

日本映画専門チャンネルでは、「太平洋戦争と日本映画」の特集。記録映画を含めて、戦中・戦後に製作された戦争映画を一挙放送する。戦時下、映画会社の中で最も軍部に協力的だったといわれる東宝作品が2本。『翼の凱歌』(42年、山本薩夫)と『決戦の大空へ』(43年、渡辺邦男)である。前者は、戦後「赤いセシル・B・デミル」の異名で、今井正と並んで左翼系独立プロの代表的監督となる山本薩夫の作品。後者は、戦後の東宝争議を契機に右傾化し、東宝から分裂した新東宝内部に「菊旗同志会」という右翼組織を結成した渡辺邦男の作品。戦後、正反対の道を歩むことになった二人の監督も、戦時下では揃ってこのような国策映画を監督していたのである(いつの時代も長いものには巻かれなきゃ生きていけません、ということだね。じっと手を見る俺)。

『翼の凱歌』は山本薩夫にとって初の国策映画になるが、脚本を書いているのは外山凡平と黒澤明。黒澤にとって『青春の気流』(42年、伏水修)に続く、自作の脚本が映画化された第2作にあたる。国策映画といっても敵愾心を煽り立てる作品ではなく、入江たか子演じる母親に焦点を当てた、母の愛を謳いあげた映画である。これに対して『決戦の大空へ』は、原節子が病弱な弟を持った姉を演じ、弟が海軍航空隊予科練習生として虚弱さを克服していく姿を描いた、情報局国民映画の典型的作品。この作品は、『ハワイ・マレー沖海戦』(42年、山本嘉次郎)と同様に、少年航空隊志願者を増やしたといわれているが、多少精神性重視の傾向が気になるとはいえ、少年の成長物語としてなかなかおもしろく見られる。ドイツ教養文学のようなつもりで楽しめばいいじゃないの、というのは言いすぎ?

大映の『マライの虎』(43年、古賀聖人)は、いわゆる「大東亜共栄圏建設のための脱欧・アジア解放の映画」の1本。実在の特務員ハリマオこと谷豊を主人公とした映画で、後年は人気テレビドラマ「ハリマオ」になり、和田勉も映画化した物語。現在のマレーシアの人にとっては国辱映画の代表的作品なんだろうけど、現地人が顔を黒く塗った日本の俳優という珍妙さは(お約束とはいえ)日本人としても国辱的に感じてしまう。今、観ると失笑の連続。そんな古賀が戦後レッドパージに遭ったことは皮肉な出来事である。とはいえ、本作と、ロビンフッドみたいな痛快な勧善懲悪のアクション活劇のテレビ版「ハリマオ」とを比較すると、国土の狭い日本にとって、アジアとは活劇の成立する映画的な舞台であったということがとりあえずの仮説として浮上する。

では、1960年代に蘇った「ハリマオ」ブームとは何だったのだろうか?(劇作家・北村想の「T☆P☆O師団」時代の名作戯曲「ハリマオ」もテレビ版が底本になっていた)。やはりアジアを席巻した日本のエコノミック・アニマルの対アジア経済外交を支えた幻想だったのか? それとも1ドル360円時代の屈折した欧米へのあこがれが反転して、アジアを救うODAを口実にしたアジアの盟主幻想が根底にあったのか? まあ、そんなことは学者の詭弁に任せておいて、映画を楽しむ上ではどうでもいいことだが、テレビ版の「ハリマオ」のスタイルは、「月光仮面」のダサいスタイルより、子供心に格好いいと映ったことは事実である。ああ、三橋美智也の主題歌よ!

話題がかなり脱線した。本来、この連載はBS・CSの放送作品の中から、テレビ情報誌からこぼれてしまう情報をサポートすることである。その主旨に強引に戻しつつ・・。

大映の村山三男の場合は、『海軍兵学校物語・あゝ江田島』(59年)のヒットにより、『あゝ海軍』(69年)、『あゝ陸軍隼戦闘隊』(69年)を連作する。今回はこの3本を放映されるが、これに『あゝ零戦』(65年)を加えた4作が村山の戦記モノ4部作で、さらに村山は終戦時の樺太の電話交換手の悲劇を描いた『樺太1945年・氷雪の門』(74年)といった反戦映画を監督し、夏の反戦映画の定番監督に定着した感がある。もっとも黒沢清が「映画はおそろしい」(青土社、2001年)の中で『囁く死美人』(63年)を高く評価しているように(おもしろくないが)、村山にはスリラーやアクションものも得意とした一面もあるのだけど(やはりおもしろくはない)。

話題変わって、今月の目玉といえば、日本映画専門チャンネル衛星劇場共同企画の「川島雄三」特集である。

日本映画専門チャンネルでは、『還って来た男』(44年)、『グラマ島の誘惑』(59年)、『貸間あり』(59年)、『縞の背広の親分衆』(61年)、『青べか物語』(62年)、『女は二度生まれる』(61年)の6本。衛星劇場では、『お笑ひ週間・笑ふ宝船』(46年)、『シミキンのオオ!市民諸君』(48年)、『シミキンのスポーツ王』(49年)、『ニコニコ大会・追いつ追はれつ』(46年)、『深夜の市長』(47年)、『暖簾』(58年)、『追跡者』(48年)の7本を、それぞれ放映する。

戦争との関わりでいえば、川島が監督に昇進できたのは、松竹の監督や助監督が応召で手薄になったためである。その彼もデビュー作『還って来た男』の撮影中、応召され、青森県弘前の連隊に入るが、即日帰郷になる。『還って来た男』は敬愛する織田作之助の「清楚」を映画化したものだが、とても戦争末期とは思えないほのぼのとした映画で、川島が明治大学時代に贔屓していたルネ・クレールの『巴里祭』(33年)を借用した場面の繰り返しから構成されている。『ニコニコ大会・追いつ追はれつ』は、わが国初のキスシーンのある映画。巷間日本映画初のキスシーンがあるとされている『はたちの青春』(46年、佐々木康)より約4ヶ月早い。キスシーンを演じたのは、森川信と幾野道子。『はたちの青春』で幾野は日本最初のキスシーン女優と言われたから(相手は大坂志郎)、たとえ『追いつ追はれつ』のほうが先でも最初のキスシーン女優には変わりないわけである。しかし両作とも唇が重なるはっきりとした描写はなく、男性が覆いかぶさる形になるだけ。さて、そうなると、本物の日本初のキスシーンがある映画は何か? 今後の課題としよう。

しかし、こうして今回の放映作品を並べてみると、「乱調の美学」と言われる川島旦那ではあるが、改めて概観すると玉石混交という感じが強い。とくに今回の松竹時代の作品は、『還って来た男』を除き、無残な出来のものばかりときている。しかし、不思議なもので映画ファンの中でもとくに川島雄三のファンは、川島の駄作・凡作さえも偏愛するようなところがあって、これもまた川島作品独特の魅力でもある。

それらの失敗作といわれる作品の中でも、今回放送される『グラマ島の誘惑』は、最近アカデミズムの分野でやたら研究対象になっている作品として興味深い。ひとつは、モデルになったアナタハン島事件について。2つめは飯沢匡の戯曲「ヤシと女」との差異について(流民である慰安婦のひとりが戯曲では朝鮮人だったのに、映画では沖縄出身者に変更されていることなど)。3つめは天皇制批判について。なにしろこの作品は、皇太子・美智子妃殿下(現在の天皇・皇后)ご成婚の年に製作されたのである。というわけで、社会学派研究者の絶好の材料というわけだが、変にお勉強から入るのではなく、森繁久彌のへんちくちんな皇族、三橋達也のターザンの奇怪さに爆笑しつつ、「う~む、詰め込み過ぎでうまくいってないなあ」とそのハチャメチャなぶっ壊れぶりを笑うところから始めたい。

そのほかのお奨め作は、定番ではあるが、『貸間あり』、『暖簾』、『女は二度生まれる』、『青べか物語』といったところか。

カワシマクラブ
監督 川島雄三傳
監督 川島雄三

衛星劇場では、ほかに「黒木和雄」追悼特集がある。劇映画デビュー作『とべない沈黙』(66年)、『キューバの恋人』(69年)、『TOMMOROW/明日』(88年)、『浪人街』(90年)、『スリ』(2000年)、『美しい夏キリシマ』(2002年)、『父と暮せば』(2004年)、それに東レのPR映画『太陽の糸』(63年)とマラソン選手・君原健二のドキュメント『あるマラソンランナーの記録』(64年)、それに「監督は語る」と「父と暮せば メイキング」を加えたラインナップ。もちろんレア作品は東京シネマ製作のPR映画2本である。

『太陽の糸』は海外ロケをふんだんに盛り込んだ、カラフルでモダンな仕上がりの作品。ウールができるまでをミュージカル風に描いた岩波映画時代の『恋の羊は海いっぱい』(61年)の系譜に位置する作品である。『あるマラソンランナーの記録』は、富士フィルムのPR映画で、翌年の東京オリンピックを控えて、スポーツ選手を題材にした映画をという要請に、黒木は最初水泳の木原美知子を撮ろうとしたらしいが、結局マラソンの君原健二の練習風景を題材に選ぶ。君原の走る様子に密着し、極力ナレーションを排してランナーの生理に絞り込んで、1時間近くも延々君原の走りばかり見せる異色作だが、それがクランクアップ後、製作サイドとトラブルを起こすきっかけにもなる。そのあたりの事情は、小冊子「あるマラソンランナーの記録事件の真実」(入手不可)、「映画作家 黒木和雄の全貌」(阿部嘉昭・日向寺太郎編、アテネ・フランセ文化センター・映画同人社発行、フィルムアート社発売、1997年)に詳しい。

「ニッポン無声映画探検隊」は今回で第4回。作品は『女学生と与太者』(33年、野村浩将)と『東京音頭』(33年、野村芳亭)の2本。前者は、野村浩将の十八番、与太者シリーズの1本。後者は、残存している作品の少ない野村芳亭の新派調の1本。この2本の共通項は、松竹蒲田撮影所作品という以外に、和製シルヴィア・シドニーこと水久保澄子の数少ない残存作品であることである。成瀬巳喜男の『君と別れて』(33年)しか知らない人は、その『君と別れて』と正しく同じ年、つまり水久保澄子が最も人気のあった頃の、めったに見られない作品2本を見るチャンスである。

「メモリー・オブ・若尾文子  part13」では、若尾文子タンのデビューの年に製作された菊島隆三脚本の『街の小天狗』(52年、吉村廉)、谷口千吉・星川清司脚本の『妻こそわが命』(57年、佐伯幸三)、泉鏡花の「義血侠血」の5度目の映画化(最初の2本はほとんど知られていない)となる『滝の白糸』(56年、島耕二)の3本。3本ともに共演者は菅原謙二。『街の小天狗』は、菅原が売り出すきっかけとなった「小天狗」ものの1本。菅原は、のちのヒット作シリーズ「講道館」ものへの助走となる柔道が得意の刑事に扮する。『妻こそわが命』ではボクサー役。まるでこれでは文子タン特集ではなく、スポーツマン謙ちゃん特集ですがな。

『滝の白糸』ものちに新派に転向した謙ちゃんを思えばピッタリの題材。白糸を演じる文子タンは、溝口謙二版の入江たか子、野淵昶版の京マチ子に比べてミスキャストという感じがしないでもないが、謙ちゃんはさすがにハマリ役。ちなみに、謙ちゃんは、にんじんくらぶやまどかグループに対抗して、俳優の仲良しグループ&演技勉強サークル「麦のグループ」を1956年に結成するが、そのときの仲間に文子タンも入っている(ほか小泉博ら)。

注記:「衛星劇場」のHPには『街の小天狗』がクレジット・(c)ともに「松竹」となっているが悪い冗談だろう

「銀幕の美女シリーズ」は鰐淵晴子の特集。『乙女の祈り』(59年、佐分利信)は、俳優としてばかりでなく、監督としても一流であり、現在再評価が待たれる佐分利信監督・主演の小品。脚色は新聞記者から脚本家に転身し、『たそがれ酒場』(55年、内田吐夢)でデビューした灘千造。取り込み詐欺に遭って佐分利がバイオリンを盗まれ、仕方なく子供用のバイオリンを弾く場面は爆笑モノ。佐分利は監督作になると、硬派の題材の映画の中でも愛人や女房に裏切られる役を嬉々として必ず自分で演じ、日本映画の中でも随一のマゾヒストぶりを発揮しているが、本作ではその描写は控えめ。本当の佐分利作品は田山花袋――否! 日本文学史上の私小説の極北、嘉村磯多顔負けの自虐趣味でびっくりすること絶対。元来が女性不信でM気質のある人なら(俺だ!)これは病みつき。佐分利の監督作をもっと放映してくれ~。

『明日はいっぱいの果実』(60年、斉藤正夫)は、知る人ぞ知るカルト作品。『月曜日のユカ』(64年、中平康)を『ジョアンナ』(68年、マイケル・サーン)で割って、ルイス・キャロル風にした感じのチャーミングでキュートなテイストの作品。それをまだ美少女だったころの鰐淵晴子がやってるんだから・・・どう? 観たいでしょう。脚本は斉藤と山田太一。かなり前に観ただけなので、今、観直すとどう印象が変わっているかちょっと怖い。残る『三人娘乾杯!』(62年、番匠義彰)、『晴子の応援団長』(62年、酒井欣也)は未見なので楽しみである。酒井欣也にはあまり期待してないけど。

「フランキー堺没後10年特集 part3」では、太陽族映画をスラップスティック調のパロディにした快作『牛乳屋フランキー』(56年、中平康)と、菊池寛の半生を描いた『末は博士か大臣か』(63年、島耕二)の2本。菊池寛は最近「真珠夫人」のリバイバル・ヒットなどで出版界から再評価されているだけでなく、映画に果たした役割の研究も盛んなようだが、大映の初代社長でもあった文豪の半生を映画化するのに島耕二が監督として起用されたというところも興味深いものがある。なお、藤村志保は自分が出演した大映東京作品の中ではこの作品がいちばん思い出深いと語っていた。

「リクエスト・アワー」の枠では、エノケンこと榎本健一のエノケン一座がPCL(東宝)と契約した第1作にして本格的な映画初出演『エノケンの青春酔虎伝』(山本嘉次郎)を放映する。年長者から「やっぱりエノケンは舞台だね」と言われても、舞台は無理だとしても、背伸びして残った映画を追いかけても、ギャグのいちばんおいしいところを削除された総集編しか残っていないものが多く、それで満足するしかない若輩者(?)としては、最も若いころのエノケンのスピーディに走り回る姿を見られるだけでも感激する。セットの中を上下左右に逃げ回るエノケンが凄い。

『美はしき出発』(39年、山本薩夫)は、贅沢をしていた一家が没落し、そこからの再生を図る苦いホームドラマ。しっかり者の高峰秀子(デコちゃん)はいつもの配役だが、贅沢が身についた姉を原節子が演じているのが珍しい。貞淑な女性を演じる原節子の世に言う〈神聖原帝国〉の犯すべからず的雰囲気よりも、最先端のファッションに身を包み、モダンな格好をして生意気放題の生意気口を叩く、「ツンデレ」の先駆のような本作の前半の原節子には萌え~である。

『平手造酒』(51年、並木鏡太郎)は、橋本忍脚本による、悲劇の剣客・平手造酒の半生を描いた佳作。平手を演じた役者はたくさんいるが、消失してしまって見られない『平手造酒』(28年、志波西果)の大河内伝次郎を別格にして、1が『座頭市物語』(62年、三隅研次)の天知茂、2が本作の山村聰が適役だと思うがいかがだろうか。

チャンネルNECOの「ようこそ「新東宝」の世界へ」では、『女と命をかけてブッ飛ばせ』(60年、曲谷守平)、『美男剣競録』(57年、赤坂長義)、『怪猫お玉が池』(60年、石川義寛)の3本。う~ん、まあ、好きな人だけ観てね。ちなみに、赤坂長義はH・G・ウェルズの「月世界旅行」(角川文庫)の訳書がある変り種監督。一部で最高作との評価もある『九千万の明るい瞳』(61年)の放映をぜひ!

「名画座 the NIPPON」は、名人マキノといえどもSKDのレビューをダラダラと映しただけに終わった『グランド・ショウ1946年』(45年、マキノ正博)のほか、『芸者学校』(64年、木村恵吾)、『青春白書・大人には分らない』(58年、須川栄三)、『白昼の襲撃』(70年、西村潔)を放映する。

『大人には分らない』は、6月に放映された『若い狼』(61年、恩地日出夫)紹介のときに取り上げた、石原慎太郎問題に端を発する〈東宝ヌーヴェル・ヴァーグ〉の最初期の1本。須川は、『結婚のすべて』(58年)でデビューした岡本喜八に次ぐ監督昇進。28歳での監督デビューは5社の中では最も若いデビューとなるが、4ヶ月もしないうちに松竹の大島渚が27歳で『愛と希望の街』(59年)でデビューし、記録を塗り替えられることになる。内容は、太陽族映画のヌルい亜流だが、吉田喜重の証言にも明らかなように、松竹ヌーヴェル・ヴァーグも、城戸四郎は「太陽族映画」の延長として企画していたらしい。そうなると、やっぱり転形期の日本映画に石原慎太郎&裕次郎兄弟が果たした役割は、現在言われる以上に大きいのではないか。ヌーヴェル・ヴァーグも障子から突き出したポコチンから始まったというわけである。

『白昼の襲撃』は、アクション派にカルト的人気のある西村潔の〈東宝ニュー・アクション〉の1本。『悲しみよこんにちは』(57年、オットー・プレミンジャー)のソウル・バスを想起させるタイトル・デザイン。『死刑台のエレベーター』(57年、ルイ・マル)のマイルス・デイヴィスの即興ジャズを意識した、日野皓正が即興でつけたというトランペットの音楽。中共工作員を演じた岸田森の怪演。黒沢年男の熱演。高橋紀子のコケティッシュなセクシーさ。銃撃戦のアクション(警官のひとりがメガネを銃撃で射抜かれるショット!)。横浜の繁華街での隠し撮り。俯瞰からブロウアウトするラストカット。そのすべてが格好いい。西村の不幸な早すぎる死が惜しまれる。

時代劇専門チャンネルでは、大映『忍びの者』シリーズ全8作のうち、最初の5作を放送。第1作から順に、『忍びの者』(62年、山本薩夫)、『続 忍びの者』(63年、山本薩夫)、『新 忍びの者』(63年、森一生)、『忍びの者 霧隠才蔵』(64年、田中徳三)、『忍びの者 続・霧隠才蔵』(64年、池広一夫)の5本。

『忍びの者』シリーズは、60年代初め、忍者映画ブームの火つけ役を果たした記念碑的シリーズである。原作は村山知義が「赤旗日曜版」に連載した長編小説。これをプロデューサーの伊藤武郎が大映の永田雅一に山本薩夫で映画化するように持ちかけたようである。伊藤も山本も独立プロで映画を作ってきた左翼系映画人だが、これをきっかけに大映と契約を結ぶ。さすが永田雅一、左も右もおかまいなし。イデオロギーやらコネやら派閥やら前歴やら(今ならそれに事務所の力とか親の財力とか)関係なく、見所アリと見れば即採用というところが断然イカす! おそらく永田は、山田風太郎の「忍法」シリーズや司馬遼太郎の直木賞受賞作「梟の城」で忍者ブームが起きていることを動物的勘で察し、新しいタイプの忍者映画を作ろうと思ったに違いない。

ところが作り手は、左翼の原作者―プロデューサー―監督というトリオ。彼らは、忍者の生態をリアルに描きつつ、社会主義的観点から、権力者の背後で暗躍し、闇に生きる忍者の上忍と下忍のタテ割りの身分制度、支配者と被支配者との隷属関係を主軸に、実証的に忍者の実態と苦悩を娯楽映画の中に巧妙に埋め込む。さらに折からの「残酷」ブームと相俟って凄惨な斬り合いや拷問など描写に折り込み、図らずもその描写は安保闘争前後の猜疑と抑圧への抵抗といった世相を反映することになる。このあたり東映京都が映画化した山田風太郎モノの能天気なお色気時代劇とは正反対なのだが、むしろ『忍びの者』は、その後、東映京都では集団時代劇に強い影響を与えたといってもよいだろう。

村山知義の史観は、織田信長、豊臣秀吉に弾圧された忍者たちは、徳川家康が権力を握ると、保身のために権力の側の走狗となることで延命を図り、明治時代以降になると、特務機関のスパイとして陸軍中野学校に加わっていくという壮大なもので、大映にとって『忍びの者』シリーズのヒットは、このあと『陸軍中野学校』シリーズ(66~68)を製作する足がかりにもなる。さらにそれは産業スパイを主人公にした「黒」シリーズへと繋がっていく。

――というわけで、本来『忍びの者』シリーズと『陸軍中野学校』シリーズは、同じ市川雷蔵主演ということもあり、全体を通して観ることによって、その全貌が分かるという作品なので、ぜひとも一挙放映を望みたい。