6月のCS・BSピックアップ
偉大な監督の条件とは、名前に隠されているのではないかと思ったのは、2000年にフィルムセンターで“偉大なるK”と題して、黒澤明、木下惠介、小林正樹の特集上映が行なわれたときのことである。この3人に「四騎の会」の残りのひとり市川崑を加えると、見事に4人ともに「K」という頭文字がその名前に潜んでいることが分かり、たかが名前ごときなどとは言ってはいけないのではないかと思ったのである。

しかし「四騎の会」の4人のうち、いまだ現役の市川崑の85本というフィルモグラフィは、日本映画全盛時代にその創作のピークを迎えた監督にふさわしい数としても、木下惠介50本、黒澤明30本に比べて、小林正樹22本(『人間の條件』を1本と数えれば20本)という数字は、あまりに少ないのではないだろうか。すなわちこの数字は小林正樹が巷間いわれるように完璧主義者であったということのひとつの証明でもある。

小林正樹は1996年10月4日に80歳で亡くなっているから、今年没後10年になる。日本映画専門チャンネル衛星劇場では、その没後10年を記念して、『東京裁判』と『食卓のない家』を除く、全作品が放映される(『食卓のない家』は権利関係をクリアにできないため、ソフト化も不可)。日本映画専門チャンネルでは、『怪談』、『上意討ち 拝領妻始末』、『日本の青春』、『いのちぼうにふろう』、『化石』、『燃える秋』の6本。衛星劇場では、『息子の青春』、『まごころ』、『黒い河』、『この広い空のどこかに』、『三つの愛』、『泉』、『壁あつき部屋』、『あなた買います』、『切腹』、『美わしき歳月』、『人間の條件』全6部、『からみ合い』の11本。

木下惠介の門下から出発し、『まごころ』や『この広い空のどこかに』で師匠譲りの抒情性ある庶民劇を監督していたのに、長い間オクラになった『壁あつき部屋』(安部公房脚本)から重厚な問題作を発表するようになる小林正樹の全体像は実に不可解である。木下譲りの作品と重厚な社会的主題を持つ骨太の作品との分断も不可解なら、やたら大作ばかり監督するようになったのも不可解だし、遺作の『食卓のない家』のトンデモ怪作ぶりも不可解である。リアリストかと思えば、審美主義者のような作品も撮るし、粘って撮影に挑む完全主義者とか思えば、三越百貨店と五木寛之にレイプされたとしか思えない凡庸な観光地映画『燃える秋』(武満徹の音楽とハイ・ファイ・セットの主題歌、真野響子の唯一のヌードはよかったけど)を撮ったりする。

しかし、小林正樹といえば、ともすれば代表作ということで『人間の條件』や『怪談』のような大作のみで語られがちで、それはやはり片手落ち(←マスコミ自粛用語)なのではないだろうか。たとえば『黒い河』が松竹ヌーヴェル・ヴァーグに与えた影響やもっと語られるべきピカレスク・ドラマの傑作『からみ合い』など、もっと話題にのぼってもよいのではないのか。また、『化石』は本来テレビ作品で、映画版はキネ旬のベストテン入選するほど評価されたが、本来はテレビの連続番組で劇場版はその短縮版でしかないから、今後テレビ完全版の放映を期待したいところである。ともあれ、今回の放映を通して、小林正樹の振幅のある作品群を改めて堪能し、その不可解さを解明してみたい。

このほかチャンネルNECOでは、柳家金語楼主演の「おトラさん」シリーズ全6作が放映される。監督はすべて小田基義。金語楼の演技は一見の価値があるが、ボードビリアンや吉本興業の芸人など、出自が映画ではない喜劇俳優が出演する喜劇映画は、その俳優のキャラクターに寄りかかって、同時代ならともかく今観るとドロ臭くておもしろくないというのが定説。戦後の斉藤寅二郎のどうしようもなさもそれが原因ではないだろうか。だが、こういった映画を当時は大衆が支持したというのも事実。その神話が崩れるのは、1970年前後に作られた吉本喜劇人総出演の映画以降のことである(たとえば『ヤングオー!オー! 日本のジョウシキでーす』)。喜劇が時代の変化にいかに脆弱なジャンルであるかを再確認するためにも「おトラさん」も1作ぐらいは観ておきたい。

「ようこそ「新東宝」の世界へ」では、『鍔鳴り三剣豪』(山田達雄)、『東支那海の女傑』(小野田嘉幹)、『闘争の広場』(NECOのHPには監督名が「田口哲」になっているが、これは「三輪彰」の間違い)の3本。『鍔鳴り三剣豪』は名コンビ、山田達雄&アラカンの時代劇。アラカンは戦前から、いわゆる文芸作や野心作などではなく、評論家が見向きもしない映画に出演しつづけて、新東宝に移籍してからも会社の屋台骨を支え続けた偉大なスタアである。戦前、寛プロの作品は観る価値もないと当時の映画評論家は観もしなかったが、吉原からの朝帰りであった岸松雄もたまたま仮眠を取るために入った映画館で山中貞雄を発見したのである! 映画とは本来そういうものなのである。

アラカンの立ち回りの美しさは時代劇スタアの中でも随一。激しい立ち回りでも着物の裾が乱れない。出演者の証言によると、テストでも本番でも何度やっても同じ箇所に刀がピシッと入ったそうである。だからこそ、往年のチャンバラ・ファンの中でも大河内伝次郎と並んで熱狂的ファンがいるのも納得できるというもの。その剣さばきを見るだけでも是非。

『東支那海の女傑』は、高倉みゆき主演のいわゆる女傑モノ。昨今の映画アカデミズムでは李香蘭や原節子がいかに国境を越えて活躍し、大衆に受容されたかを論じるのがブームのようだが、汎アジア的ということでいえば、次は高倉みゆきを論じるべきだろう。なぜなら彼女は『戦雲アジアの女王』(野村浩将)で川島芳子を演じて人気が出て以来、演じた役は恐れ多くも皇后から東京ローズ、日本軍の特務機関スパイ、女死刑囚、さらにはモンゴリア女王、と短いキャリアの中で多彩という域を遥かに越えて特異でさえあるのだから。ビデオが出ていないから難しいというのであれば(←皮肉です)、まずは今回の『東支那海の女傑』から始めることをお勧めする。

さて、最後の『闘争の広場』は、大蔵新東宝作品とはにわかには想像しがたい内容の映画でびっくりすること保証付き。なにしろ小学校の教諭たちが勤務評定をめぐってストライキをするという、左翼系独立プロ真っ青の内容だから。本来なら山本薩夫か今井正にふさわしい題材なのである。これを大蔵貢が本気で作らせたとは思えない。

三輪彰は、石井輝男の助監督を経て、新東宝倒産後はピンク映画や教育映画も監督したお人なので、どのような仕上がりになっているか未見なので楽しみである。

余談ながら、三輪彰夫人は石井輝男が主宰した石井プロのメイン・スタッフ(会計事務)、愛娘はハリウッドのB級映画でメイクアップ・アーティストとして活躍するAKOさんで、石井輝男監督の自社プロ自主映画『地獄』と『盲獣VS一寸法師』の撮影に際しては、わざわざ石井監督のために帰国してヘアメイクを担当した。いい話である。気のいいねえちゃんだったけど。

「名画座 the NIPPON」には、『やくざ囃子』(マキノ雅弘)、橋幸夫が二役を演じる時代劇『すっとび仁義』(安田公義)、田中重雄&若尾文子コンビのライトコメディ『八月生れの女』(田中重雄)、鶴田浩二&佐久間良子共演の『湖畔の人』(佐伯清)、伊東ゆかりがとってもチャーミングな『おしゃべりな真珠』(川頭義郎)が登場する。この中でやっぱお勧めは『やくざ囃子』。マキノが大傑作『次郎長三国志』シリーズを監督している最中に手がけた作品だけに、鶴田浩二と岡田茉莉子の脇を『次郎長三国志』のキャストが固め、脚本も『次郎長三国志』の松浦建郎が執筆。鶴田と岡田のラブシーンの演出のうまさにうっとりすることは確実。

また、『おしゃべりな真珠』は今東光の原作を馬場当が脚色した作品で、川頭義郎といえば、楠田芳子脚本以外は今イチというのが常識だが、意外やこれも悪くない。今なら山田太一が脚本を書いたテレビドラマになりそうなお話を気楽に楽しみたい。

「石原裕次郎の軌跡 Part2」と「日活名画座」は、『紅の翼』(中平康)や『憎いあンちくしょう』(蔵原惟繕)など、すでにビデオやDVDで発売されている有名作ばかりの放映。しかし、である。中平、蔵原といった日活ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちが他社の新しい波とは異なり、スターシステムに組み込まれ、またそれを利用して映画作りを行なっていった軌跡をも確認できる。松尾昭典の職人ぶりもお忘れなく。

男性スタアばかりではない。『雨の中に消えて』(西河克己)の吉永小百合作品のように、小百合なら西河克己が文芸映画や青春映画を次々と手がけていたことも付け加えておきたい。しかし、個人的には西河の、というより小百合の映画のほとんどをおもしろいと思ったことがない私のような人間には(それは現在に至るまで小百合主演の映画について言えるのだけれども)、どうして小百合が国民的スタアになれたのか不思議で仕方がない。サユリストの気がしれないのである。関川夏央は『昭和が明るかった頃』(文藝春秋、2002年)という恥ずかしい題名の本の中で「小百合の映画におもしろいものはない」と断じているが、その通りだと思う。あ、これって「王様の耳はロバの耳」みたいに言っちゃいけないことなのかしらん? 西河克己の過大評価は百恵&友和映画以降のことか。まあ、小百合はインタビューをした経験からいうと、すごくいい人だったけど。

衛星劇場に話題を転じると、小林正樹特集のほかに、レギュラー枠はますますマニアックで観てみないと分からないシロモノばかり。

「メモリー・オブ・若尾文子 Part12」では、『花嫁花婿チャンバラ節』(佐伯幸三)、『実は熟したり』(田中重雄)、『処女受胎』(島耕二)の3本。以前にも書いたように、溝口、川島、増村作品だけが文子タンではない。キャリアが古いというだけで、大映東京で重鎮監督の位置にあった田中重雄や島耕二の作品に大量出演していた文子タンも、そのゆる~い作品の中で、名匠の張り詰めた傑作とは違った魅力でファンを楽しませてくれるのである。

『処女受胎』は1966年の作品だが、人工授精のお話に出演するなんて(文子タンはもう1本『不信のとき』という人口受精の映画に出演している)、文子タンは大映を辞めるまで「性典女優」のイメージを巧みに利用しながら、お色気を売りにして生き抜き、巨匠・名匠と組むことで、大女優の風格を得るに至ったことを教えてくれる絶好の映画ではないだろうか。『処女受胎』では、増村作品同様に、ヌードはボディ・ダブルであることがすぐに分かるが、増村のように、ボディ・ダブルであることを逆手に取って、ボディの中心部だけを切り取ったり、顔を不自然に隠したポーズを取らせることから、トルソーにも似た切断のイメージ(『赤い天使』を経て、文子タンが出ていない『盲獣』にも繋がる)を前面に出したり、疎外感を演出したり、といったような野心が微塵も感じられないところが、田中重雄や島耕二らしさともいえ、逆説的にそこから増村演出がよく理解できるともいえるのではないか(本当か? 単に文子タンのヌードが見たいだけだったりして)。

「若き日の川島雄三 Part6」では、『純潔革命』と『夢を召しませ』の2本。はっきりいって後者はひどい。松竹は松竹歌劇団が総出演したこの手のレビュー映画をたくさん製作しているが、戦前には『男性対女性』(島津保次郎)など観るべき作品はあれど、戦後の松竹歌劇団総出演の映画は、ほとんど全滅状態なのはどうしたわけか。マキノでさえ『グランドショウ一九四六年』ではショウをただのっぺり見せることだけに終始して、死ぬかと思うぐらい退屈な映画を作ったのだ。新興キネマ~大映の「狸御殿モノ」のように、レビューそのものを見せるのではなく、レビューが成立する虚構としての物語がないと、大して歌がいいわけでもなく、ダンスが凄いわけでもないと、やはり映画はつらいのである。

『純潔革命』は、この頃流行した「性典モノ」の1本。一般的には日本の「性典映画」はイタリア映画『明日では遅すぎる』(レオニード・モギー、1950年―日本公開1952年)の影響を受けて製作された、南田洋子と若尾文子をスタアにのしあげた大映『十代の性典』全5作(第1作は1953年)がそのさきがけだとされている。しかしすでに1947年に成瀬巳喜男が『春の目ざめ』という「性の芽生えモノ」を監督していることからしてもその土壌があったことは押さえておきたい。とくに大映と並んで松竹がその手の「性典映画」をたくさん手がけていたことも忘れてはならない。

川島もまた1953年の本作『純潔革命』に先立ち、1952年に『娘はかく抗議する』を監督しているし、松竹では1953年になると『娘はかく抗議する』に主演した紙京子の主演で『乙女のめざめ』(萩山輝男)、『乙女の診療室』(佐々木啓祐)という「性典映画」を次々と製作したのである。後者では新進スタアであった岸惠子が不良女子学生に扮し、梅毒に罹患する!(キスで梅毒を移されたというのが当時の限界であるが、今観ると逆にキスで梅毒が移るというのは、医学的事実であってもキス魔としては怖い)。――というように「性典映画」の系譜、さらには一連の太陽族映画への世間からのバッシングによる映倫設立の流れまで、本格的な論考が待たれるところである。ちなみに『純潔革命』は草笛光子の映画デビュー作。彼女が川島との再会を果たすのは、1960年の東宝作品『夜の流れ』(成瀬巳喜男、川島雄三)まで待たなければならない。

カワシマクラブ

「銀幕の美女」は「若き日の北原三枝」特集。ということは彼女が製作を再開した日活に移籍する前に松竹で出演した作品の特集ということで(案外知られていないが、彼女の芸名の命名者は木下惠介である)、レア作品の目白押し。『求婚三人娘』(萩山輝男)、『若き日の誘惑』(酒井辰雄)、『初恋おぼこ娘』(小林桂三郎)の3本。見事にダメ監督の作品ばかりであるが、それだからレアなのでお急ぎでない方はチェックを!

「リクエスト・アワー」では、恩地日出夫のデビュー作『若い狼』が放映される。石原慎太郎の監督起用に反対し、東宝ヌーヴェル・ヴァーグのきっかけを作った東宝助監督と会社首脳部の攻防は、石原の監督デビュー作『若い獣』へのボイコットと東宝のスタジオ以外での撮影を条件に、東宝から多くの新人監督を輩出する結果となる。最初に監督デビューをしたのは岡本喜八。続いて須川栄三、古澤憲吾、川崎徹広、福田純、そして恩地日出夫らが続々とデビューする(川西正純のようにすぐ消えた監督も多い)。「その場所に映画ありて プロデューサー金子正且の仕事」(金子正且・鈴村たけし著、ワイズ出版、2004年)の金子正且の証言では、石原慎太郎の監督起用に反発した48人の助監督の中で最も先鋭的だったのが恩地であったという。

1961年『若い狼』でデビューした当時、恩地は27歳。助監督たちが自主出版していた同人誌「アンデパンダン」に掲載された恩地自身による脚本「ドブねずみ」を映画化した作品である。田舎から東京に出てきた若い男女のうち、男(夏木陽介)はヤクザに、女(星由里子)は娼婦に転落するというストーリーラインは類型の枠を出ないが、全編をロケで撮影し、望遠レンズで隠し撮りもあったと記憶している。恩地は、60年代半ばから、内藤洋子や酒井和歌子主演の青春映画の傑作を監督するが、それ以前の青臭い、トンガった恩地の作品をたどって観るのも楽しみである。

東映チャンネルからは、内田吐夢の現代劇『どたんば』が登場する。これはビデオ化もされておらず、名画座でもめったに上映されない作品だが、必見の大傑作! 原作は菊島隆三がNHKテレビに書き下ろした同名のオリジナル脚本で、90分のNHKテレビ版(演出:永山弘)は昭和31年度芸術祭文部大臣賞を受賞している。まだVTRが普及していなかった時代のことだから、NHKのスタジオに炭鉱のセットを組み、生放送で6台のキャメラを切り替えて収録=放送という、今では考えられない方式で撮影された。「映画芸術1957年2月号」に掲載された「『どたんば』演出ノート」によれば、キャメラテストはキネコで撮影されたという。実はこのテレビ版は何年か前にNHKアーカイブスで再放送されたのだが、あまりに画質がひどくガッカリした記憶がある。

映画版の脚本は内田吐夢と橋本忍。橋本は映画の舞台となる美濃平野の御嵩に取材して、脚本を執筆し、映画もこの地で撮影された。零細炭鉱での落盤事故という限られた場所で、デッドラインを設定し、事故にかかわる人たちの苦悩と救出作業を描いて、のっけからただならぬ緊張感を孕む演出は、内田吐夢の本領発揮ともいえる。必見の傑作である。

撮影中、始まったばかりのテレビ放送で放送されていたプロレス中継を、吐夢がたびたび撮影を抜け出して、宿泊する宿屋のテレビで夢中になって観ていたというのは、また別の話。プロレスが好きだったんですなあ、吐夢さん。

さて、今月の東映チャンネルでもうひとつ気になるのは、『忍者狩り』である。『忍者狩り』といえば、東映集団時代劇を代表する傑作だが、これはその1964年の山内鉄也作品ではなく、1982年にテレビ放映された長編テレビ映画らしい。しかし監督はなんと映画版と同じ山内鉄也なのである! 主演は松方弘樹、成田三樹夫、佐藤允ら。これは見逃してはなりません。

最後に、6月のCS最大の目玉を紹介する。

日本映画専門チャンネルで放送される佐々木昭一郎特集である(キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!)。

佐々木昭一郎といえば、NHKの名物ディレクターで、今回放映されるのも本来は「映画」としてカテゴライズされる作品ではなく、すべてNHKの単発ドラマである。しかし、おそらく1970年代に自主映画を撮りはじめた映画小僧たちに最も影響を与えたのは、深作でも神代でもなく、佐々木昭一郎ではなかったか。ぴあが主宰するPFFアワード(当時は「オフ・シアター・フィルム・フェスティバル」と呼称したが)のカタログには、入選作家のプロフィールやコメント欄があり、その中で誰だったかが(犬童一心?)、影響を受けた監督として名前を挙げていたし、ちょっとした映画ファンなら誰しもが佐々木昭一郎を、深作や神代と同じように崇拝していたのだ。今回の放送の特別番組「映像詩人 佐々木昭一郎」でコメントを予定されている映像作家の面々――是枝裕和、塚本晋也、河瀬直美らの顔ぶれを見れば、いかに70年代に映画小僧であった映画作家に大きな影響を与えたか分かるはずである。

ほかにも、今関〈塀の中の懲りない面々〉あきよし、山川直人、長崎俊一、樋口尚文等、70年代に映画小僧であった映画作家/評論家が佐々木昭一郎の作品を熱心に観ていたとの証言をしている。立教閥では同時代の日本映画の作家より授業で学んだ小津のほうが“あのお方”経由で影響を与えているところが大きいらしく、“あのお方”が授業で佐々木昭一郎の話をしたとも思われないので、彼らの佐々木昭一郎評価は不明だし、当時の彼らの8ミリ作品にその影響の片鱗も感じられないのだが、おそらく当時のPFF入選作を見直せば、佐々木昭一郎モドキの8ミリ作品はたくさん見受けられるはずではないか。

現在はビデオやDVD、衛星放送の普及で、いつでも観たいときに観たい映画が観られると錯覚しているフシがあり、それがまた映画を観ることの意思を脆弱にしている原因でもあるのだが、観られない映画は無数にある。中でも音楽著作権の権利関係が映画と根本的に異なるテレビ作品は、ソフト化が非常に難しいのである。基本的にテレビは既成楽曲を使ってから、あとから一括して使用料を支払うシステムだが、映画はそのたびに使用楽曲の著作権者にかけあって使用料を払うことになっている。ビデオやDVDがなかった時代には、二次使用の権利まで考慮していないから、のちにビデオやDVDにするときに音楽を差し替えなければならない例もかなりの数にのぼる。ビートルズの「レット・イット・ビー」を使った『悪霊島』(篠田正浩)がなかなかソフト化されず、つい2年ほど前にソフト化されたとき、ビートルズではなくほかのミュージシャンの歌う「レット・イット・ビー」に差し替えられたことは、ほんの一例である。BGMとして、たとえば喫茶店やカーラジオから微かに流れる曲の差し替えは、私が知るうる限りでも『サタデー・ナイト・フィーバー』(ジョン・バダム)、『さびしんぼう』(大林宣彦)など無数にある。

といったわけで、佐々木昭一郎の作品は、根強いファンがいるにもかかわらず、これまで使用楽曲がネックになって、『四季・ユートピアノ』を除いてソフト化されてこなかったのだ。やはり『夢の島少女』の「カノン」はともかく、『紅い花』のドノヴァンとかまずいでしょう。

幸運にも私は、佐々木昭一郎の第2作『さすらい』からリアルタイムで全作品を観てきたのだけれど(テレビを点けたら始まったばかりで、映画かと思って最後まで観てしまったのだ! 当時、小学生でした)、その後、再放送はほとんどされず、最高傑作『夢の島少女』に至っては、1974年に1回こっきり放映されたのみというありさまだった。

テレビ番組は映画と異なり、よほどのことがない限り再放送されない。いわば使い捨ての世界(我々のような泡沫ライターと一緒である)。それが民放の番組を中心にビデオやDVDで発売されるようになったのはごく最近のことなのである。それに相手は天下のNHK。民放よりは原版管理はしっかりしているが、お役所的体質であるから、財産である作品を広く見せよう努力は「おしん」や「シルクロード」のような国民的番組だけに偏っていて、なかなかソフト化も再放送もされないのである。芸術祭受賞作品でも苦労してソフト化する必然がないというわけである。佐々木昭一郎が「国際的演出家“世界のササキ”と称されても、長年、日本においてのみ「知られざる」存在であった」というのも、こうした理由による(と推察している)。

ところが2000年にNHKアーカイブスが佐々木昭一郎作品を連続放映してくれたんだすね。事件でしたねえ。よかったですねえ。嬉しかったですねえ。泣きましたねえ。NHKは嫌いだったけど、受信料を払おうと思いましたねえ。2ちゃんねるの実況板は盛り上がっていましたねえ。同世代の知人からわんさと電話がかかってきましたねえ。リアルタイムで佐々木作品を観ていただけでなく、当時から新聞の関連記事を切り抜きしてスクラップしていた私は自慢しましたねえ。相変わらずお調子ものでバカですねえ。

それが今回CSで全作品が放送されるとは! そうか、その手があった。テレビ放映なら音楽著作権もOKなのね。

今回、放送されるのは、ロベルト・ロッセリーニが絶賛したデビュー作『マザー』(71)から『八月の叫び』(95)までの全作品、16本。まさに快挙です!

正直なところ、『四季・ユートピアノ』(80)を最後にして、『川の流れはバイオリンの音』(81)以降の「川」シリーズ等は、欧米を舞台にして「兼高かおる世界の旅」と変わらない気がしないでもなく、熱心なファンではなくなってしまったが、これを機会に改めて観直したいと思う。近年の、映画モドキの映画を観るよりよほど映画的興奮と発見があるのではないかと、密かに、実は声を大にして思っているのである。

それにしても佐々木さん、『紅い花』の上映会があった愛宕山のNHKホールまで地方から新幹線に乗って会いにいったガキんちょのことを覚えているかなあ。繊細な作品を作る人とは思えない、佐々木さんのまるで肉体労働者のようなスタイルとルックスにショックを受けたけど。ともあれ、必見! 万難を排してDVDレコーダーの準備をされたし。

佐々木昭一郎 データベース all that’s jazz
日曜日にはTVを消せ
映像作家 佐々木昭一郎