1980年に58歳の若さで世を去ったジェリー・フィールディング(1922年6月17日生)は、サム・ペキンパー、マイケル・ウィナー、クリント・イーストウッドという三人の映画監督と組んだ仕事で現在とりわけ記憶されている。ペキンパーとは両者にとって出世作と呼ぶべき『ワイルド・バンチ』(69)がとりわけ有名だが、その他にも『わらの犬』(71)等がある。この二本でオスカーにノミネート。ウィナーとは『さらば愛しき女よ』(77)のノスタルジックな音楽が撮影や美術とマッチして評判を取ったが、これからは『妖精たちの森』(71)のバロック趣味が改めて注目を浴びるであろうと思われる。フィールディング自身本作を最上の成果と振り返ってもいる。映画自体カルト・クラシックとなっているばかりでなく、サントラCDが輸入版で入手できるようになった。この作品はいずれ取り上げることもあるかも知れない。そしてイーストウッド。『ダーティハリー3』(76)で初めて組み、その後『アウトロー』(76)、『ガントレット』(77)と続く。『アウトロー』でオスカーに三度目のノミネート。結局一度も受賞することはなかったが。もう少し長生きしていたら当然受賞の目はあっただろう。残念。
前回にも記したように、フィールディングはブラックリストのせいで1950年代をまるまる棒に振っている。その件もあってどこか不運の人という感じがつきまとう。一応ここで前回の(多分)間違いを訂正しておくと、彼が改名したのは赤狩り以後でなく47年というのが正しい模様。ラジオ番組のレギュラー・スタッフとなった際に改名したという。さらにペキンパーとも後年はうまくいかず『ゲッタウェイ』(72)では注文を受けてスコアを完成させながら、結局ボツにされてしまった(採用されたのは言うまでもなくクインシー・ジョーンズによるスコア)。また『ビリー・ザ・キッド 21歳の生涯』も予定されていたが結局、出演者でもあるボブ・ディランに中途で取って替わられてしまったらしい。ますます運がない。それに同じ「ジェリー」だとやっぱりジェリー・ゴールドスミスの方がファミリーネーム同様、派手なスコアを書くし、それに長生きもしたし。普通の映画音楽ファンならだいたいジェリーと聞けばゴールドスミスと答えることになっている。
ところが近年、そうした状況に変化が見え始めた。ゴールドスミスの評価が落ちたというのではなく、フィールディングの音楽が意外と派手なことに、今さらながら人々が気づき始めたのだ。何故こうした事態が起こるかというと、ここ四半世紀ほどのことだが、映画音楽が映画を離れて純粋に音楽として楽しまれたり研究されたりするようになったからだ。それはこの25年くらいというよりずっと以前からそうであったではないか、サントラ盤を楽しむというのがまさにそうした現象である、と反論される方もあるだろう。確かにその通りで、筆者も中学生くらいからサントラを聴く楽しみを覚えた一人だ。だが違いは確かに存在する。何が違うかというと、(私のように)映画に付随するものとして音楽を捉える層自体はずっと変わらず一定数いるに違いないが、(極端に言えば)映画には何の興味もないのに音源それ自体を楽しむ純粋なサントラファンというのが出現したことだ。そういうのを「純粋」と言ってよいのか、という問題はとりあえず置いておいて「イーストウッドには興味ないが『ガントレット』の音源は凄い」という享受の仕方をする音楽好きが現れたのだ。これを邪道とする視点は私にはない。「ない」というか「とりあえず、ない」、何故かというとイーストウッド映画において、とりわけジャズが前面に出てくる作品においては音楽自体が面白い、というのがまず否応なく「ある」からだ。そうした事態を最初に「趣味的なジャズ」と規定しておいたのである。だから『ガントレット』が凄い映画だというのと、その音楽が凄いというのを別なレベルで考えても全然問題ないわけだ。これが後年のはっきりジャズを映画の主題にした『バード』ではまた少しスタンスが変わることになるが、とりあえず『ガントレット』では音楽自体が素晴らしい。フィールディングとしても音楽作りを楽しんだのではないかと思う。映画の全編をジャズが彩る。ほとんど無責任なまでにジャズが画面を覆い尽くし、自らの存在を主張する。これはフィールディングの音楽家としての責任範囲を超えていると思える。フィールディングは本来画面に対して出しゃばる音楽をつけるタイプの音楽家ではないからだ。むしろこの「主張する音楽」はイーストウッドのやりたかったことに違いない。従って『ガントレット』の映画音楽の楽しさは、フィールディングに対して、いつもよりジャズっぽくいってくれ、とディレクションしたイーストウッドの方針の正しさの証明でもある。そのため結果的には、CDでサントラ盤を聴きつつも映画『ガントレット』自体にはさほど興味がないという音楽ファンにこそ、ぴたっと「ツボにはまる」音源となっている。
こうした状況に対応するように近年フィールディングのサントラCDが続々と(アメリカで)発売されるようになった。注目を(日本でも)集めたのがボツになった『ゲッタウェイ』のための音源“Music for The Getaway Jerry Fielding Original Score”(FSM)である。また、これまたカルト・クラシックと化した『組織』(73)の音源も何とジョニー・マンデルの『ポイント・ブランク』(67)とカップリングで“Point Blank Original Motion Picture Soundtrack”(FSM)として発売されている。ペキンパーと仲直りした後の『キラー・エリート』(75)も優れた成果で、こちらは次回以降(いずれ)取り上げる予定である。
サントラ盤『ガントレット』に付されたライナーノーツには番号1の「汚れた街の夜明け」“Bleak Bad Big City Dawn”を評して「ミスリーディング」と記している。「誤解を招きやすい」という意味だ。ピアノとトランペットの導入によるブルースが奏でられ、冒頭、酔っ払いの平警官ショックリーが職場に現れる場面に流される。メインタイトルあるいはイントロダクションとでも呼ぶべき音源である。「ミスリーディング」という英語は語義に正確にこだわれば、観客(聴く人)を「間違った方向へ導く」という意味で、映画を見ていない者ならばこの言葉を「画面にミスマッチな」音源と勘違いしそうなところだがそんなことはない、雰囲気にマッチしている。これはこの最初のブルースがその後に現れる音源とマッチしていないという意味だ。ナンバー10「終曲」“Postlude”こそナンバー1に呼応するものだが2から9まではゴージャスなビッグバンド編成でアレンジされており、1の小編成ブルース(正確にはこの音源も後半部分はオーケストラだが)を映画全編に期待すると肩すかしをくらうことになる。
ここでトランペットを演奏しているのはジョン・ファディスであることが判明している。またアルトサックスはアート・ペッパーである。この二人の名前はちゃんとCDに明記されている。メンバーはこの他にリー・リトナー(ギター)、ラリー・バンカー(ドラムス)、バド・シャンク(サックス)、チャック・フィンドレー(トランペット)が参加していると別な資料にある。最初にリリースされたLP盤サントラにそう記載されていたものか。いずれにせよCD(再リリース版)にそうした情報は載っていないので正しいパーソネルかどうかはよくわからない。ファディスはまた現在カーネギー・ホール・ジャズ・バンドの音楽監督を務めており同名のアルバム“The Carnegie Hall Jazz Band”(Bluenote)がブルーノート・レーベルから発売されている。
このサントラ最大の聴きどころはナンバー3「トンネル出口の騒乱」“Exit Tunnel, Roaring !”とナンバー4「ガントレット」“The Gauntlet”の連続する二曲であろう。3では「ファディスとペッパーのデュエットに始まった演奏がやがてシンセサイザーを含むアブストラクトなビッグバンドになり、またストレートなジャズに戻っていく」(ライナーノーツから引用)というダイナミックなアレンジを楽しめる。そして4のナンバー。前回分にも書いたが、これは「両側から鞭に打たれながら歩まされる刑罰」のことで、ショックリー達が乗ったバスを通りの両側で待ち受ける警官集団が銃撃する場面に流されるものだ。ライナーノーツにもちらっと書いてあるが、この楽曲は明らかにマイルス・デイヴィス(トランペット)とギル・エヴァンス(編曲・作曲)の「スケッチ・オブ・スペイン」“Sketches of Spain”にインスパイアされ作られている。これは音楽史に残る名盤だから単品CDでも容易に入手できるが、マイルスとエヴァンスのコラボレーション(全コロンビア音源)を収録した“Miles Davis & Gil Evans / The Complete Columbia Studio Recordings”(Columbia)をボックスで買う手もある。
アルバムで最も有名なのはセバスチャン・ロドリゴ作曲のギター協奏曲をエヴァンスがトランペット用に編曲した「アランフェス」だろうが、フィールディングがヒントを得たのはこの曲ではなく、LPではB面に収録された「サエタ」“Saeta”と「ソレア」“Solea”の二曲だ。共にアンダルシア地方の宗教曲(的な民謡)からエヴァンスがアレンジしたもの。「アランフェス」ほど有名ではないが勝るとも劣らぬ名曲、名演奏として知られる。「サエタ」はゴルゴダの丘へ歩むイエス・キリストをしのんで一人の女がバルコニーから朗唱するという宗教儀式を模して作曲されているとされ、また「サエタ」はフラメンコの影響を如実に反映している。とりわけリズム面でのエルヴィン・ジョーンズとジミー・コブ、二人のドラマーの貢献が著しい。
こう書くと「ガントレット」で何故フィールディングが「サエタ」と「ソレア」を使ったかが何となくわかる。証言が残されているわけではないが、多分、ガントレット刑罰に「公衆の中を蔑まれながら十字架を背負って進んでいく救世主の姿」を重ねたのだろうし、またドラムスによるリズムの強調はバスの緩やかだが力強い歩みをしっかりと表象している。そもそもトランペットのファディスは(「スケッチ・オブ・スペイン」には参加していないが)、晩年のギル・エヴァンス作品にはトランペット・セクションの要として重要な役割を果たした男だ。フィールディングはそれ故ここでファディスにソロを取らせたのであったろう。ファディスがギル・エヴァンスと協働した作品としては「ギル・エヴァンス / ライブ・アット・ザ・パブリック・シアター(完全版)」“Gil Evans Live At The Public Theatre”を入手できる。つまり『ガントレット』のサントラは(イーストウッドがその件を意識していたかどうかはともかくとして)「スケッチ・オブ・スペイン」へのオマージュなのである。また、再度『ワイルド・バンチ』を例に出すと、映画冒頭の銀行強盗シチュエーションが始まる前の息詰まる雰囲気を醸成していた音源にドラムスの鳴り方がよく似ている。すると『ワイルド・バンチ』+「スケッチ・オブ・スペイン」=『ガントレット』ということになる。
ついでだからここで記しておくが「スケッチ・オブ・スペイン」一番の目玉「アランフェス」に影響されたと思われる映画音楽もちゃんとある。本連載に既に登場しているジョニー・マンデルが音楽を担当した『いそしぎ』である。スタンダードと化しているその主題歌「君が微笑みの時」“The Shadow of Your Smile”のインスツルメンタル版のアレンジが明らかにマイルスの「アランフェス」を意識したものだ。ここでのトランペッターはジャック・シェルドンだと言われている。やはりウェストコースト派の逸材である。(続く)