映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦    第15回 山下洋輔大復活祭と「ミナのセカンド・テーマ」(後編)
「山下洋輔。ジャズ・ピアニスト。昭和十七年二月二十六日生。出生地は東京渋谷の金王町。三井鉱山の技師長をしていた父の仕事の関係で九州と東京の間を往復し、中学校を一年のうちに三回変わったこともある。麻布中学三年のときジャズを知る」

と始まる山下洋輔論を平岡正明が書いたのは1969年のこと。やがて高校生時代からプロ活動し、卒業後二年、ピアニストとして働きながら山下は国立音楽大学に入学する。以下、彼のキャリアを総括的に論じて平岡が筆を置く、その最後の部分の一節はこうである。「山下洋輔が病気していらい、半年以上も彼の演奏を聴いていない。過日、若松孝二作品『性犯罪』のバックで彼の乾いたピアノをきき、気が狂うほどの気持になった。」この論考が単行本「ジャズ宣言」に収録された時には追記として(六九年三月、山下洋輔はカムバックした。毎週月曜日ピットインに中村―森山とトリオを組んで出演中。演奏水準は驚異的である)と結ばれている。論文が書かれたのは、山下が67年暮に急性肋膜炎で倒れ治療に専念しているさ中の68年夏であることがわかる。アルバム「ミナのセカンド・テーマ」(69年10月録音)と映画『荒野のダッチワイフ』音源収録(67年11月)の間にある二年とはそういう特別な二年である。この間、彼は伊豆で療養生活を送りながら「ブルーノート研究」を執筆。ジャズのアフロ・アメリカン性を保証する音階の出現の仕方を歴史的にではなく、演奏の現場から実践的に検証することで、自身の以降の音楽的基盤となし得た。また「ブルーノート研究」執筆のきっかけが平岡によるこのテーマの原稿依頼であった(ただしその時は成就せず)ことも知られている。

前回、『荒野のダッチワイフ』に聴かれる音源とアルバムに収録された「ミナのセカンド・テーマ」はどちらも当時の山下カルテット、山下トリオだからこそのフリー・ジャズであって、そういう意味では音楽的に劇的な違いはないのではないか、と記述してあるが、劇的な心境の変化は要するに山下自身にあったのだ。さらに、もう一つ興味深いのは68年に見られた若松作品『性犯罪』も山下カルテットの音源が使われていた事実で、詳細は不明だが『荒野のダッチワイフ』と別な音源だとしたら、それだけでも価値が高い。筆者は、残念ながらこの映画は見たことがない。同じく『荒野のダッチワイフ』方式で、相倉が音楽監修し、山下カルテットの音源を自由に切り貼りしたものであるとされる。

このようにして「相倉―山下グループ」でサントラが制作された映画は、実はもう一本ある。68年5月公開の若松プロダクション作品、大和屋竺監督『毛の生えた拳銃』である。今回はそちらに関しても取り急ぎ記しておこう。

このフィルムは『荒野のダッチワイフ』と並ぶ「大和屋フィルム・ノワール」の白眉で映画監督としての彼の最後の輝きとなっている。70年代にもう一本『愛欲の罠』を撮ってはいるが、時空間や説話の構成力を欠いた白々とした作品にしかなっていなかった。この時点で大和屋は自身を映画監督としては既に「見切って」いたのではないか、と思える。それはひょっとすると彼の師匠である鈴木清順の長い失職生活時代に関係しているのかも知れないが、いずれにせよ、その点について本稿で言及する余裕はない。

無鉄砲で生きがいいチンピラ(吉沢健)を追いまわす二人の殺し屋「高」(麿赤児)と「商」(大久保鷹)の物語。と要約すると単純すぎるが、実のところ物語はあってもないようなもので、この殺し屋コンビのチンピラに寄せる憧憬や嫉妬のような感情の吐露が映画の生命線である。そうなると当然、裸を見に来る一般的な観客の需要に応えられるような内容には程遠く配給元を見つけるまでに難航、結局タイトルも『犯す』と変更されてひっそりと公開されることになる。この映画は現在まで一度もビデオ化されていないが、近年、音源についてはサントラ版CD(製造・発売・販売:株式会社ウルトラ・ヴァイヴ)がリリースされた。磯田勉によるインタビューで相倉はパーソネル(参加メンバー)に関して答えている。以下引用。

予定では『荒野のダッチワイフ』と同じ山下洋輔カルテットでゆくつもりが、山下の病気で、残りのメンバーでやろうとしたところ、ベースの吉沢元治が辞退を表明。あとの二人、中村誠一(テナー・サックス)と森山威夫(ドラム)に森山が連れてきた芸大生のピアノを加えた3人がメンバー。(略)当時流行っていた「ハプニング」の方法を部分的に導入しようという狙いもあった。(略)ハプニングを狙う以上、絵と音の間にあらかじめある種の関連性を設定するのはむしろ邪道で、関連があるとすればそれはあくまでダビングを進める過程で、後付として生じるもの。プロになって2年目の中村と森山という山下抜きのメンツに、素人の学生を加えたメンバーでもいけると判断したウラには、こちらのそういう意識もあった。

芸大生のピアニストはジャズの素養がないために自然と彼が演奏するチェンバロだけはクラシカルなものになっている。映画ではタイトルバックの執拗な画面の繰り返しにコミカルな調子を与えていて効果的である。音楽がコミカルなのではなく、大真面目なのがおかしいわけだ。相倉も「たまたま偶発的に生じた条件を活かしただけのことだが、それが中村=森山のサウンドに別のいろどりを加える結果になった」と振り返っている。収録された全10トラックはそういう成立事情のせいで、チェンバロに対してはテナーとドラムスが共闘して当たり、チェンバロ抜きの局面では両者のバトルになる。前回に『荒野のダッチワイフ』のカルテットが聴きようによってはハードバップだという談話を引いておいたが、今回の音源はまさしくそういう印象。これはチェンバロのあるなしによらない。テナーとドラムスの「バトル」と記述したが、山下ピアノと吉沢ベースを欠いた演奏は、メロディを担当するのが中村のサックス一本になるためだろうが、森山が中村に合わせる、つけていく形になりがちだ。これはジャズとしてはむしろ正統的なあり方なのだが、山下グループのフリー・ジャズを聴きなれた耳にはかえってヘンというか違和感が残るのが面白い。

『荒野のダッチワイフ』に話を戻す。アルバム「ミナのセカンド・テーマ」の平岡による解説が物語を簡潔にまとめている。「宿縁の殺し屋二人が戦う。一人は拳銃使いのショウ(港雄一)、相手はナイフ投げのコウ(山本昌平)で、ショウの女はコウに殺され、その復讐にショウはコウを追う」。ある山あいの町でついに巡り合った二人は翌日の三時に決闘する約束をして別れるが、それはコウが最後に仕掛けた罠だった。女が殺された「因縁」の午後三時のつもりで油断していたショウを、コウとその一味は真夜中の三時、コウの情婦ミナと一緒にいるところを急襲して殺すのに成功する。「この超現実主義的なハードボイルドを大和屋竺は山田風太郎『甲賀忍法帖』にアイデアを借りた、と言った。鏡の中に相手をひきずり込んで殺す忍者と、相手の夢の中に現れて相手をくびり殺す忍者が(略)決闘し、ときおり雲母片のようなキラキラする光を反射しながら虚空に消える」。この忍者の関係に想を得た大和屋は、二人の殺し屋の夢の場面を現実と区別せずに描く。夢でコウは無惨に殺されるが、実は現実に殺されたのはショウの方で、映画の後半部は延々と続くショウの死の直前の夢想なのである。よく知られるように、この展開部はアンブローズ・ビアスの短編を映画化したロベール・アンリコ監督『ふくろうの河』にヒントを貰ったものだ。問題の「ミナのセカンド・テーマ」はホテルにいるショウをミナが訪ねる場面で、彼女自身が口ずさむものだろうと思われるが、実は旋律がはっきり聴きとれないのでよくわからない。ちゃんと歌詞もある。成立事情から考慮すると歌詞つきというのは不思議だが、このあたりも実はよくわからない点だ。

いずれにせよ、大和屋竺も既に亡く、我々にはトリオに先立つ山下洋輔カルテット唯一のフリー・ジャズ演奏がDVD版ではあるがこうして残された。『性犯罪』の音源を確定できなかったのが残念だが、これは今後の課題としておきたい。中村が抜けた後、坂田明が加入したトリオによる映画音楽としては『天使の恍惚』がビデオも出、サントラ版CD(株式会社ウルトラ・ヴァイヴ刊)も近年リリースされているが、このアルバムについては稿を改めることにしたい。

昨年7月日比谷野外大音楽堂、山下トリオ一夜限りの復活コンサートが今回の話題の出発地点であった。この企画のため特別にMCを担当したのが相倉久人だったのも、理の当然。若い連中の中に悪ズレしてMCを悪辣にイビるのが現れてすっかり嫌になった、とMC引退理由を語っていたが、こういう内輪な60年代風の話は多分21世紀の大人しい観客には理解不能だったのではなかろうか。相倉とジャズのこの時代を巡っては山下洋輔の編集兼監修による著者の論考のオムニバス書「相倉久人の超ジャズ論集成―ジャズは死んだか―」(CDジャーナルムック刊)に詳しい。相倉を師匠として自身のジャズを鍛え上げてきた山下による「御恩返し」の一冊であり、その総括も山下により冒頭でなされている。相倉が師ならば友と呼ぶべきなのが平岡正明である。だが彼はこのコンサート直前に脳梗塞で急死している。コンサート終盤、夕刻の空に虹が、それも珍しくダブル・レインボー、二重の虹がかかったのを観衆は見逃さなかった。天に召された平岡と武田和命の仕業に違いない、とその後、多くのブログで報告されている。

最後に訂正。前回、DVD版『荒野のダッチワイフ』はビスタサイズで収録と書いてしまったが、これは私の思い違いも少々あった。家のDVDの再生モードがビスタになっていたに過ぎず、収録自体はスタンダードサイズであった。何故。かえって話がややこしくなってしまった。この件についてはビデオをもう一度見直してから改めて記述することにしたい。なおこの原稿を執筆中の2010年1月17日、60年代から山下グループと共演する機会も多かった歌手、浅川マキがツアー中の名古屋のホテルで死亡しているのが発見された。現役のままの突然死で事件性もなく自殺でもないそうだ。合掌。